16.懐妊
暫く最近の流行などありきたりな話が続いた。
そしてついに時は来た。
「そ、そういえば……お姉様ご懐妊お、おめでとうございます」
声は震え棒読みのセリフがヤハ夫人の妹の口から飛び出す。
「まあ、本当ですの!?」
「なんておめでたいのでしょう!おめでとうございます!」
これでもかとはしゃぐ愛人2人。とてつもなくわざとらしい。
「ええ、本当よ。ありがとう」
そう言ってお腹を擦るヤハ夫人。
少々芝居臭いがめでたいことはめでたい。その場はお祝いムードで明るくなり、エリーゼも当然おめでとうございますと口にする。
エリーゼと視線が交わったヤハ夫人の瞳に意地の悪い光が見えたのは気のせいだろうか。
「エリーゼ様お子様は?やはり貴族の夫人たるもの跡継ぎを産んでこそですもの。結婚なさって2年でしょう?お義父様は遠慮なさって言えないでしょうけれど焦った方がよろしくてよ?」
白い結婚のエリーゼに子供ができるわけがない。それはきっとジョーと結婚生活を続けるならばこの先もずっと。貴族社会で子供ができない女性は石女と蔑視される。
エリーゼが実際石女かどうかなど彼女たちにとってはどうでも良いこと。子供ができないのなら一緒のこと。
特に言葉を発するでもなく無言を貫くエリーゼにヤハ夫人は声を上げて思いっきり嗤いたかったがなんとか堪える。
自分は夫の子まで身ごもって、ジョーから女として選ばれて……なんと幸せなのだろうか。
ああ、気分がいい。ぞくぞくとした甘い痺れが全身を駆け巡る。ヤハ夫人はエリーゼに視線を向ける。どれほど惨めな表情をしているのか。
悲しみ?
痩せ我慢?
怒り?
はてさて………………………!
夫人の顔が蒼白になる。
エリーゼの顔は待っていましたと言わんばかりの満面の笑みだった。
「子供……ふふふ。嫌ですわヤハ夫人。夫と性交をしていない私にできるわけないじゃないですか」
「……は?……え?」
あっけらかんと白い結婚を認めるエリーゼにその場は混乱に陥る。
「でもそれにどんな問題があるのです?」
「どんな問題って……跡継ぎとか…………」
しどろもどろになんとか答えるヤハ夫人に対しエリーゼは軽く目を見開いた後、面白いと言わんばかりにクスクスと笑う。
「嫌だヤハ夫人。無職で領地もない、事業も展開していない、功績もない、もらったお金は全て使ってしまう男の何を継がせるっていうんですか?ないない人生ですかぁ?」
え、えー……自分の嫁いだ男への見事なディスリ。
「あ、あなた……な、なんてこと言うのよ。血よ……貴族にとってその高貴な血を後世に繋いでいくことが大事なのよ!」
おろおろとしながらもなんとか言葉を紡ぐがエリーゼの更なるお上品な笑みを誘うばかりだった。
「高貴な血……ふふ、でしたら私の血を遺せば良いですわね。歴史も功績もない貧乏男爵家の血を継いだところで誰がありがたがりますの?私に流れる公爵家の血ならばいざ知らず。あら、それなら私が誰かと結ばれちゃおうかしら。皆様良い愛人候補をご存知ありませんか?」
「「「!?」」」
モラルの欠片もない発言に衝撃を受ける顔に声を上げて笑いたいが堪えるエリーゼ。頬の肉が痙攣しそうだ。自分たちはもうすでにやっていることに衝撃を受けるとは。
なんとも不可思議なものである。
「私の血を受け継ぐことが大事なわけですし……主人と愛人どちらの子だろうと私の血が流れていれば問題ないでしょう?あら嫌だわ……私としたことが。主人とは白い結婚だからこの先妊娠したとしたら愛人の子確定ですわね」
「あ、愛人愛人と……しかもその相手との子供など少々冗談が過ぎるのでは……?」
顔を引きつらせる面々。愛人という言葉がお嫌いなよう。自分がその立ち場だからこその嫌悪だろうか。自分からその立ち位置に立っているのにドン引きとは……自分の存在を否定しているのと同じことだと思うのだが。
「あら、失礼。でも私思うのですよ?ご主人と愛人両方と関係を持っていた場合どちらの子かわからなくて困ってしまうのでは、と。うちはその心配がな「ふざけないで!」」
エリーゼは言葉を遮られたことは気にせず、口元を笑みの形に保ったままゆっくりと発声主のヤハ夫人に視線を向ける。
「この子は夫の子よ!」
ヤハ夫人が青褪めながら叫ぶ。冷静なエリーゼと激昂するヤハ夫人の様子に見ているものは嫌な胸騒ぎがして堪らない。
「まあ当然ではありませんか。そのように大声を出してはお腹の子が驚いてしまいますよ」
ただの例え話。しかし後ろ暗い事をしている彼女にはただ事ではすまないことのよう。
「夫……夫の子よ…………絶対に夫の子よ……」
宥めるエリーゼの言葉など耳に入らぬヤハ夫人は自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。その夫人の手にそっと手が重ねられる。
「エリーゼ…様……」
目が合うと優しく微笑むエリーゼ。だが夫人にはその顔は悪魔のように見えた。
「どうされましたのヤハ夫人?ご主人を愛し愛されているのですから当然愛人などいらっしゃらないでしょうし……。お腹のお子様はご主人の子に決まっているではありませんか」
「……ど、どうもしていませんわ。妊娠による体調不良かもしれません。私はこのあた「私思いますの」」
冷や汗が止まらぬヤハ夫人は離席しようとするが、エリーゼはそれを許さない。重ねた手をすーと撫でる。