22.報い1
っふふふふふ……ぶっ…はははははは!
あー愉しい。今思い出しても気分が良い。
あの女の怒りを堪える澄まし顔は最高だった。
「ご機嫌ですね、マリベラ様」
「ふふ……あなたみたいな美しい男と一緒にいたら誰でも上機嫌になるわ」
マリベラは侯爵が所有する別邸にある自室のベッドで金で買った美しい男の顔を撫でながら先日のジャマル男爵邸での出来事を思い出し嗤っていた。
本来であればあんな醜い男反吐が出るのだが、彼女の夫というだけで最高の男に変わる。
なのだが……
「あの豚男爵もあなたみたいに美しかったら良かったのに。キモいし、重いし、なんか臭いし、上からモノを言うし最悪なのよね~。せめて痩せろっての」
最高の優越感をもたらしてくれるが所詮見た目も性格も最低な男。しかも上から目線でものを言ってくるし。不快感はやはり湧く。この前の時以上の快感はもう得られなさそうだし――。
「思いっきり振ってやろうかしら……ふふっ。あの女が抱いてもらえない男を私が振る…………ふふっ」
いいかもしれない。考えただけで身体に甘い痺れが走る。
男を押し倒して顔を近づけようとした時外が何やら騒がしいことに気づく。
ざわざわ……ざわざわ……
???
せっかく良い気分になっていたのに何だというのか。身を起こしたマリベラはドアに向かった。
しかし、
バン!
「マリベラ!!!貴様何をした!?」
ノブに触れる前にドアが開き父親である侯爵が怒声を上げながら入ってきたので足を止めた。
「お、お父様?」
こんな父は始めて見る。いつも可愛いマリベラ可愛いマリベラと言って欲しいものを買い与えてくれる、勉強なんてしなくて良いと言う優しい父。
それが目は血走り、冷や汗をかき、怒りからだろうかフーフーと荒い息を吐いている。
「ど、どうなさったのお父様?私何か「貴様!」」
胸ぐらを掴まれひっと息を呑むマリベラ。怖い。でもなぜこんなに怒っているのかわからない。
「エリーザ様に何を言った!?」
「エ、エリーザ様?あの……えっと…………」
困惑から思わず男に助けを求めるように視線を向けるが、そこには既に男の姿はなかった。
あの男逃げやがった。
強烈な怒りが湧くがそれどころではない。
「答えずともよいわ!エリーゼ様から話を聞いた妻から全て聞いている!お前はなんということをしてくれたのだ!」
あの女チクったの?なんて卑怯な女なの……!
マリベラの顔が憎悪に染まる。
「なんだその顔は!?自分がどれほど愚かな真似をしたかわかっていないのか!?」
「……っ。わ、私は何も間違ったことなど言っておりません!公爵家も侯爵家も同じ家臣ではないですか!それに事実を言っただけではありませんか!陛下から娘を男爵家に嫁に出せと命を下されたんでしょう?しかもあんなブサイクな男の元にですよ!?陛下とて公爵家が落ち目でなければそんなこと言えないでしょう!?」
「…………な、なんと、馬鹿な勘違いを」
あまりにもの衝撃にマリベラから手が離れた侯爵。その身体はふらりとふらつき従者が慌てて支える。
「勘違いってなんですか?だってお父様だってクソ公爵がとか調子に乗りやがってとか言ってたじゃないですか!だから公爵家のこと嫌いなのかと思って」
ああ、どうか夢であってほしい。なんなのだこの娘は……。確かに好きか嫌いかといえば公爵など嫌いだ、大嫌いだ。だが血筋も見た目もその能力も認めざるを得ない。
男の夢を具現化したような男に妬み嫉みを感じるなんて普通じゃないのか?だってなんかそんなの羨ましいではないか。だからこそ家でちょびっと貶しただけなのに。誰しも妬ましい相手やムカつく相手の悪口くらい家で言うではないか。
自分はおかしくない。おかしいのはこの娘だ。悪口の相手、しかも格上の相手の家族に普通は直接言わないだろう。しかも公爵家は――。
「聞かせる相手を間違えたようですね」
「アリアドネ……」
現れたのは侯爵夫人たるアリアドネだった。エリーゼと話をしていたマダムだ。アリアドネは侯爵には目もくれず隣を通り過ぎ、マリベラの前に立つ。
「……あ……あ…………の……」
震えるマリベラの身体をじっくりと眺めたアリアドネはすっと侯爵に視線を向ける。その鋭い視線に侯爵は冷や汗が止まらない。
「これがあなたの可愛い可愛い娘ですか?」
「す、すまない……まさかこんな事をしでかすとは思わなくて」
「あなたは愛人も可愛がっておられましたもんね。あの女に似たこの子も可愛くて可愛くて仕方ないのでしょう。私の娘以上に」
マリベラは侯爵と3年程前にこの世を去った愛人の間に生まれた娘だった。庶子であり、侯爵家の養子にも入っていない彼女はただの平民だ。
「そ、そんなわけないだろう?私たちの子供が一番可愛くて大切に決まっている。見た目も頭も比べるまでもないのに。こんな役に立たないやつどこかの貴族の愛人にでもしようと考えていたところだったんだよ」
「お、お父様……?」
ショックを受けるマリベラ。いつも優しく甘やかしてくれる大好きな父親。世間から厳しい父親と噂されているのを聞き、自分だけが愛されている子供だと思っていたのに。
妻に媚びへつらいなんとか機嫌を取ろうとする侯爵にマリベラは言葉を失う。
戸惑いを隠しきれないマリベラをアリアドネは一瞥した後、再び夫に視線を向ける。視線を受け、オロオロとする侯爵のなんと情けないことか。
「あなた……この子の愚行を知っていたのですか?エリーゼ様の夫と関係を持つなどあり得ないことですよ」
「知らなかった!本当に知らなかったんだ!きょ、興味のない相手の行動なんていちいち気にしないだろう?それに普通本妻の娘の婚約者の妹君の夫に手を出すなんて真似するやつがいると思わないだろう!?」
侯爵と夫人の間に生まれた長女はエリーゼの次兄の婚約者である。熾烈な争いの末、手に入れたその座。今回のことで破談でもおかしくなかったのだが、エリーゼの配慮により守られただけの脆い座。
「公爵家に対する不敬な言葉を口にすることさえ本来してはならないのに、侯爵家が公爵家に喧嘩を売っているなどとふざけたことを言ったそうですわよ。なぜその娘が侯爵家の意向を口にしているのですか?その娘は侯爵家のものではありませんよ?ただあなたの血を引いているだけです」
「わかっている。わかっているよアリアドネ。この娘を侯爵家の娘扱いしたことなんて一度もないんだよ。勝手に自分は侯爵家の娘だと思っているだけなんだ。でもほら平民が貴族に憧れるなんてよくやることだろう」
「ただの勘違い脳内花畑女ということですか?」
その通りだと何度も何度も頭を縦に振る侯爵。
「ですが、その勘違いにより我が侯爵家は破滅の危機に、娘は破談の危機に晒されたのですよ」
「も、もちろんだよ!本当にすまない!エリーゼ様にも正式に謝罪に行ってくるから!」
なんとか妻の怒りを鎮めようとする侯爵の身体は汗でぐっしょりと濡れ、服が身体に張り付いていた。