第十七章 - 青春時代② 高校生活 Ep.5:フロスティに首ったけ!
<エリスの高校生活⑥ 決定!課題曲!>
次の週の金曜日、また放課後に空き教室で集まることになったバンドメンバーたちは、そこで今後の方針などを話し合うことになった。あれからエリスがベースを買ったことや、エミリーがドラムを買ったことはメンバー全員の耳に届いていたし、何ならソフィーも同日にキーボードを手に入れていたようで、そのチョイスもまた彼女らしかった。
キーボード本体は『Yamaha MODX6+』という、ピアノやストリングスなどのアコースティック音声に定評がある61鍵盤の高機能シンセサイザーで、アンプが『Roland KC-600』という、ナチュラルな音質を安定出力する200Wの物で、その他スタンドやサステイン・ペダル、ケースなどをセットにして驚異の1300フラン(約22万円)の買い物だったようだ。彼女いわく「ワタクシに相応しい機材を選んだまでですわ」だそうな。さすがブルジョワである……。
「お嬢、ベースの練習は進んでるかい?」キアラがニマニマしながら聞くと、エリスが「うん、毎日頑張ってるよ」と両手を開いてみせる。各指先に豆ができているのが、彼の頑張りを示す何よりの証拠だった。「やっと普通のピッキングとフィンガーピッキングでリズムを正確に刻めるようになってきたから、一昨日からクロマチック練習とスケール練習を始めたんだ。でもフィンガリングって難しいね? 16分音符になるとまだモタモタしちゃうよ」
「BPMはどれくらい?」とキアラが聞くと、エリスが「70~90で練習してるよ」と答えたので、彼女は「おっしゃ! たぶんお嬢なら来週には、120で各スケールの16ビート弾けるようになってそうだな!」と希望的観測を語る。大体そのくらいまで弾けるようになれば、大抵の曲なら演奏できる算段だった。彼もそのつもりのようで、「頑張ります隊長!」と嬉しそうに敬礼する。「それで、エミリーの方はどう?」
「アタシも精進してやすぜ、旦那~」エミリーが、暗がりで佇む武器商人のような怪しげな態度で告げる。彼女はこれまで週3日で空手の稽古に通っていたのだが、今はそれを週2に減らしてまで、貴重な時間をバンド活動に充ててくれているようだ。今週は月・火・木曜日の放課後に、キアラの家にて彼女監督のもと、午後7時までみっちり練習していたエミリー。しかし、よほど熱血指導なのだろうか? ふと彼女が右手の傷跡を見せて嘆く。「映画『セッション』ばりにしごかれて、昨日なんか手から血出ちゃったもん……」
「それはあんたがウチの猫にちょっかい出して、引っ掻かれたからでしょうが!」思わずキアラが突っ込む。実際の練習はあの映画ほど厳しくはなかったが、その成果は確実に出ていて、彼女の四肢は順調にコーディネーションしつつあった(つまり各部位を分離してリズムを刻む感覚が、彼女の身体で目覚めようとしているのだ)。ボケを気持ちよく拾ってもらったエミリーは、「デブ猫のパンチ力えぐすぎ!」とキャハキャハ笑った。
「まぁエミリーのことはアタイに任せときな! 彼女もかなり筋がいいから、来週には基礎を習得できそうだよ!」そう全員に向けて言ったキアラは、「そこでだ――」と机から跳び下りて、エリスたちの目を引き付けながら教室前方へと歩いていく。「再来週辺りからだな、アタイら全員の技術向上と、バンドとしての音の調和を完成させるために、みんなで一つ『課題曲』に挑戦してみようと思うんだ。だから今日は、その楽曲を選定しようってことで、こうしてあんたらを呼び寄せたわけよ! そんで――」一番前の壁まで来た彼女が、そこにあったホワイトボードを叩く。「誠に勝手ですまんが、今回はこのリストから選ぼうと思う!」
彼女の示したボードにはこんな文字が書かれていた。
Morceaux faisables(いけそうな曲)
・Amaranthe - Endlessly
・Amberian Dawn - He Sleeps in a Grove
・Battle Beast - Eden
・Battle Beast - World On Fire
・Carmina Mea Lenia - Stellaris Symphonia
・Dawn Of Destiny - Life
・Delain - Are You Done With Me
・Fairyland - End Credits
・Horizons Edge - Heavenly Realms
・Luca Turilli - Mother Nature
・Lunatica - Hymn
