【短編】土曜のバレンタイン・バースデー・ピリオド(2026.2.14.Sat)
「親友からの愛を込めた、バレンタイン・バースデーチョコ、完成!」
チョコペンをキッチン台に置く。
一息つくと、目の前のチョコに目をやった。
むずむずとした口元を隠すように、顔に腕を押し当てる。
ハート形のチョコ。
両手いっぱいの大きさのチョコが、つやつやと光っている。
中央に踊る文字に、笑みをこぼした。
――LOVE
「舞、バレンタインチョコを貰うの、初めてなんじゃないかなぁ」
バレンタインが誕生日だから、誕生日プレゼントばっかりだもんね、と呟く。
明日の土曜日は、バレンタイン。そして、親友の舞の誕生日。
舞が誕生日パーティーをしようと提案してきたのは、昨日のこと。
「土曜日、七海に祝ってほしいな……」
珍しく、子犬のような瞳で見つめる舞に、ぶんぶんと首を縦に振った。
改めてチョコを見つめる。我ながら、最高の出来だと思った。
「凄いよ、七海!ありがとう……!」
チョコを抱えながら、満面の笑みを浮かべる舞を思い描く。
そして、わたしはかわいい舞をぎゅっと抱きしめる……
ぐふ、と変な声が漏れた。
そのままチョコを眺めていると、ゆっくりと顔が溶けていきそうになる。
「あ!チョコが溶けかけてる!」
少し崩れたハート形のチョコ。
慌てて頬に手を強く当てる。ぱしり、と小気味いい音がキッチンに響き渡った。
♥
手袋を外すと、朝の冷えた空気が手に纏わりついた。
数回手を軽く握ると、舞の家のインターフォンを鳴らす。
ピンポーン。
静かな住宅街に、古びた鐘の音が響いた。
荘厳な門の前で、そわそわとリュックの紐を握る。
黒光りした門の奥には、綺麗にそろえられた人工芝。
高級そうな白い花が、丁寧に手入れされていた。
「やっぱり舞って、良い所のお嬢様なんだなぁ」
ほう、と息をつく。
ふと頭の中で、ピアノを弾く舞の姿が浮かんだ。
放課後、舞は音楽室でピアノの練習をしていた。卒業生を送る会の曲の練習。
その横で、わたしは課題をこなしたり、時々歌ったりしていた。
夕焼けが差し込む音楽室。
真剣に楽譜を見つめる舞の横顔。すらりとした背筋に、綺麗な輝く髪。
間違える度に、元の場所に戻って何度も弾き直す。
舞は、静かな青い炎を纏ったような子。
「やっぱり、わたしの親友はかっこいいなぁ」
「……七海。恥ずかしいからやめて」
はっと顔を上げる。
やれやれと言わんばかりの顔で、舞が開いた門の隙間から顔を出していた。
ほんのりと赤くなった舞の耳先。吊り上がった眉に軽く噴き出す。
「あれ、舞……赤くなってるよ?」
うりうりと舞の頬に指先を当てた。
頬を真っ赤にした舞に、手を叩き落とされる。
舞は、スキンシップに慣れていない。恥ずかしいのだという。
すぐに真っ赤になって、俯いてしまう舞がとても可愛い。
こんなに大人っぽくて素敵な舞が、親友のわたしの前だけこんな姿を見せる。
いじらしくて可愛い舞が見たくて、つい意地悪をしてしまう。
「ほら、さっさとお家に入るよ」
寒いでしょ、と舞は踵を返す。すたすたと去っていく舞を慌てて追いかけた。
通されたのは、舞の部屋だった。
ライトブルーで統一された家具に、地面に敷かれた白い大きなラグ。
ふわふわとした感触に喜ぶわたしを、舞がじっと見つめている。
ちら、と舞の方を見ると、さっと逸らされた。
舞は小さくため息をつくと、ローテーブルの前に腰を下ろす。
「七海。変な顔と奇行はやめて、座って」
「え……そんなに変だった?」
おかしいな、と頬に手を当てる。ぺたぺたと触っても、普段と変わらなかった。
軽く首を傾げながら、いそいそと舞の隣に腰を下ろす。
そのまま、流れるように舞に身を寄せる。
触れ合った指先が、ぱっと避けられた。
横を見ると、舞が体を仰け反らせている。
「近い」
「……だめ?」
「だめと言うわけじゃないけど……」
