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【12】







 先日、ユーグと出かけてから、彼と過ごす時間が長くなった気がする。


 そう思ってまじまじと向かい側のユーグを眺めていると、優しく微笑まれた。


「どうした?」

「いえ……」


 首を左右に振って何でもないことを示すと、彼は「そうか」と視線を手元に戻した。その手には商会の資料が握られている。


 残念ながら、グレースにはナタリーのような、商会の広告塔になれるような才能はなかったが、実務関係の役には立てた。なので、最近はユーグの助手のようなことをすることが多い。これも、ユーグと過ごす時間が長くなって、彼が気づいたことだ。


 グレースは数字に強い。実家の家計の管理や、領地の経営を行っていたからだと思うが、それが嫁ぎ先でも役立ったわけだ。世の中何が幸いするかわからないものだ。


「そう言えばグレース」

「はい」

「今度、一緒に王宮の夜会に参加してほしい」

「はい……えっ」


 いつもの習性で返事をしてしまったが、言われたことに気づいて思わず顔を上げた。グレースの声の変化に気づいたユーグも顔を上げており、目が合った。


「嫌か? どうしてもいやだと言うのならあきらめるが」


 ユーグも、彼の結婚相手がナタリーからその妹のグレースに移ったことで、婚約者に逃げられた男やら、姉の婚約者を寝取った妹やら言われているのを知っている。それでも、出ないという選択肢はないのだろう。どちらにも悪意のある噂がある中で、彼はグレースに選ばせようとしてくれる。


「いえ、その、嫌……と言うわけではないのですけど」


 ユーグが参加するのに、グレースが参加しないのは卑怯だと思ったし、ここで逃げてはグレースが一生後ろ指を指されるであろうことは自分でもわかった。多分、グレースが嫌だと言っても、アメリーが必ず行かせようとするだろう。長い目で見れば、参加しておいた方がいいのはわかっている。


「でも、私、あまり社交界に参加したことがなくてですね。……友人もいませんし」


 友人がいれば、貧乏でもお茶会に参加することなどはあっただろうが、残念ながら、グレースには本当に友人がいないのだ。学園は飛び級で卒業しているし、卒業後は王都の屋敷と領地の往復ばかりで外に出ることはほとんどなかったのだ。


 肝が据わっている方だとは思っているが、ナタリーほど図太くはなれないグレースである。そんな不安を感じ取ったのか、ユーグは「出る気はあるということだな」と確認してきた。


「はい……」


 出る気はある。気は進まないが。


「だが、知り合いもいないので、不安だと」

「……」


 その通りだ。人から改めて聞くと、結構ひどい。


「わかった。俺も手を打っておく。できるだけ二人でいることにしよう」

「はい……」


 本当に情けなくて涙が出そうだ。外出した日に大泣きしてから、自分は少し涙腺が緩い気がするグレースだった。


 本当に自分は役に立たない。広告塔としてもいまいちなら、社交ができるわけではない。結婚して引き取ってもらったのは感謝しているが、ユーグはもっと社交的な相手を選ぶべきだったかもしれない。


 ぎし、とソファが少し揺れた。驚いて顔を上げると、隣にユーグが座っていた。


「君はよく頑張っていると思う」


 ゆっくりと頭をなでられて、グレースははにかんだ。これまでも何度か頭をなでられたことはあるが、いつも少し不思議な心持になる。少しの違和感があると言うか。


「……そっか。手」

「手?」


 ふと気づいてグレースがつぶやくと、ユーグはなでていた手を止めて自分の手を見た。グレースはその手を取る。


「手の大きさが違うんだと思って。ユーグ様、男の方ですもんね」

「誰と比べて……ああ、ナタリーか」


 自分で自己完結してユーグはうなずいた。両親との関係がよくないグレースの頭をなでたのは、ナタリーか彼女らの祖父くらいだ。直近でよくなでてくれたのがナタリーなので、比べた対象はナタリーである。


「お前は手が細いな」


 掌を合わせると、グレースはユーグよりも手が二回りほど小さかった。確かに、顔一つ分近い身長差があるけども、これほど違うものだろうか、とグレースはいぶかしげな表情になる。


「ユーグ様、手が大きい方ですか?」

「いや、体格に見合っていると思うが」


 そう言われて、ユーグを見上げた。身長差があるのはわかっていた。だが、よく見ると肩幅だって違うし、腰の太さだって違う。


「なんだ?」

「いえ……ユーグ様は男の方だったんだなって」

「それはさっきも聞いた」


 ユーグは苦笑しながら答えた。だって、唐突に思ったのだ。


 なんだか急に少し気恥ずかしくなって、合わせていた手を離した。急に黙り込んだグレースに、ユーグがいぶかし気な表情になる。


「前にも言ったが、気になることがあるなら指摘してくれないか」

「……いえ、これは私の問題だと思います」


 グレースの心の内の問題なので話すことができるはずがなかった。








 その人は、グレースがフォートレル男爵家の屋敷で一人の時にやってきた。たまたま社交や仕事で不在だったのだが。


「あなたがグレースね」


 来客だ、と呼ばれてエントランスに出てきたグレースを見て、その女性は険のある声で言った。つややかな栗毛を編み込み、青緑の瞳を有する目元は気が強そうに見える。くっきりした顔立ちの美人だった。


「……そうですが」


 きりっとした美女の登場に若干引きつつ、グレースはうなずく。美女はグレースの全身を眺め、がしっと両手で顔をつかんだ。同じくらいの身長だが、美女の方が少し背が高い。


「なによ、悲観するほど不美人なわけじゃないじゃない。確かにナタリーよりは地味だけど、むしろ癖がなくてなんでも合わせやすそうね。なのに似合ってないように見えるのは……そう」


