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1.踏まれた地雷

「あなた……いい加減になさいませ」


「くくっ……なんだよエリーゼ。深層のご令嬢もそんなふうに怒ったりするんだなぁ!」


 ブルブルと怒りに震える美しい女性の声と身体。彼女の前にいるのはベッドに腰掛ける上半身裸のふくよかな男。本気の怒りを馬鹿にするかの如く下卑た笑いを浮かべている。


「ジョー様ぁ、虐めてはダメよぉ。エリーゼ様は公爵家のお姫様ですもの。怖ぁい公爵様にお叱りを受けてしまいますわぁ」


 そう言ってベッドの上でジョーの胸にシーツを巻いただけの身体を押し付ける化粧がけばけばしい勝ち気な女。


「はっはっはっ大丈夫だよマリベラ。公爵様は何も言ってこないさ。これまでどれだけ俺が浮名を流そうとこいつに酷いことを言おうとお叱りを受けたことなんてないからな」


 一旦そこで言葉を切り、ニタァと実に醜い笑みを浮かべるとエリーゼに向けて言葉を放つ。


「旦那に蔑ろにされてるのに助けてもらえないなんて、お前実家から捨てられたんだなぁ」


「ひどぉいジョー様」


 こちらもまた一旦言葉を切り、エリーゼに挑発的な視線を向けて言う。


「そんな本当のことを言ったら可哀想じゃない、ねぇ?あ、エリーゼ様泣かないでくださいね?鬱陶しいですからぁ」


 きゃはははははと声高く笑うマリベラの声に酒ヤケで掠れる低い笑い声が重なる。ちなみにエリーゼの目に涙は浮かんでさえいない。カラッカラである。


「ジョー。自宅に愛人を連れ込むのはマナー違反です。それにそのベッドは私たち夫婦のものです。そこで致すなど……いくらなんでもやりすぎです」


 笑い声に動じることなく冷静にエリーゼは夫を諌めようとする。その目には怒りの炎が揺らめいているが、2人は気づかない。


「私たち夫婦のものだってぇ!」


「1回もお前とは使ったことがないのに何が夫婦のものだ!なんだお前抱かれたかったのか?欲求不満か?深層の令嬢も娼婦と変わらないな!」


 更に人を馬鹿にしたような表情をし、下品な笑い声を出し続ける2人。どんな顔をしているのか鏡で見せてやりたい。


 彼らにとっては勝利の甘美な笑みのつもりかもしれないがとてつもなく醜い。


「えー、ジョー様とこんなことをしている私も娼婦ってことぉ?」


「そんなわけないだろマリベラ。俺たちがしているのは愛の営みだ」


「ふふふ……嬉しいジョー様…………」


 ぐっと更にジョーの胸元に身を寄せるマリベラ。


 えー……それで良いのかマリベラ嬢。


 むにょんとジョーの豊かな胸元に沈むマリベラにエリーゼはちょっと引いた。


 どうだと言わんばかりに挑発的な目を向けてくるが、全く羨ましくないし、正直絵面的にもきついのでご勘弁願いたい。


 ふーと自分を奮い立たせるように息を吐くエリーゼ。


「マリベラ様……侯爵様の娘であらせられるあなたのこのような愚行、お父君はご存知でいらっしゃいますか?」


「もちろん知ってるわよ。あなたの父君と違ってお父様は私のことをとぉっても可愛がってくれているもの」


 羨ましいでしょうと言わんばかりのマリベラにエリーゼは左様ですかと白けた視線を向ける。それがマリベラの嗜虐心に火をつけた。


「あなたも可哀想よね。昔は公爵家の姫として何不自由なく家族にも使用人にも愛されてきたのに。ふふっ……男爵家に嫁いだ途端用無しとばかりに交流を絶たれて。惨めだわぁ……ぶっ、くくっ。ああ、怒らないでね?事実を言っただけで悪気はないのよ?」


 大事にされてきた分今の状況がとれほどエリーゼにとって辛いものか。それを想像するとマリベラは愉しくて愉しくて仕方がない。


「実家に捨てられて、ジョーにも蔑ろにされて可哀想なエリーゼ様。あげく他の女に旦那を奪われて……ふふ、でも仕方ないわよね?私の方が魅力的だもの。ごめんなさいねぇ?ジョーを奪っちゃって!あなたたちの仲を壊しちゃってぇ!」


