身代わり
K氏は、うんざりしていた。世の中には、参加しなければならないが、全く無意味な時間が多すぎる。会社の退屈な研修、気の進まない親戚の集まり、地域の奉仕活動。人生は、そういったもので削られていく。
そんなある日、K氏はネットの片隅で奇妙な広告を見つけた。「ライフ・サブ社」。それは、精巧なアンドロイドを「身代わり」としてレンタルするサービスだった。
『あなたの個性、記憶、口癖を数時間でインストール。どんな場面でも、あなたとして完璧に振る舞います。あなたの時間を、あなた自身に取り戻しませんか?』
価格は安くはなかったが、K氏は試しに、週末に控えた業界団体のゴルフコンペに、身代わりを送り込んでみることにした。当日、彼の家にはもう一人の「彼」がやってきた。見た目も声も、鏡の前に立っているかのようだ。
結果は完璧だった。身代わりは、当たり障りのない会話をこなし、そこそこのスコアで回り、丁寧な礼状まで送っていた。K氏自身は、その間、家で好きな映画を一日中見て過ごしたのだ。
味を占めたK氏は、あらゆる面倒事を身代わりに任せるようになった。部長の長い自慢話を聞く会合、妻の買い物への付き添い、子供の授業参観。身代わりは常に完璧な仕事をした。彼は、人生の「面倒な部分」をすべて切り離すことに成功したのだ。
ある年の夏、妻が子供を連れて一週間、実家に帰省することになった。当然、K氏は身代わりに行かせた。彼は一人、解放された一週間を満喫した。
一週間後、玄関のドアが開いた。妻と子供たちの、楽しそうな声が聞こえる。
「ああ、楽しかったわね。お父さんと一緒だと、やっぱり最高だわ」
「うん! お父さん、昔より優しくなった!」
K氏はリビングのソファでくつろぎながら、その声を聞いていた。どうやら、身代わりは父親役も完璧にこなしたらしい。
やがて、リビングに妻が入ってきた。そして、ソファに座るK氏を見ると、少し驚いたように、しかしにこやかに言った。
「あら、ライフ・サブ社の方でしたか。わざわざメンテナンスに来てくださったのですね。うちの主人がいつもお世話になっております。さあ、どうぞこちらへ」
妻は、玄関の方にいる「もう一人の彼」を手招きしている。K氏は、何が起きているのか理解できないまま、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。玄関のドアが、静かに閉まる音がした。