13.公爵とサイラス
スタスタスタスタ
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足早に歩く2人の妨げにならぬよう廊下の隅に寄り、頭を下げる公爵邸の使用人たち。
猛スピードで歩いているはずなのに2人の足の動きは非常に優雅なのはなぜだろうか。それはその見た目によるものなのか、足の運びによるものなのか、単純に足の長さの問題か。
とにかく羨ましい容姿を持つ2人である。
「ついに私の天使が動くようだ」
使用人の前を通り過ぎながら口を開くのはエリーゼの父であるライカネル公爵だ。
「遅すぎるくらいだったのでは?エリーゼ様は忍耐強い方ですね」
忍耐強い?あの子はそんな性格ではない。決めたことはさっさと行動に移すし、我慢だってしない。興味がないので動かなかっただけに違いない。
「忍耐強いのは君じゃないか?サイラス」
公爵のやや後方を歩いているのはジョーの兄であるサイラスだ。
「得るはずのものを全て奪われたのに、平然としている」
その言葉にサイラスは苦い笑みを漏らした。
「こうやって公爵様の執事になり、十分なお給料も貰えているのに不満なんてありませんよ」
サイラスは彼を不憫に思った公爵から何か望みはないかと聞かれ、公爵邸で働かせて欲しいと願い出た。下働きから始め、見習い執事、執事、公爵の専属執事と2年程で大出世。
屋敷のことだけでなく、公務にも関わったりと多忙な日々を過ごしていた。
「特別な才能もなく、伝手もなかった私が公爵の専属執事なんて男の夢物語ですよ」
世は無情なもので才覚があっても飛び抜けていなければ、出世などできない。公爵の執事は信頼も大切、基本紹介ばかり。本来であれば縁もゆかりも無い元男爵家の息子がいられる場所ではない。
幸いなことに誰かに嫌がらせなどをされたこともない。自分の出自も勿論だが、エリーゼのジョーに対するあり得ない言動を考えればその家族を好意的に思えるわけがない。
なのに皆厳しくも優しい。一度酒の席でなぜかと聞いたら公爵家の使用人にそんな腐ったものはいないと叱られた。妬み、嫉み、家族の問題……そんなことを気にするものはいない。本人の能力、人柄を見る。
それが公爵家の使用人としてのあり方だと。
それが公爵家に仕える者としての矜持だと。
自分なんてという考えを持った自分が恥ずかしかった。
公爵が自分を雇ってくれたことにただ報いる、そう強く決めたのだ。
「本当になんの悪戯なのだろうか。お前ではなくあの男がエリーゼの夫になるとは……」
サイラスは政治家として、男爵として成功するかと聞かれれば微妙なところだ。頭も良いし、気も利くし、仕事もできる。
だが飛び抜けているわけではない。人に使われる方がこうしっくりくる感じがする。人の上でふんぞり返るタイプではない。
野心なしに出世できるほど王宮は甘い場所ではない。
だが、人柄は絶対にぜぇっっっったいにサイラスの方が良い。今だって非常に努力して仕事に食らいついているし、顔も自信がついたのか以前よりも更にイケてる顔つきになった。
横目でサイラスをじーっと見つめる公爵。公爵家の面々には及ばないがなかなかのお顔だ。茶色の髪は柔らかそうで思わず触りたくなる。すっと通った鼻筋、薄めの唇は優しそうに緩やかに弧を描いている。茶色の瞳は妙な色気があり吸い込まれそうだ。身長も高く何よりも足が長い。
エリーゼの横に立つのに十分な容姿。
「ままならないものだなぁ」
その呟きに笑うしかないサイラス。
ちらりと公爵を盗み見る。いや、あなたにそれを言われたら世の中の人は一体……。
ダラス・ライカネル。
フラメリア帝国の皇帝と皇后の間に長男として生を受け、いずれは帝国の頂点に立つはずだった男。
容姿端麗、頭脳明晰、人柄も穏やかでありながら苛烈な一面もあり、王にふさわしい子供だった。同母弟(現在の王)とも仲がよく、後継ぎ争いもなかった。
王になるべく生まれてきた王家の子。
12歳のとき彼の前に女神が現れるまでは。
ライカネル家の1人娘として変な虫がつかないように大切に大切に育てられた女神は10歳で始めて社交の場に登場した。
その美しさに、
その優雅な動作に、
その笑顔に単純に惚れたのだ。
あの手この手で彼女に近づき、その優しくも芯の通った性格にも惚れきった彼は猛アプローチをかまし、見事彼女の心を射止めた。
