偏物ヴァンパイア、ダンジョンに潜る
「あなた、人間じゃないでしょう」
依頼の報告のために訪れた冒険者ギルドのすぐ近くでのこと。イーサンにピシャリとそう告げたのは、ローブを纏った小柄な女性だった。
衣服に編み込まれた魔術の気配をヴァンパイアの目が見て取ったために、彼女が魔術師であるとすぐに知れる。魔術の腕は……まあ、そこそこといったところか。詐欺師まがいというほど酷くはないが、とび抜けて魔力が高いわけではなさそうだ。
「おいおい。酷い言いようだな」
力量を確かめた後で、肩を竦めて返す。
相手の黒々とした丸い目は、相変わらず微塵の迷いもなくイーサンを見据えていたが、しかしイーサンとて、もう随分と長い間、人に混じってつつがなく、平和に生きてきたという自負がある。この程度のピンチなら、既に数え切れないほど乗り越えてきた。
凍るように青白い肌も、赤く輝く瞳も、隠しようもなく鋭い牙も。全て、変身魔術でつつがなく覆い隠して、ここ数年などは、流行りの冒険者として身を立てている。最早、人間のフリのプロフェッショナルといっても過言ではない……はず。
「顔が怖いとはよく言われるが、人間扱いされなかったのは初めてだな。ちなみに、俺を人間じゃないと断じる根拠は?」
「だって、魔物の匂いがするもの」
「……は?」
「だから、匂いよ、匂い! あるでしょ? ほら、魔物特有の。全然人とは違うじゃない」
言い切られて、イーサンは思わず頭を押さえた。
え? 魔物の匂い? そんなものがあるのか? そしてそれは、そんなにわかりやすいのものなのか? 今までずっと、ザックリ数百年くらいは人間の中で生きてきたのに、誰も指摘しなかったけど? もしかして、デリケートな話題だから言いづらかっただけで、みんな気づいていたのか? マジで?
「さあ! 何とか言ったらどう!?」
「……毎日」
「はい?」
「毎日、湯浴みもしてるのに……!」
*****
「で、あなたってヴァンパイアなのね」
エレオノラと名乗った女魔術師は、エールをガツンと飲み干すと、世間話の続きのようにそう言った。
衝撃の出会いの後、ショックを受けるイーサンを憐れんでか、或いはギルドの前で盛大に落ち込むイーサンの扱いに困ってか、ともかくエレオノラは、イーサンを食事に誘ったのだった。
「ていうかヴァンパイアって、普通のごはんも食べるのね。血しか飲まないのかと思った」
「ヴァンパイアヴァンパイア言わないでくれるかなあ!?」
「言っとくけど、あなたの声が一番デカくてうるさいからね?」
終始こういう調子で、エレオノラは、最高位に近い魔物として知られるヴァンパイアが相手でも遠慮がない。同じ闇の生き物たちですらヴァンパイアと積極的に関わろうとはしないというのに、肝が据わっているというか怖いもの知らずというか。
「ご職業は?」
「お見合いかな? ……一応、冒険者だけども」
「あら奇遇。私も冒険者なのよ。流れの魔術師やってて、最近この街に拠点を移したところ」
「前の街で何かやらかしを?」
「失礼な。単に、近くの迷宮が踏破されちゃったのよ。迷宮探索が専門なの」
成る程。迷宮は一度踏破されると危険度が下がり、それと同時に、財宝の類も新たには湧かなくなると聞く。
一見訳の分からない仕組みだが、迷宮そのものが人間を誘き寄せて食らう魔物の亜種のようなものだからだという説が現在は有力であるらしい。つまり、迷宮もイーサンと同様、生存戦略として、姿を変える道を選んだわけだ。
もっと言えば、間の抜けたことに人間に正体がバレてしまっているところまで同じである。悲しい。
ちなみに、鉱物などは変わらず採取できるため、攻略済みの迷宮は国や領主のテリトリーに早変わりする。冒険者はお呼びでなくなってしまうのだ。
「迷宮かあ。潜ったことないなあ」
「はい? 冒険者なんじゃなかったの?」
「薬草の採取とか、後は、街の何でも屋みたいな依頼専門。戦闘や探索がメインの仕事じゃ、ヴァンパイアの力は目立つんだよ」
「はーん」
その「はーん」はどういう気持ちの「はーん」だよ、などと思っているところに、エレオノラから追加の質問が飛ぶ。
「そのシチューは、ヴァンパイア的には栄養になるの?」
「流石に話題が飛びすぎでは? いやまあ、殆どならないよ。でも、美味いから心は満たされる」
「へー、嗜好品ってわけね。ちなみに一番好きな食べ物は?」
「……チョコレートパフェ」
「成る程ねえ」
エレオノラが深く頷く。
自分で言うのも何だが、今のはそんな重々しい反応が出る情報ではなくないか?