・Nightwish - Storytime
・Nightwish - Amaranth
・Visions Of Atlantis - Twist Of Fate
・Xandria - I'd Do Anything For Love (But I Won't Do That)
Morceaux (probablement) trop durs(たぶん無理な曲)
・Ancient Bards - A Greater Purpose
・Ancient Bards - Aureum Legacy
・Dark Moor - A New World
・Dark Moor - The Night Of The Age
・Epica - The Second Stone
・Frozen Crown - Everwinter
・N0ne Ov ArKyneD - Unfairly tale
・Sirenia - Seven Widows Weep
・Unleash the Archers - Abyss
・Vandroya - Change The Tide
「ここに書かれてるのは、アタイが独断と偏見で絞り込んだ、メタル界きっての選りすぐりの楽曲たちだ。第一に『メインヴォーカルが女性である』こと、第二に『テンポが速すぎない』こと、第三に『超絶イケてる』ことを条件として選出した。まぁ正直、初心者がいきなり手を出すにはハードすぎる曲も含まれてるが、目標は高いに越したことはないってことで!」そこでソフィーが挙手しているのに気付いたキアラが、意見を聞くために話を振る。「はいよ、何だいソフィー?」
「どうやってこのなかから選ぶんですの? ワタクシ失礼ながら、一曲たりとも存じておりませんわよ?」彼女はやはり乗り気ではなさそうだ。『どうせ演奏するならショパンやモーツァルトがいいですわ』と顔に書いてあるのだ。
「いい質問だ!」キアラがチャットAIみたいな切り出しでソフィーの質問に答える。「選定方法は投票制で、今からアタイがこのスピーカーを使って、リストの曲を上から順番に再生して聞かせるから――」彼女が鞄から携帯用ステレオ・スピーカー・アンプを取り出す。「イントロから最初のコーラス辺りまで再生したところで、各人その曲を『演奏してみたい』と思ったなら挙手してほしい。アタイがその人数をホワイトボード書いていって、最終的に最多票数を獲得した曲を、今回の課題曲に決めようと――何だいソユル?」
続いて発言権を得たのは、転入生のソユルだった。彼女は先週の初顔合わせのときにエリスたちと自己紹介し合っていたが、まだ馴染んでいないのか遠慮しているのか、必要に迫られたとき以外には発言しない大人しい子だった。ソユルがエリスたちの一つ下の学年(中等部3年)ということも関係してるのかもしれない。凄腕ギタリストとのことだったが、未だエリスたちにしてみれば、その実力や素性は未知数の存在だった。キアラは彼女のことをYoutubeやInstagramで知ったようだが……。そんな彼女が珍しく自主的に口を開いたのだ。
「あ、あの……ヴォーカルはエリスさんですよね? 今回のカヴァ―でもベースを弾きながら歌も歌うんですか? いきなりだと大変じゃないですか?」ソユルの質問内容は、自分ではなくエリスを案じてのものだった。そんな些細な気遣いがエリスの心に染み渡る。ありがとうソユルちゃん……まだお互い、あんまりお話もできていないけど、僕たち少しずつ仲良くなっていこうね――。
「モチ、できればそうしたいところだけど、今回は楽器メインで考えて、余裕がありそうなら歌も、ってスタンスで行こう!」キアラが気楽そうに答える。がしかし、彼女はてんで歌が苦手なタイプだったので、それを楽器演奏の傍ら行うなんて考えただけでゾッとしたし、エリスの負担が途方もなく大きいことは重々承知していた。すまねお嬢、たぶん挫折させちまうことになるかも――。「そいじゃ早速、曲決めに入ろう! まず一曲目――」
そんなこんなで、順番に楽曲を試聴していった彼ら。途中アレルギーでぶっ倒れるかと思われたソフィーだったが、キアラの選曲がよかったこともあり、「なるほどね、ゴシックやクラシカルと言われる意味が分かりましたわ」と、存外このジャンルへの理解を示してくれた。投票はしばらく一曲目の『Endlessly』が5票でトップだったが、後に『Stellaris Symphonia』と『Hymn』、『Storytime』、『I'd Do Anything For Love』がトップタイになり、決選投票が行われることになった。