 グレースから離れた美女はびしっとグレースを指さした。


「あなたのその自信のなさそうな態度が問題なのよ!」

「!」


 びくっと肩をはねさせたグレースは震える声で「おっしゃる通りだと思います……」と答えた。


「自覚あるのね」

「一応……」


 ナタリーほど華やかな美貌ではない、と自認するグレースだが、同時に自分が不細工なわけではなく、どちらかと言えば普通よりの整った顔立ちであることもわかっている。ただ、ナタリーと比べられ続け、世界が狭いグレースが、自分に自信を持てないだけだ。この美女の言うことは的を射ている。


「レナエル様。グレース様とお話しなさるのなら、お茶でもいかがですか」

「そうね。そうするわ」


 執事に声をかけられた美女ことレナエルは当然の様子でうなずいた。グレースよりもこの屋敷に慣れている。当然だ。彼女は一年ほど前にヴァンタール男爵家に嫁いで行った、ユーグの妹のレナエル・アングラードである。


 サロンに入ってお茶を飲んで落ち着くと、レナエルが口を開いた。


「一応名乗っておくわね。レナエル・アングラードよ。あなたの夫の妹にあたるわ」

「存じております。ええっと、ユーグ様と結婚させていただきました、グレースです」

「私も存じているわ」


 そりゃそうだ。さすがに兄の結婚相手を知らないということはないだろうし、レナエルはナタリーとも仲良くしていたはずだ。ナタリーの話に何度か名前が出てきたことがある。


「レナエル様は、何か御用がございましたか? 今、私以外は出払っていて」

「知ってるわよ。狙ってきたんだもの」


 侍女がお茶を持ってきた。一旦話は中断されるが、すぐに再開する。


「実は、お兄様に頼まれたのよね」

「ユーグ様に、ですか」

「そう。あなたと仲良くしてやってくれって」

「……」


 学院は飛び級で卒業し、社交界にはほとんど顔を出さなかったグレースは、知り合いがほとんどいない。性格も社交的ではないし、夜会に行ってもほとんど役に立たないだろうと自分でも思っていた。ユーグは、そんなグレースの悩みをくみ取ってくれたのだろう。


「……そうしていただけると、うれしいです」

「なら話は決まりね。まず、あなたの部屋に行きましょ」

「何故ですか?」


 このままおしゃべりをする、と言われた方がまだ納得できることを言われて、グレースは目をしばたたかせる。先に立ち上がったレナエルはふふん、と腰に手を当てる。


「着飾ってお茶会をした方が、気分が上がるからよ!」


 そう言えば、レナエルは実家の兄嫁に会いに来るとは思えない装いだ。新緑のドレスが彼女によく似合っている。華美ではないが装飾品を身に着け、髪も編み込んで飾りで留めてある。実家に帰るのだから、もう少し軽い装いでもいいはずだ。


 グレースがレナエルの格好に気付いたことに、彼女も気が付いた。勝気そうに笑うとグレースを立ち上がらせた。


「さあ、行きましょ」


 と言っても、行くのはグレースが使っている部屋である。一応、夫婦用の部屋の一室で、ユーグの使っている部屋につながる扉もあるが、今のところ使ったことはない。


「あら? もしかして、ほとんどそのままなんじゃない?」


 そのまま、と言うのがグレースが嫁いできたその当時のまま、と言うことを指すのであれば、その通りだ。ほとんどものが増えていないので、そう見える。


「これでも色々買っていただいて」


 グレース基準で多少は増えているのだ。レナエルは「そう?」と首をかしげる。


「ほしいものとか言って、どんどん甘えないとだめよ。あっちの方が年上なんだし、うちのお兄様、言わないとわかんないタイプだし」

「甘える……」

「そうそう。あれで面倒見いいから、喜ぶわよ」


 言わなければわからないも、面倒見がいいのもわかる。だが、甘えるって難しい。グレースが考え込む間にも、レナエルはクローゼットを漁った。


「身内とのお茶会ならこのあたりかしら。……うーん、あなたの雰囲気を考えると、こちらのほうが似合いそうね」


 レナエルが侍女たちに指示してドレスを出させる。屋敷の中で身内とのお茶会と言う設定らしい。そうなると、堅苦しくない格好が好ましいが、グレースはどちらかと言う堅苦しい恰好の方が似合うということを、さすがに自覚していた。


「堅苦しいもの、と言うより、シンプルなものが似合うわね。これにしましょ」


 と、レナエルは菫色のドレスを示した。デザインは室内用と言っていい軽やかな印象だが、色味が落ち着いているのでグレースの雰囲気に合うだろう、と言われた。


「ウエディングドレスも、もう少しデザインが大人っぽい方がよかったわよね。あなたの方が年下なのに、おかしな話だけれど」


 ナタリーに合わせたウエディングドレスが似合っていないことは重々承知していたが、レナエルもそう思っていたらしい。まあ、結婚式で着たドレスが似合っていなかったからと言って、ウエディングドレスはそう何度も着るものではない。


「私としては、きれいなドレスが着られてうれしかったので、それでいいです」

「自分に似合うウエディングドレスを要望してもいいと思うけど」


 着るのは自由よ、とレナエル。確かにそうかもしれないが、今のところ、必要性を感じえなかった。


「着たいと思ったら、言います」


 レナエルもそれ以上は説得できないと考えたのか、「そうね」と同意するにとどめてくれた。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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