そんなふうに訝しんでいると、エレオノラは不意に、
「そのチョコレートパフェ、お腹いっぱい、心ゆくまで食べてみたくない?」
と、何ともマナーがなっていないことに、腸詰めの刺さったフォークをイーサンへと向けて、不敵に笑った。
*****
「いやー、楽だわねえ」
闇の生き物が蠢く迷宮をサクサクと行きながら、エレオノラが機嫌よく零す。
「ヴァンパイアってのは噂通りめちゃくちゃ強いのね。あなたと組んで正解だったわ」
エレオノラの誘いで一時的にパーティーを組み、二人は近隣の迷宮へと足を運んでいた。目的は、迷宮に眠る財宝だ。
エレオノラ情報によると、比較的レベルの高い冒険者パーティーでも踏破どころか帰還が叶わぬことがあるような危険な迷宮だが、価値の高い財宝が多く手に入るという話らしい。
迷宮に足を踏み入れてからおよそ一時間、二人は殆ど魔物と交戦することなく、偶に強敵と相対してもイーサンのパンチ一発(ヴァンパイアっぽくないとエレオノラには謎の難癖をつけられた)で難なくぶっ飛ばし、順調にお宝を回収し続けている。
迷宮探索専門だと豪語するだけあって、エレオノラの探索スキルには、イーサンから見ても目を見張るものがあった。おかげで戦闘以外は、殆どエレオノラに任せきりだ。
イーサンのヴァンパイアとしての能力と、エレオノラが培った迷宮探索の技術。双方の相乗効果が、二人の快進撃を演出している……というのは大仰すぎるかもしれないが、とにかく、順調極まりない道行きだった。
「あなたの強さも相当なものだけど、そもそも寄ってくる輩が少ないのよね。低位の魔物っていうのはヴァンパイアの匂いが嫌なのかしら?」
「だからそれ、傷つくからやめろって」
あの後、この場合の『匂い』というのは、正確には『オーラ』のようなものだと説明があったが、言い方というのも大事だという主張をイーサンは引っ込めるつもりはない。
あと、仮にオーラでも、『自分は魔物だぞ!』みたいな主張が知らず溢れてしまっているのはシンプルに嫌だ。心がしょんぼりしてしまう。
「それにしても、曲がりなりにも冒険者として暮らしてるのに迷宮に潜ったことはないなんて、随分と勿体ないことしてきたのねえ」
「言ったろ、目立つんだよ。人間に混じって生きるのも楽じゃないんだ。お前みたいにヴァンパイアとパーティーを組もうなんて考える奴はまあいないし、普段は稼ぎよりも安全を取ってる」
「ふぅん。ま、私からしたら運が良かったわ。あなたがもっと早くに迷宮に挑戦してたら、私の取り分はなかったわけだし」
エレオノラが朗らかに笑う。その笑い声が、イーサンには不快ではなかった。
*****
「最深部、とうたーつ!」
威勢よく拳を突き上げるエレオノラの後ろで、イーサンは埃に汚れた衣服をパンパンと叩いた。
迷宮のボスとの熾烈な戦いの果てに……みたいなイベントは残念ながら皆無だった。
迷宮のボスはミノタウルスで、身の丈は比較的高身長なイーサンの軽く三倍はあったのだが、拳一発で沈む程度の強さだったからだ。倒した時に血を吐かれて、衣服が汚れてしまったのだけが痛い。
それにしても、人間の冒険者は、この程度の魔物に苦戦するのだろうか。それなら、エレオノラと組めば世界中の迷宮でがっぽがっぽと稼げるのではないか……という都合のいい妄想が一瞬頭を掠めて、それを追い払うべく、イーサンは緩く首を振った。
イーサンが人間に混じって生きるのは、魔物としての生き方に疲れたからだ。平穏を求めるのなら、人間と積極的に関わるべきではない。
この迷宮探索の成果をエレオノラへの口止め料として、エレオノラ曰くの『随分と勿体ない』暮らしに戻る。
それが、魔物の生き方からはとうに外れ、かといって、ガワは寄せられても、芯から人間には変わることはどうやってもできないイーサンにとっての、今選べる最善だった。
「そう言えば、血の匂いとか平気なの? 血の匂いで正気を失うヴァンパイアの話とか聞いたことあるけど」