そしてその結果として、記念すべき最初の課題曲は『Carmina Mea Lenia』の『Stellaris Symphonia』に決定した。エリスとしては大好きな『Fairyland』や『Lunatica』の曲を推していたのであるが、ギターの重要度が低い楽曲ではギタリストたちが投票せず、シンセやストリングスの重要度が低い楽曲ではソフィーが投票しなかったため、こういう結果になった。まぁエリスはカルミナ・メア・レーニアも好きだったし、特に異存もなかったのだが、懸念すべきはそのヴォーカル負担の高さだった。
大丈夫かな? あんな高音で歌いながらベース弾けるかな? いや、そもそもベースだけでも難しいんじゃ? そんな不安は消えなかったが、決まった以上は一生懸命に取り組んで、自分の限界に挑むぞと意気込む彼。そうだ、頑張れエリス! ともかく今は練習あるのみである! だって努力は決して無駄にならないのだから。
※例によって、歌詞権利上の理由で今回選抜された楽曲は私の創作です。実際にはエリスたちは『Nightwish』の『Storytime』を選んでいます。
<エリスの高校生活⑦ フロスティに首ったけ!>
その日、午後5時に帰宅したエリスは、手洗い・うがいをしてから、急いで二階にある自室へと上がっていった。もう早くベースの練習がしたくて仕方なかったのである。自室の扉を開けた彼は、口元をヘニョッと緩ませて、愛するパートナーへと迫っていった。
「うへへぇ、会いたかったよフロスティ~!」
『フロスティ(Frosty)』とは彼が愛機Ibanez SR300E Night Snow Burstにつけたニックネームだった。彼は夜の雪みたいな外観のベースくんが、霜の妖精『ジャックフロスト(Jack o' Frost)』を連想するとして、そう名付けたのである。何とも痛々しいことに……。
「僕がいない間、寂しくなかった?」彼がフロスティに話しかける。当然返事はなかったが、彼には何やら聞こえているようで、「えっ、本当に? 嬉しい! 僕も寂しかったよ~」と感激しては、その道具に抱きついてしまった。この情景をカイトやテムバ、ソフィーが見たらどう思うだろうか? きっとフロスティは今晩中に暗殺されることだろう……。
「じゃ、早速しよっか?」そう言ってフロスティをベッドに連れていき、自らも服を脱ぎ始めるエリス。ちょ、するってまさか!? フロスティがそんなアブノーマルなプレイを期待したのもつかの間、彼は部屋着に着替えてから、アンプから伸びたシールドケーブルの先端を持ってきて、ベッドに横たわるフロスティに覆いかぶさった。
「じゃ、挿れるよ」彼は端子を慎重にフロスティの穴に挿し込んでいき、「痛くない?」とネックを摩った。だからそんな嫌らしく聞こえるセリフを逐一吐かないでってばエリスゥー! そんなフロスティの叫びなど露知らず、彼は「変な感じしたら言ってね?」とアンプの電源をオンにし、音量ノブなどを摘まんで調節していく。してるっ! ずっと変な感じしてるよエリスゥー! 僕ちゃん恥ずかしくって堪んない!
「今日はまた音階練習をプレイしようと思うんだ」彼がフロスティを担ぎ上げて、ベッドに腰かける。「僕も指使いが上手くなってきたから、きっと君を満足させられると思うな」だ、だからぁ……。「じゃ、チューニングするね?」彼が僕のイイところをピンッピンッと弄ってきて、思わず僕も低く悶え声をもらしちゃうんだ……。ボーンッ、ボーンッって……。はっ! いけないいけない、彼の思わせぶりなセリフに乗せられて、僕ちゃん気が動転してたみたい!
「うんっ! 今日もバッチリ合ってるね!」僕ちゃんが優等生すぎたのかな? できればエリスにぺ、ペグ! 弄ってほしかったんだけどな……。「それじゃ、始めるね?」彼がスマホのメトロノームをオンにして、ポッポッポッピッと電子音が流れ出す。彼はそのリズムに合わせて、僕のあんなところやこんなところを弄り回すんだ。あっ、あんっ! エリス……だ、だめぇ……。
「ふふっ、気持ちぃねフロスティ?」メジャー・スケールをノーミスでクリアした彼は、そのままナチュラル・マイナー・スケールへ移行していく。ごめんなさい、ごめんなさい! 全部僕ちゃんが悪かったの! 君のセリフにエッチな解釈を当てはめて勝手に悶々としてたのは僕ちゃんの方なの! だから、もう許してぇ~!
「僕たち、相性抜群だね!」ナチュラル・マイナーもフルコンボした彼は、最後の難関ハーモニック・マイナー・スケールに突入する。はっ、はっ……ぼ、僕ちゃんもうイきそうだよ……。聞いてるかいエリス? 僕イっちゃう! イっちゃう!
