25.義兄バカ
「助かったわサイラス」
ジョーが消え、エリーゼが口を開く。
そう言えばまだお礼を言っていなかった。
「はは、余計な手助けだったみたいだけど」
そう言う彼の視線の先にはじいやが懐に手を入れていた。一体何をする気だったのか……。
「いいえ、サイラス様グッジョブにございます。この年寄りめはサイラス様がエリーゼ様を抱きとめたシーン、あの豚野郎の手首をガシッと握ったシーンを目に焼き付けました。あの身の程知らずを目にして眼精疲労甚だしかったのですが眼福にございます」
いやその言葉にどう返せと?引きつりながら笑うことしかできないサイラス。
「今日はお仕事は?このあとお茶をする時間はあるのかしら?」
「休みだよ。ご馳走してくれるのかい?」
ええ、と言いながら手を伸ばすエリーゼ。サイラスは腕を軽く広げる。エリーゼの手がサイラスの腕に絡むと2人は庭園へと歩き出す。
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庭園でじいやが見事な手際で瞬時に用意したお茶を2人は飲む。庭園には季節の花が品よく咲き、その華やかながらも落ち着いた香りになんとも心が安らぐ気がする。
「サイラスがお父様のもとで働いて2年程経ったわね」
「ああ、すごい勉強になるよ。社交界での立ち居振る舞い、領地経営、事業戦略、まあ自分には必要ないものだけれど。でも知識を吸収するというのは面白いよ」
エリーゼは音を立てずお茶を飲んだ後、ちらりとサイラスを見る。
うん、イケメンだ。ナンバーワン!ダントツ!飛び抜けて!というわけではないが、社交界でも十分上位に入る顔。本当にあの男と血が繋がっているのかと思うほど似ていない。
見た目も、
中身も。
いい御縁などいくらでもあるだろうに、彼はいまだ独身。父によるとアプローチしてくる女性がたくさんいるようなのに、全て断り続けているらしい。
もったいない。
「公爵邸に住まいを移しても良いのよ?」
「あれだけの豪邸落ち着かないよ。ここだって自分には不相応だと思うくらいなのに」
寝るためだけに帰ってきて、朝早く家を出るのは大変だろうに。多忙な仕事でくたくただろうに、夜勤を除き必ず彼はこの家に帰ってくる。
ちなみにジョーは彼が公爵邸で働いていることを知らない。隠しているわけではないし、聞かれたら正直に答えるつもりだが、サイラスを自分に男爵位を奪われた出来損ない扱いをしたいジョーは彼が人に馬鹿にされるような仕事をしていると勝手に思い込んでいる。
「でもムカつかないの?顔を合わせる度に弟に馬鹿にされて」
「うーん……」
確かにどこの女と寝たとか何を買ったとか夜会に参加したとか自慢ばかり。お前はクズだ、バカだ、よくわからないお説教ばかり。家だってここに住め、当主命令だと言われてここに住むことになった。当主も何も別に何か権力があるわけではないジョーの言葉に従う必要などないから別に出ていけるのだが……
ちらりとエリーゼを見る。
出ていけば容易にここに足を踏み入れることはできなくなるだろう。ま、そうなると色々と心配事が増えるというもので。
なんにしてもジョーがサイラスにエリーゼと結婚したのは自分だと見せつけたいのであればそれを利用させてもらおうでないかと思うところだ。
意味のない言葉、感情任せの言葉などサイラスの心には何も響かない。
だから
「別にムカつかないよ」
「あら、心が広いのね」
当主の座を奪われ俺の方が偉いから敬語で話せ、様付けで呼べと言われ、意味の分からないマウントを取られ、出来損ない扱いされて腹が立たないとは驚きである。
そしてちゃんと様付け敬語で話すのだから呆れるほど人が良すぎるのでは?
「エリーゼだって2年間大してムカついてなかっただろう?」
まあ、暴言はさておき愛人については大した問題じゃないというかむしろラッキーと思うくらいだったかもしれない。なんか勘違い加減はウザかったが滑稽で少し笑えるときもあった。
「俺の場合はそもそも継ぐといっても貴族手当くらいだったしなぁ」
あとはボロい家くらいなような。
別に惜しむほどのものでもない。というか、惜しむ必要がないからムカつかないというのが正しいかもしれない。
「あら私のことは惜しくなかったというの?」
エリーゼ――美しき元公爵令嬢。
惜しい?惜しい……?惜しい…………?
「うーん……わけがわからないまま流れで結婚が決まったけど疑問だらけだったし、不安だらけだったしなぁ」
いつも頭になぜこうなったとどこかにあったし、何より分不相応だと思っていた。
「あら、それなりに私自分に自信があったのだけれど。不安を吹き飛ばすほどの魅力はなかったようね」
サイラスはにっといたずらげに笑うエリーゼをじっと見る。
高貴な血統、潤沢な資産、そして何よりもその比類なき美しさ。まるで自分とは違う人間のように感じてしまう。公爵家で働き一族の美しさに、その有能さに、その優雅さに触れるようになり……一層距離を感じるようになったというか。
「人間が女神様に恋なんて罰当たりだろう?」
あら、お上手と上機嫌に笑うエリーゼは本当に美しい。
気を抜けば見惚れるほどに――。
弟を妬ましく思うほどに――なぁんて。
「ねぇサイラス」
「うん?」
少し自分の世界に浸ってしまったサイラスはエリーゼの呼びかけにハッとする。
「これお願いできるかしら?」
エリーゼの手には一通の手紙。
「もちろん、喜んで」
「あら、本当に可愛い可愛い弟を懲らしめるのに手を貸しちゃうのね。ふふっ」
何を言うのか。自分がエリーゼの味方だとわかっているくせに。
弟よりもエリーゼの方が大切だと思うようになったのはいつからだっただろうか?可愛かったはずの弟をどうでも良いと思うようになったのはいつからだったか?
結婚する前?
結婚した後?
それとも彼女を蔑ろにし始めた頃から?
自分を馬鹿にするようになってから?
自分でもよくわからないが、優先順位は明らかだ。
「お姫様に忠実な下僕ですから」
そう言うサイラスにまあと嬉しそうに笑うエリーゼ。その笑みを見ると思い出す。義兄なのだから敬称も敬語もなしにしてちょうだいと言われたときのことを。
彼女の名を呼んだ時に浮かべた彼女の嬉しそうな笑みを。
この笑みを見るとなんでもしたくなってしまう自分は義兄バカなのだろうか?