 ああ愉しい!愉しくて仕方ない。この美しい元公爵令嬢に好き勝手言えるなんて。虫唾が走るのだ……その自分以上の美貌を誇る顔なんて。高貴な血なんて。


「まあ……マリベラ様は公爵家に喧嘩を仕掛けているということで宜しいでしょうか」


「は?」


 エリーゼの声がワントーン下がりその背には炎のようなものが揺らめいて見える。気高き一族が放つ威圧感。マリベラはその迫力とそしてその内容に一瞬どきりとしてしまった。


「な、なんで今の話に公爵家が関係してくるのよ!?」


「私をここに嫁がせたのは公爵家です。その夫婦の関係を壊そうという行為は公爵家の意向に反するものではないのですか?」


 え?そうなの?マリベラは残念なことにあまり頭の出来がよろしくなかった。


「それに侯爵様が黙認されておられるということは侯爵家が公爵家に喧嘩を仕掛けようとしているということですわよね?」


 もしかしてやばい感じ?冷や汗をかくマリベラ。


 だがそこで気づく。


 父はよくクソ公爵家がクソ公爵家がと家の物を壊しながら言っている。マリベラにも愚痴を零す。ということは父は公爵家が嫌いということ。それに父だって悪く言っていたのだから、公爵家に逆らう行為をしようが構わないのでは?


 むしろあれは私にエリーゼを虐め抜き、公爵家をも愚弄しろというアピール?うん、きっとそうだ。


「そうよ!」


 勝手にエリーゼの言葉を認めるマリベラ。


 エリーゼはそうですかと言うだけで表情を変えない。だからこそマリベラは気づかない。自分がどれだけの愚行を犯してしまったのか。


 そして更に調子に乗る。


「さっきから公爵家公爵家って何よ!何様よ!うちだって侯爵家で偉いんだから!所詮同じ家臣よ!」


 そうだ、何を弱気になることがあるのか。少し冷静になったマリベラは先程エリーゼに怯んでしまったのが猛烈に悔しくなってきた。


「そもそも陛下に嫌われてる公爵家なんて怖くないわよ!あんたが格下の金も地位もない男爵家に嫁がされたのだって元は王命でしょ?は!血筋が良いだけでなんの取り柄もない公爵家なんかお呼びじゃないのよ!」


「……マリベラ様の、いえ侯爵家のお考えはよくわかりました」


 静かでありながらよく通るその声にマリベラは苛立つ。なぜこの女は取り乱さないのか。いつだって気高くて、美しくて――怒っている姿さえ美しいなんて。


「おい!さっきからお前は何様なんだ?公爵家公爵家と!こちらのマリベラは侯爵令嬢でお前は男爵夫人だ!どちらが偉いかもわからないのか?公爵はお前を甘やかすばかりでまともな教育もしなかったみたいだなぁ!ははは!公爵なんて血筋だけ立派なオヤジってか!はははははは!お前の家族はお前が蔑ろにされてるのに父親も母親も兄も姉も男爵に物申すこともできないビビリばかり……ただの俺の金蔓公爵家がなんだってんだ!」


「やだぁジョー様、怖い物知らず」


 ピトリと人差し指をジョーの口元に当てるマリベラ。


「でもとってもす・て・き」


 その言動にジョーの手がマリベラの腰を撫で回す。


 エリーゼはその見るに堪えない姿からすっと目線を逸らす。


 それに気づいたジョーの鼻が膨らむ。エリーゼが傷つく様が、嫌がる様が愉快で仕方がない。彼女は別にそういう意味で逸らしたわけではないのだが……。


「おい!これからまたお楽しみだっていうのに気が利かない女だな!早く出ていけよ!」


「ジョー様、そんな大声出したら泣いちゃいますよぉ?もっと優しく言わないと」


 ジョーの首元に手を回しながら挑戦的な視線をエリーゼに向けたマリベラは言う。


「エリーゼ様もご一緒にいかがですかぁ?」


「おいおい、こんな面白みのない女の相手をするなんてごめんだぞ!」


「あらぁごめんなさぁい。あなたの旦那様はあなた相手では無理だって。気を使ったつもりだったけど、恥をかかせちゃったかしら?」


 きゃははははと品なく笑うマリベラにぎゃははははと同調するジョー。



 エリーゼは何も言わず夫婦の寝室から出た。




 扉が閉まったため2人からは見えなかったが、





 エリーゼの背後には人の目には見えぬ炎が揺らめき、


 その顔は


 地獄行きを宣告する凄みのある閻魔様の如き形相だった。






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