そのとき――ちょうど3弦11フレットから始まるG#スケールの下降局面に差し掛かっていたとき――だった。「バイーンッ」といって彼の小指が弦から弾かれてしまう。ここまで積み重ねてきたフルコンが、ついに途絶えてしまったのだ。「あー! もうちょっとだったのに!」堪らず演奏を中止する彼。いや、こっちのセリフだよっ! 寸止めを食らったフロスティが憤慨する。も、もう! 勝手に始めたんなら、ちゃんと最後まで責任取ってよね! じゃないと僕ちゃん……もう――。
「ごめんね、僕が下手っぴなばっかりに……あ痛っ」エリスが左手の平を見て、その小指にできた水膨れが潰れているのに気づいた。神経が露出して、ズキズキと痛む。彼は絆創膏を貼るために一旦フロスティをベッドに預けて、独り一階へと降りて行った。ちょ、エリスゥー! 僕このまま待ってなきゃダメ? 何なら君の愛液もっと擦り付けてもいいだよ? ねぇってば! うわーん! 放置プレイなんて切ないよぉ!
「お待たせフロスティ」エリスが戻ってきた。その左小指には絆創膏が巻きついている。「ごめん僕、もう今日は小指使えないかも。だから、君との練習はお終いにして、本を読んだりして勉強しよっかなって……」えぇ!? 冗談だよね!? よ、よくもそんな酷いことを!「うぅ……そんな顔しないでよフロスティ……僕だって悔しいんだよ?」嘘だ! 僕ちゃんのことなんか、どうでもいいんでしょっ! 好き勝手に弄んだあげくポイッなんて……も、もうエリスなんか嫌いだ!
そのとき、「シャリーンッ」という通知音が鳴って、エリスがスマホをのぞき込む。届いたのはキアラからバンドメンバー全員に宛てられたメッセージだった。そこには一つのURLと一緒にこうあった。『Stellaris Symphoniaのバンドスコアがこのサイトで見られるよ! 各自気が向いたら目を通すなり練習するなりしておくこと!』URLを開くとWebブラウザが起動し、楽譜画面が表示される。再生ボタンを押すと楽譜が進行し、それに伴って自動演奏の音声が流れ始める。
耳を澄ませて音楽を聴きながら、表示されるベースのTab譜を目で追っていく彼。す、すごい……。もしこれをみんなで弾けたなら、どんなに素敵だろうか――。結局、丸まる一曲分の再生が終わるまで彼は、その場に立ち尽くしたままスマホに釘付けになっていた。それからスマホをベッドに置いた彼は、無言でフロスティを抱きかかえ、ストラップを肩に引っかける。
「フロスティ、さっきはお終いなんて言ってごめん。もう少しだけ付き合ってくれる?」キアラから来たメッセージが彼の心に火をつけたようだ。やるんだ! もっと練習して、上手になって、みんなで絶対この曲を演奏するんだ!「小指を使えなくたって、できることはあるんだ。そう、ペンタトニック・スケールなら! よしっ! なら右手も新しいことに挑戦してみよう――」彼は教本を開いて、スラップ奏法について書かれたページを見つける。スラップ奏法とは親指を弦に叩きつける『サムピング』と、人差し指や中指で弦を引き弾く『プリング』という二つの技術を使用する奏法である。
「ちょっぴり乱暴になっちゃうかもだけど、君を怪我させたりしないよう気をつけるから、ちょっとだけ我慢してね? えいっ――」彼が4弦をサムピングすると、パイーンッというアタックの強い音が鳴る。「うわー! 歯切れが良くって気持ちい音! 次はこれっ――」彼が2弦をプリングすると、ポインッと弾むような音が鳴る。「うーんグルヴィ~♪ ねぇねぇ、フロスティはどんな感じ?」
当のフロスティは悶絶していた。さんざん焦らされた後で手荒に扱われたことが、言いようのない快感を呼び起こしたのである。し、知らなかった……こんなにも僕ちゃん、マゾ気質だったなんて……やっばぁ……つい甘イきしちゃった……。新しい扉を開けてしまったフロスティのなかに、未知の欲望が沸々と湧き上がってくる。あぁぁぁぁもっと打ってぇぇぇぇぇ! そんなんじゃ満足できないよエリスゥゥゥゥゥ! もっともっとぉぉぉぉぉぉ!
「そっか! 君も気持ちいんだね? よーしっ、それじゃスラップでペンタトニック・スケールいっちゃうよー!? それぇ――」彼は音階に沿って、サムピングとプリングを交互に繰り出していく。あうっ――いいよっ――それっ――最高! フロスティが悦びの声を上げるたび、エリスも笑顔になっていった。「すごい。音の粒が際立って、君の声がこんなにもはっきり聞こえるなんて……」もっと、もっと聞いてっ! 僕ちゃんの淫らな声もっと聴いてぇぇぇ!
くっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ! んっんっ――。
こうして今日も、エリスとフロスティの蜜月の日々は過ぎていった。毎日優しいパートナーにご奉仕してもらえて、言葉にならないほど幸せなフロスティだった。『べ、別に感じてなんかないんだからなっ! 本当だからなっ!』by フロスティ