「お前そういうのほんと、一緒に迷宮に潜る前に確認すべき事項だぞ」
ちょっとしんみりしかけていたところだったのに、あまりの危なっかしさに、ついつい口煩くなってしまう。
こちらの感傷も心配もお構いなしに、エレオノラは「はいはい」と軽く肩をすくめた。
「で、どうなの? 駄目っぽい?」
「駄目っぽくない。血って洗っても落ちにくいんだよなと考えてちょっと憂鬱になっただけだ」
「地に足がついた悩みすぎない?」
「文化的な生活を送ってたら、この手の悩みはどうしても付き纏うだろ。そもそもあんまり血って好きじゃないし」
「そんなことある?」
「あるんだよ、それが」
イーサン的にもその辺りは悩みの種ではあるのだが、苦手なものは苦手なのだ。普段は比較的癖の少ない、ブラッドスライムの干物などで栄養を補給している。
「ふぅん。まあ、どっちでもいいけど」
「どっちでもいいのか」
「そんなことより、さっさと踏破報酬を確保して帰りましょ」
「今更だけど、踏破しちゃっていいのか? 新しいお宝は手に入らなくなるんだろ?」
「自分が踏破するのはヨシ! 迷宮一つ分の踏破報酬で、しばらく遊んで暮らせるくらいの額になるから」
「欲に忠実だなあ」
「こんなん早い者勝ちよ」
ボスを倒したことで、部屋の奥の台座には宝箱が出現している。迷宮自体が魔物の一種だというなら、あれはドロップ品みたいなものなんだろうか。戻ったら、図書館で調べてみてもいいかもしれない。
「開けるわよ」
エレオノラの声が、僅かに上擦っている。その手が宝箱へと伸び、重厚かつ豪奢な蓋をゆっくりと開いて、
ーー途端、地面が鳴動し、視界が真性の暗闇に沈んだ。
*****
「おい。大丈夫か、エレオノラ」
「ちょっと何コレ聞いてないんだけど!?」
良かった、超大丈夫そう。ブチ切れるエレオノラを見て、イーサンは内心に安堵した。
長く生きる中で、人間という生き物の脆さを、イーサンは嫌になるほど学んでいる。
「踏破報酬の宝箱を開けたら、罠が発動する仕組みになってたんだな」
「そうみたいだけど、信じられない。踏破報酬に罠が仕掛けられてるなんて話、聞いたことないわよ」
「或いは、実はそもそも俺達が踏破に至ってなかった可能性もあるな。ミノタウルス戦も、ボスを倒して迷宮を踏破したと思い込ませるための舞台装置だったとか」
「最ッ悪! そしたら、この迷宮が今日まで踏破されてなかったのも、あの嫌らしい罠のせいかもしれないわね」
イーサンも同意見だ。実力派パーティーの全滅は、まさにこんなふうにして起こったのではないだろうか。
見事に引っかかってしまった手前、人のことは言えないが、迷宮探索に慣れているほど、迷宮のセオリーからずらされた罠には気づき難いだろう。
下手を打ったな、と内心に舌を打つ。
イーサンは迷宮のシステムには明るくないが、ボスの弱さに違和を感じてはいた。
それでも慎重になり切れなかったのは、結局のところ、浮かれていたのだ。
財宝にでも、踏破の名誉にでもなく、誰かと共に在ることに。
落ち込んでいても仕方がないので、とりあえず、周囲の状況把握に努めることをイーサンは思い決めた。
何やら狭い空間に二人して押し込められているということは先ず確実だ。暗闇に強いヴァンパイアの目をもってしても、辺りに、脱出の糸口になり得るようなものは見つからない。
それならと試しに壁に触れれば、それは嫌に生温かく、ドクンドクンと脈打っていた。表面に、粘度のある液体がじわりと滲んでいる。
触れた手に、軽く痛みが走った。皮膚の表面が溶かされたらしい。
イーサンは上着を脱いで、エレオノラに頭からそれを被せた。
「え? 何、いきなり」
「ここ、迷宮の消化器官か何かみたいだ。上から消化液が垂れてくると拙いから、大人しく被っておいてくれ。……匂いが気になるとか言うなよ」
「あなたは大丈夫なの?」
「人間のお前より、俺の身体の方が長く保つ。そうだ、壁にも触らないようにな」