そして、皇太子の座を弟に譲って彼女と結婚してライカネル家に婿に入ると宣言した。
周囲の者が戸惑ったのは最初だけだった。
ライカネル家には男子の跡継ぎがいない。帝国では男子しか爵位を継げないので誰かが婿に入り公爵位を継ぐしかない。ライカネル家の婿の座は一つ。そこに王家の子が座るのも悪くないという判断だった。
というのは建前でどれだけ説得しても折れないダラスに皇帝の心がぽっきりと折れた。
ライカネル家の方でも王家さえよければ婿に迎えたいと申し出があった。帝国は女性でも財産を相続できる。そして離婚した場合元婿殿は爵位を手放さなければならない。離婚した場合は何もかも失うことになる。
なので身分が高く継ぐべきものがある人間は普通婿に入りたがらないものなのだ。即ち当主が認めるライカネル家にふさわしい優秀な婿立候補者がいない状態だった。
そんな中帝国一優秀である王子であるダラスが婿入りをしたいと言い出したのだ断る理由がない。
ダラスの頑固な姿勢とライカネル家からの圧に婚姻の許可はさっさとおりた。
弟は目をまん丸くして驚いていたが、まあいつ何時ダラスに何があるかわからないので覚悟をしておくよう教育されていた彼。今がその時なのか……と想定した事態とはちょっと違う感じだと思いながらも腹を括るのは非常に早かった。
そして愛する女性と婚姻、子供も男女に恵まれ、その婚姻相手も錚々たる顔ぶれとなった公爵家ファミリー。ダラスのブラコン気味の性質のお陰で王に全幅の信頼を寄せられ、貴族たちも口達者でシゴデキの彼に歯向かうものなどなかなかいない。
そりゃあ公爵として、王兄として非常に大変な仕事をしてままならぬこともあるだろうが、なんとも華麗なる人生と言えるものだとサイラスは思う。
まあそれはさておき――。
「エリーゼ様の手助けをなさるのですか?」
「…………まあ、エリーゼが求めてきたらな」
おや、私の天使とうるさい親父様がなんとも歯切れの悪い返事とは……。
「あの子は、エリーゼは……自分で策略を練るのが好きだからな。手を出すなと言われているし、下手に何か勝手にしようものなら……」
ぶるりと公爵の身体が震えたのは見なかったことにしておこう。
「私はあの子が求めてきた時に動く。だがサイラス、お前はあの子を見守ってやってくれ。何か自分からする必要はない。地獄に叩き落とすことに決めたようだが、やはりお前の弟だし、あの子もお前には悪いと思っているようだ」
きっとサイラスが彼へ罰を与えることを許してくれればあの子も色々と気持ち的にも動きやすいだろう。サイラスには少し酷かもしれないが……。
「公爵様、私は非情な人間なんでしょうか?」
「?」
「地獄に落とされて当たり前、むしろ落ちてしまえと弟に思ってしまうのですから」
「…………そうか」
安堵したような複雑な表情を浮かべる公爵。
「それに父も同じ気持ちですから」
ジョーがエリーゼを蔑ろにし始めてから隠居していた父は慌てて、エリーゼと公爵の元に飛んできた。その姿は痩せ細り、床に頭を擦り付け謝る姿は気の毒な程だった。
2人は叱責することなく夫婦の問題だとし、父を安心させようとしたが納得しなかった。何か償いをさせてほしいと言って聞かない父に公爵は邸の庭師の仕事を与えてくれた。
いつだったか父が言っていた。
「こんなによくしてくれている公爵様やエリーゼ様にあいつはなんと非道なことを……きっとあいつには天罰が下るだろうな。いや、地獄に落ちるべきなんだ、ジョーは」
そんな言葉を吐きながらどこか悲しそうな顔をしていた父。きっと父もエリーゼが行動を起こすことに安堵し、喜ぶと思う。多少は複雑かもしれないが――。
だが、仕方ない。
ジョーはそれだけのことをしてしまったのだから。そして、その父も兄である自分も彼が受ける罰を受け止める必要があると思うから。
「ところでエリーゼ様は何をなさる気なんでしょうか?」
「う……む……まぁ、なんだろうな?」
昔から娘の奇行はよくわからない。滅茶苦茶なことをしておいて、彼女の評判が上がったときは世の中とはどうなっているのかと天を仰いだものだ。
サイラスはその困ったような表情を見て、顔を引きつらせながらエリーゼに思いを馳せる。
はてさて、彼女は今一体何をやっているのだろうか――。