37.エリーゼと取り巻き
今、自分たちは夢を見ているのだろうか?それとも幻覚か?
目の前には女神が一人、そこには先程まで豚さんがいたはずで……女神は庭園に流れる緊張感溢れる空気をものともせず優雅に紅茶を飲んでいる。
彼女の涼し気な様子とは正反対に自分たちの汗が額から身体からと止まらない。身体はベタベタなのに口の中はカラカラだ。
お茶をどうぞとエリーゼの執事らしき人に出されたが、手を出せる強者はいなかった。
ジョーは何やらわけのわからない自分勝手なことを言って彼女を馬鹿にしたり悪く言っていたがとんでもない。
美しさ、家柄、経済力、全てにおいて完璧な彼女は天上人。地上に降りてきたからといっておいそれと話しかけることなどはできない存在。目の前に立つことさえ畏れ多いし、ジョーの手前まともな挨拶をしたこともない。
そう彼らは
知り合いというのも烏滸がましい、
顔と名前だけ知っている間柄。
足音もなく急にエリーゼが目の前に現れたかと思うと何か話すでもなく茶を飲むだけ。
いや、これはどうしろと?
カチャリとカップをソーサーに戻す音にハッと我に返る面々。
「何やら面白い話をされておりましたね。そこの花壇から盗み聞きしておりました」
「「「!?」」」
え、盗み聞き!?なんかそんなこととは無関係そうな顔して盗み聞き!?皆に衝撃が走った。とはいうもののそんなことに驚いている場合ではない。
「も、申し訳ございませんんんんん!あ、あの、悪気はなかったんです!ご自宅にこんなにしょっちゅう来て迷惑ですよね!?来いと言われたら行かないとお金がもらえないと思って……!で、でででも、あの!ジョーの悪口は言っちゃいましたけど、エリーゼ様の悪口は一切言っていませんので!ジョーはあなた様のことよくメチャクチャなこと言っていましたけど、私たちはそれだけは!それだけは!していませんのでお許しくださいぃぃぃぃぃぃぃ!」
取り巻きの一人が空気感に耐えられなかったのか、膝を地面に付き、頭を地面に擦り付け叫んだ。それを見た他の取り巻きたちも申し訳ございませんんんんんと言いながら同じポーズになる。
エリーゼとサイラスは困ったように互いを見る。
落ち着くように言ってよサイラス
いやいや、エリーゼ様どうぞ
…………
…………
先にため息を吐いたのはエリーゼだった。
「落ち着いてちょうだい。私は何も怒っていないわ。ジョーがあなたたちに渡しているお金は彼の所有物らしいし私には関係のないお金だし、あなたが彼を利用しようとそんなことはどうでも良いわ。
家だって好きに来ればいいじゃない。一つの部屋に住んでいるわけでもないし、もてなしているわけでもなし。私には関係ないわ。
あの人の悪口なんて好きに言えば良いじゃない。私だって…………ふふふ…」
あ……最後の私だってはちょっと聞きたくなかったが、少し落ち着いてきたかもしれない。風の心地よさを感じられるようになってきた。
「あ……と……じゃあなぜ……こちらに……」
その問いにエリーゼは微笑んだ。とても美しいのに何やら寒気のする笑顔に嫌な予感がする。
「あなたたち本当にあの人にくっついていて大丈夫なの?格上のエドモンドに対する接し方を見たでしょう?彼は優しいから問題にならなかったけれど厳しい方だったらどうなっていたかわからないわ。もちろん側にいるあなたたちにも火の粉が飛ぶでしょうね」
その言葉にゴクリと唾を飲む面々。
確かにこの前の対応は非常に悪かった。礼儀知らずにも程がある。いつか何かしら痛い目に遭う可能性は非常に高い。恐らく今はエリーゼの夫だからと我慢している者が多いだろうがそれがいつまでもつかはわからない。
離れた方が良いのかもしれない。
でも……
「だ、大丈夫ですよ。きっとジョーも常識を勉強していくでしょうし。あ、なんなら僕たちが教えても良いですし……」
はははは、今勉強してないからああなんだろうが。
教える?
絶対に思ってないだろう。何か言おうものなら罵声の嵐が吹き荒れることご簡単に予想できるのだから。
エリーゼは瞳を細めて彼らを観察する。
もう少し賢いと思ったのだが……危機感が薄いというのか、それともそんなにもお金というのは魅力的なのか。
ため息が出そうになるのを堪えるエリーゼ。
エドモンドまで呼んで穏便に彼らがジョーから離れるようにお膳立てしたのに……。
ま、穏便に離れないというならば、離してみせましょう。
爆弾投下――
「そう。でもあの人があなたたちの家族を狙ってるみたいだから……本当に大丈夫なのかしら?と思って。ああ、もしかしてあなたたちも同意の上なのかしら?」
彼らの時間が数秒止まった。
エリーゼは固まる彼らを見て調査書通りだったと心の中でほくそ笑む。だんだんと彼らが染まっていくのは憎悪という感情。顔に出ているのでとてもわかりやすい。
「エリーゼ様……あ、すみません。えっとジャマル男「エリーゼと呼んでちょうだい」」
ジャマル男爵夫人という呼び名は嫌いだ。ジョーの妻である証、公式の場ならまだしも私的な場でそのように呼ぼれてもおろろろろだ。
「あ、はい。で、では失礼して……エリーゼ様それはどういうことでしょうか?ジョーが私たちの家族を……手、手籠めに……しているということでしょうか?」
目と目が合うもののエリーゼは焦らすかのように答えない。早くしてくれと叫びだしそうなのを必死に堪える取り巻きたちの心ははやるばかり。
じりじりじりじり空気が身体にひっつく感じがして鬱陶しい。
「いいえ。まだ迫ってる段階よ」
エリーゼの返答にはぁと安堵の息が庭園に響いた。
「でも時間の問題かもしれないわね。だってあなたたちジョーからお金やら装飾品やら色々と貰ってるんでしょう?」
ギクリと強張る身体。確かにそうだ、だからこそ友人のように接しているのだから。でもそれは――
「友人として色々とよくしてもらっていることは確かに認めます。ですが身内を売っているつもりなどありません」
「あなたたちがジョーを金蔓と思ってへこへこしてなんでもご機嫌をとるから調子に乗ってしまったのでは?あなたたちの家族に手を出してもへこへこすると思われているのではなくて?」
「…………………………」
なんとも微妙な顔をする取り巻きたちだが、いまいち反応が思わしくない。狙っているけれど手は出されていないイコールアプローチしているだけならよくねといったところか。
この危機感欠如人間が!
それではずずいと突っついてやりましょうか。