イーサンは立ち上がると、辺りの壁をペタペタと探り始めた。手のひらがじゅうと溶けるが、さしたる問題はないとそのまま作業を続行する。
「何してるの?」
人間のエレオノラには、イーサンの行動が視認できないのだろう。怪訝がるような問いに、イーサンは、作業の手は止めぬままに応じた。
「ぶん殴って、この壁をブチ破ろうと思って。成功率を上げたいから、一番弱そうなところを探してる」
「思慮深いのか脳筋なのか判断に悩むわ」
「そのままそこで悩んでてくれ」
エレオノラからしたら、イーサンは、迷宮攻略に都合の良い道具のようなものなのかもしれない。
けれどもイーサンにとって、エレオノラは既に、特別な存在になってしまっていた。
突如訪れた危機に、彼女を永遠に失うことを意識して、その事実に初めて気がついた。
「俺が絶対、無事に地上に帰すから」
誰かと軽口を言い合って笑うだなんて、イーサンにとっては、久しぶりのことだったのだ。
爛れた手が、壁に、感触の違いを見出す。
「……よし」
全力の拳を壁に食らわせる。
断末魔を思わせる耳障りな音が空間に木霊すると同時、壁に入った亀裂からは、僅かながらも光が射した。
*****
「エレオノラ、どうだった?」
迷宮探索の翌日。
待ち合わせ場所(街の中心に位置する広場の噴水前だ)に現れたエレオノラにイーサンが声をかけると、彼女はニッと笑ってピースサインを作った。
「いい値段がついたわよ」
「そりゃ良かった」
迷宮の財宝は、換金できる店を知っているというエレオノラが担当してくれた。イーサンはその辺りの事情には疎いので、有り難い限りだ。
昨日、重要な器官(という言い方が正確なのかはわからないが仮に)を破壊されたことで、迷宮は遂に沈黙した。
途端に迷宮そのものが崩落する……という可能性も勿論考えていたが、幸いそういった危険には襲われず、イーサン達は無事に脱出を果たして現在に至っている。
「手の具合はどうなの?」
「この通り、もう治りかけてるよ」
「ほんとだ。ヴァンパイアの治癒力ってえげつないのねえ」
「言い方言い方」
話し口こそザックリしているが、迷宮脱出後、イーサンの怪我を見たエレオノラは、どうしてそんな無茶をしたのかとイーサンのために怒ってくれた。
今だって、怪我の様子を見た彼女の表情が緩んだのを、イーサンの目は確かに捉えている。
「じゃ、分け前は約束通り半分ずつね。はいこれ。こっちは、買取額の証明書」
「意外ときちんとしてるな」
「私がきちんとしてるんじゃなくて、あなたが適当すぎるのよ」
胸元に指を突きつけられて、イーサンは首を傾げた。自分で言うのも何だが、少なくともエレオノラよりは、真面目かつしっかりしているという自負がある。
イーサンの反応に何を思ったのか、エレオノラが深いため息を吐いた。
「財宝だって全部私に預けちゃって、私がそのまま持ち逃げするかもとかは考えなかったの?」
「するつもりだったのか?」
「する輩もいるって話よ」
「じゃあ問題ないな。相手がお前だから預けたんだ」
ついでに、エレオノラになら持ち逃げされてもいいかとも思っていたのだが、こちらは口には出さない。沈黙は金だ。
もう一度息を零したエレオノラが、「まあいいわ」と呟いて歩き出す。
「とりあえず、行きましょうか」
「どこへ?」
「喫茶店。パフェ、好きなんでしょ? 奢ってあげる」
「奢り? 分け前はもう貰ったのに?」
貰えるものは貰っておけばいいのに、つい疑問が口をつく。それを受けて振り返ったエレオノラの顔には、悪戯っぽい笑みが乗っていた。
「そりゃあね。迷宮探索の相棒として、勧誘しなくちゃいけないから。甘い汁をたんと吸わせておかないと」
口元が、勝手に緩む。
「そういうことなら、遠慮なく」
エレオノラの隣に並び、歩幅を合わせる。
人間の傍らに立つことを選んだ己の心変わりが、イーサンには、酷くあたたかく感じられた。