そっぽを向いて、軽く俯く舞。腰の前で組んだ指を、もぞもぞと動かしている。
とても可愛い。
「じゃあ、遠慮なく!」
肩を寄せて腕を組む。
一瞬肩が跳ねるも、珍しく今日は腕を解いてこない舞に、口元が緩んでいく。
じっと俯いて動かない舞。視線はローテーブルに落とされていた。
横に置いたリュックを盗み見る。舞がこちらを向きそうな気配はなかった。
チョコをサプライズで渡すなら、今しかない。
空いた手を伸ばすと、リュックのジッパーをそっと開ける。
水色のきらきらとしたラッピングを丁寧に取り出した。
中央はハート形の透明な窓があり、中のチョコが透けて見えている。
覗く『LOVE』の文字に、にやりと笑みをこぼす。
後ろ手に袋を隠して、絡めた腕に軽く力を入れる。
体勢が崩れた舞の体重が、軽くかかった。温かさがじんわりと広がる。
「……えっと。なに、七海」
目を白黒させる舞に、にっこりと笑いかけると、袋を差し出した。
「お誕生日おめでとう、舞!」
「あ、ありがとう……」
おずおずと袋を受け取る舞。胸の前でぎゅっと袋を握りしめると、小さく笑う。
きらきらとした瞳で袋を見つめる舞に、心の中でガッツポーズをする。
ひゅっ。
横で、小さく息をのむ音が聞こえた。
袋の透明な窓に注がれる、舞の視線。
真っ赤な耳に、結ばれた唇。触れ合った肩が、微かに震えている。
いきなり顔を上げる舞。黒い瞳が左右にさまよっていた。
あまりの可愛さに口元が緩んでいく。
「ま、舞。ど、どうかな……?」
「どうかなって……なに、が?」
「舞の誕生日、バレンタインと被ってるから。バレンタインチョコにしてみたんだ」
舞だけに、愛を込めて作ったんだよ、と耳元でささやく。
袋が床に転がり落ちた。舞の瞳の輪郭が、だんだんとぼやけていく。
薄らと開かれた唇が小刻みに震えだしていた。
舞のぎゅっと閉じた瞼に、涙がにじむ。
「あのね、舞の初めての……」
「……七海」
舞が急に目を開く。
黒い睫毛に縁どられた瞳。その瞳孔がぐっと開いていた。
渦を巻くような瞳孔に息をのむ。
「舞、どうし……」
絡んだ腕が引き寄せられた。舞の呼吸が、やけに近い。
ふわりとした甘い匂いが漂って、心臓が軽く跳ねた。
舞は、何も言わずにわたしを見つめ続けた。
きゅっと結んだ唇と真っ赤な耳。時折揺れる瞳に目が吸い寄せられる。
いつも恥ずかしがっている舞と同じはずなのに、どこかが違っていた。
視線があちこちにさまよう。
いつもの舞に戻そうと、喉から声を絞り出した。
「ま、舞……なんかいつもと違うよ?」
絡んだ腕に、ぐっと力が籠められた。触れている部分から、舞の鼓動が伝わってくる。
膝の上に投げ出していた手に、舞がそっと手を重ねた。
――こんな舞、知らない。
普段の触れ合いと、どこか違っていた。
何か言おうとしても、全て喉の奥で絡まって消えていく。
「七海、かわいい」
ふいに、重ねられた手を指先で撫でられる。
ひりつく感覚に息が詰まった。
舞が、ゆっくりと瞬きをする。睫毛の先から目が離せなかった。
「ま、舞……その」
思わず、目をさっと逸らす。
火照った熱を、どこかに逃がしたかった。
身じろぎすると、舞が追うように体重をかける。
背中が、白いラグに優しく包まれた。
胸の奥で、心臓が早鐘を打ちだす。絡まった指先が、ぎゅっと握られる。
視線を逸らした先の、水色の袋。
ラッピングの窓から覗く文字が、ぼやけて見えなかった。
ただ、ぼんやりと舞の顔を見つめ続けていた。
触れそうになるほど近い鼻先。
――わたし、舞にどきどきしてる。
甘い感覚に誘われて、そっと舞の頬に手を当てる。
微かに開いた舞の口元が、震える声を、ゆっくりと紡ぎだす。
「……舞」
「なあに?」
そっと指先を絡める。目を大きく開いた舞が、指に力を込める。
とくん、とくん。
心臓が二つ、重なり合ったまま、時間がゆっくりと流れていった。




