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21.マダム

 応接室に到着してから暫くありきたりな談笑を続けていたが、エリーゼの顔が急に曇る。


「どうかされましたかエリーゼ様、何か心配事でも?」


「……お恥ずかしながら私の夫が浮気しておりまして」


「?」


 今更それがどうかしたのだろうか。ジョーが浮気三昧なのは今に始まったことではない。それに対しエリーゼがどうでも良いと思っていることも周知の事実。


 マダムは首を傾げる。


「愛人は紳士の嗜みと男性たちは申しておりますが、その相手は選ぶべきだと思いませんか?」


「え、ええ」


 親戚とかライバル家とか我儘が過ぎる娘とか揉め事になるような相手はご法度である。


「最近夫が夢中になっている相手が侯爵様の血を引く娘なのですが……」


 その言葉にマダムの眉間に一瞬だけシワが寄る。その様を見たエリーゼは持っていた扇を開くと内緒話をするように口元を覆う。


「家に乗り込み、夫婦のベッドで……。夫も夫ですがその娘も少々常識がないと思いませんか?」


「………………左様でございますね」


「そのようなモラルのない娘にはどのような罰がふさわしいかと思案していると、彼女が面白いことを言うものですから……。私が手を下して良いものかと思い至りまして」


「面白いこと……ですか?」


 絶対面白くないことに違いないと思うがとりあえず聞く姿勢を崩さないマダム。


「ええ、その娘が言うのです。血筋が良いだけで何の取り柄もない公爵家。侯爵家が公爵家に喧嘩を仕掛けている。そして……………公爵家と侯爵家が同じ家臣だと……ふふ…」


「なっ!?」


 なんと無礼で命知らずな娘なのか。ライカネル公爵家は名ばかりの家ではない。決して血筋が良いだけではないのだ。建国時からの忠臣で、その功績に甘えず戦時中は敵将を討ち取り、経済危機に陥れば私財を投げ売って国を支え、国難をその知恵を持って乗り越えさせた名実ともに疑いようのない筆頭公爵家。


 どこの家よりも自身の身を削りながら帝国に貢献してきた一番の家臣。


 もちろん一番尊ばれているのは王家だが、ライカネル家なしにフラメリア帝国の今の発展はないと言われている。だから王家も大切にするし、度々娘や息子を嫁や婿に出し、時には迎え入れることで親密な関係を築こうと努力している。


 ごくりと息を呑むマダムにエリーゼは微笑む。


 フラメリア帝国一の女傑と言われる目の前に座るマダム。流石の彼女もあまりにもの常識知らずの小娘の言動に顔が引きつっている。なかなか見られぬ彼女の様子に口元が緩む。決してバカにしているわけではない。どんな女傑にも感情があるということがなんとも微笑ましいのだ。


「…………エリーゼ様、侯爵家は」


 そこで言葉を止めるマダム。エリーゼが手で制したからだ。


「それにその娘が言うのです。私はとてもお父様に可愛がられているの、と。私としましてはそれが何か?と思うところでしたが彼女はだからなんでも許されるとでも言いたげで……。ふふっ、いつから侯爵家にそんな傲慢さが芽生えたのでしょうね?」


 マダムの歯がギリ、と鳴ったがエリーゼは気づかぬふりをする。


「ああ、侯爵家ではなく侯爵と言うべきだったかしら?彼女はお父君のことしか言っていなかったし。公爵家を馬鹿にしているのも、その娘が私の夫を寝取るのも、そしてそれを見て見ぬふりしているのも……侯爵ですものね?」


 ね?と視線を向けるマダムの顔には笑顔が張り付いている。しかし、纏うは怒りのオーラ。怒りを抑えきれず膝の上で扇を握る手が震えている。


 暫く黙って震えていたが、ゆっくりと息を吐くマダムから怒りのオーラが徐々に消えていく。


「エリーゼ様」


 エリーゼに声をかけるマダムにはゆったりとした笑みが顔に貼り付くのみ。怒りのオーラはどこへやら。完璧な感情コントロールに流石という言葉しか浮かばぬエリーゼ。


「ほほほほっ。侯爵家がそのような無礼な考えを持つはずがありませんわ。身の程をわきまえぬ愚図で頭の悪い侯爵が愛娘の前でかっこつけようと大きな口をたたいたのでしょう」

  

「ふふ、そうですわよね」


 2人は笑う。


 エリーゼは目を細め、それにしても……と呟く。


「最近は何やら自分のことを過剰評価するものが多いですわね。自分の何を以てしてそのような自信が持てるのか不思議でたまりませんわ」


「真に」


 うんうんと頷くマダム。


「与えられたものをうまく利用するどころか、ただ溺れるのみ。人に迷惑をかける存在に成り果てるなんて嘆かわしい。沼にはまったものは他人の力無しにはなかなか抜け出せないものですけれど……」


 ただ引っ張り上げる義理も情もない相手はどうすれば良いか。


「まあ、エリーゼ様そんな自らの過失で溺れたものなど更に沈めて快楽の沼から奈落の底に落としてしまえばよろしいのですよ」


 情のない、どうでも良い人間は放っておけば良い。でも害を与えるとなれば別。見ているだけで害を与えられるのであればそこから引っ張り出すか、更に沈めて静かにさせるのかどちらかを選択せねばならない。


 エリーゼが取るべき道はもちろん一つ。


「エリーゼ様」


 すっと鋭い眼差しがエリーゼに向けられる。つられるように彼女の背筋も伸びる。


「はい」


「罰を与える権利をお譲りくださり感謝いたします」


「ふふふ、私が怒りを覚えているのは夫ですもの。あの娘には感謝しているくらいですもの」


「感謝……でございますか?」


 夫を寝取った相手に感謝とは。


「ええ、だって私の琴線を踏んでくださったんですもの。我慢こそ美徳、自分の中に許せない線を定め、そこに触れた時に動くべしと教育を受けてきたものですから今まで動く気になれなかったのです」


 そもそも興味がないので動く気になれなかっただけだが。ちょっと憐れな妻を気取ってみる。


「……女というものは損な性分にございますね」


 暗い表情になるマダム。彼女は我慢に我慢を重ねてきたよう。女傑と呼ばれる彼女ですらこうなのだ。世の女性はどれだけ鬱憤を溜め込んでいるのか。


 それとも愛する男がしでかしたことからは目を逸らしたくなるものなのだろうか。


「ふふふ、そうですわね。……ですが、いざとなれば容赦なく過激なことをするのが女かもしれませんよ?なにはともあれ最近は楽しくて楽しくて仕方ありませんの。ですからお裾分けです」


 確かにエリーゼは生き生きとし非常に美しい。もとから並外れた輝きを放っていたが、その比ではない。


「私も早くその味を味わいとうございます」


「また感想を教えてくださいね」


「はい、心得ております」


 頷くマダムは立ち上がると膝を曲げ胸に手を当て頭を垂れる。そんな所作も優雅なマダムにエリーゼは感心する。


「愚鈍な私があの男の愚行に気づかず、エリーゼ様に不快な思いをさせたこと深くお詫び申し上げます。我がブリンガー侯爵家は比類なき栄光輝くライカネル公爵家に弓引くつもりは毛頭ございません」


「ええ、わかっています。そんなことなさらないで。ほらお立ちになって」


 エリーゼは彼女の腕に手を添え立ちあがらせると、マダムの手をそっと包み込む。


「それではお楽しみください。――ブリンガー侯爵夫人」



 エリーゼは蕩けそうな程甘い微笑みを浮かべた。







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