第十六章 - 青春時代② 高校生活 Ep.4:キミに決めたっ!
<エリスの高校休日① キミに決めたっ!>
次の日曜日、エリスは父親のサミュエルと一緒に、ニヨンから北東方向のモルジュ(Morges)という町にある『Boullard Musique SA』という楽器店に来ていた。数日前に彼が、「バンドを組んだからエレキベースが欲しいんだ」と家族に伝えたところ、両親も祖父母も快く賛成してくれた。これまでは特に何か習い事をしてたり、塾に通っていたりしたわけではなかった彼が、初めて自主的に『挑戦したい』と主張してきたことだったので、家族一同大喜びの様子だった。
そんなこんなで、今日は近辺で一番大きくて評判のよかった楽器専門店に来ているのである。祖父母と両親が一部貯金を切り崩してくれるとのことで、予算は1000フラン(約17万円)ということに決まった。エリスは「そ、そんなには必要ないと思うよ」と遠慮したのだが、父は「まぁまぁ、せっかくの機会だから、良い物を使いなさい」と言ってくれた。
店内に入った途端、目に飛び込んでくる色とりどりの楽器たち。壁に掛かったたくさんのギターやベース、床に置かれた大きさ様々なアンプ類。「うわぁ~」エリスは思わず心が躍る。このなかから運命の楽器との出会いがありますように、と願う彼だった。
「ごめんください」父が店員を捉まえる。それは入社四年目の若い男性店員だった。「息子がこれから始めるエレキベースを探しにきたのですが、何分私は素人なもので、よければお手伝いいただけますか?」彼の要望に対しその店員は、「喜んで。ではこちらへどうぞ――」と丁寧に接客し、二人をベースコーナーへと導いていく。そのとき彼は態度にこそ出さなかったが、エリスをひと目見た瞬間から動揺しまくっていた。『えっ? 息子? あの子が? えぇっ!?』
「こちらにありますのが、全てエレキベースになっております」目的区画に着いたところで、店員が壁の一画を手で示す。「えぇっと、息子、さん? は、どんな物をご所望でしょうか? プレイ予定の音楽のジャンルや、その他に求めるもの、例えば予算の上限、色、デザインなどを教えていただけると、すぐにオススメの物をご用意できますが?」うわぁ、やっぱこの子えげつない可愛さだわ……。
「エリス? もし何かこだわりがあるなら、きちんと店員さんに伝えなさい?」父が催促する。エリスきゅん! エリスきゅんっていうのかぁ~(ポワワ~ン)。
「はい」エリスが一歩前に出て発言する。って声高っ! ホントに男の子!?「僕メタル音楽を演奏したいと思ってます」メタル!? 意外っ!「でも初心者なので楽器のことは全く分かりません。なので色やデザインもついても、今は特にこだわりはありません。予算は1000フランですが、家族にあまり負担をかけたくないので、できるだけ安く済むと嬉しいです」けなげっ! もう健気ぇ~もう! これは売上優先して必要以上に高い楽器は勧めらんないね――。
「かしこまりました」店員が壁から一つのベースを下ろす。「でしたらこちらの機種などいかがでしょうか?」彼がチョイスしたのは『Ibanez GSR200』という超ド定番のコスパ最強エントリー・モデルだった。顧客の立場からすれば、まさに理想的なチョイスである。そんな誠実な店員は楽器を手にしたまま、各部位を示しながら説明する。
「エレキベースには一般的に4~6弦まで種類があるのですが、初心者のうちは4弦で充分だと思います。またこちらの機種はピックアップという、弦の振動を電気信号に変換するパーツが三つ着いていて、こちらのノブでそれぞれの音量を調節して音色を変えられるようになっております。これも初心者のうちは三つあれば必要充分です。そして何より――」彼は楽器を空中で上げ下げして見せる。
「こちらの機種は重量約3.3kgとかなり軽量になっております。見たところエリスくんは体格が小柄なので、できるだけ軽くて扱いやすい機種になさるとよいでしょう。その点に関してもこちらは優れており、ネックが細く、弦の密集度を左右するナット幅も38mmと狭くなっており、小さな手でも負担なく運指できるようになっております。一度、こちらの椅子に座って構えてみましょうか?」
「はいっ、お願いします!」エリスは示された椅子に腰かけて、渡されたベースを手に取り、それを膝の上に置いてみた――すると、カエデの木で作られたネック裏のスベスベな手触りと、4本弦の冷たい感触、ポリウレタン塗装されたボディのツルツルな触り心地が同時に感じられて、それは驚くほど手に馴染んでいて、しっくりきた。「うわぁ格好いい……それにすごく軽い……」うはぁ~可愛い……しゅんごくキャワイイ……。「これ気に入りました。他に色の選択肢はありますか?」
「残念ながら現在、当店の在庫としては、そちらのブラックのみとなっております」フフッ、何だかんだ色にこだわりたくなっちゃうんだよね。その気持ちよく分かるよ。「本機種は他に赤と白が生産されております。もしよろしければお取り寄せも可能ですが?」
「どうだいエリス? その三色から選ぶかい? それとも他の機種も見てみる?」父が尋ねる。うーん、黒、白、赤……どうしようかな――。エリスは少し考えてから、「もう少し、見てみたいです」と答える。正直どの色もビビッと来なかったし、どこか、ドラマや映画みたいな運命的な出会いを期待していたのかもしれない。
「でしたら、こちらなどいかがでしょうか?」店員が次に取り上げてくれたベースに、エリスの目は奪われた。あっ……すっごい綺麗……。「こちらは『Ibanez SR300E』という機種で、先ほどのGSR200の上位機種になります。重量やネック幅はほとんど同じながらも、ピックアップが四つ着いていることから、音作りの幅としては一段上になっており、また色のラインナップもより豊富です。こちらはナイト・スノウ・バースト(Night Snow Burst)という色で、当店の在庫としてはこちら一点のみとなっております。持ってみますか?」
「ぜひ――」エリスがそのベースを受け取る。持ち心地はさっきの機種に瓜二つだ。違いと言えば、音量調整ノブが一つ多いことと、塗装の色がより幻想的なことくらいだ。ナイト・スノウ……その名の通り、外側は夜に降る雪のごとく白銀色をしており、中央にかけて夜空みたいなロイヤルブルーへとグラデーションになっている。僕これ、好きだな――。思わず笑みがこぼれてしまうエリス。
「いい色でしょう?」店員が推していく。「さっきの物だとヘッドの塗装がどの色でも同じ黒だったのですが、こちらは『マッチングヘッド』と言って、ヘッドにボディと同じ塗装が施されているんですよ。ただ上位機種ゆえ、お値段は3倍以上してしまうのですが……」エリスが値札をのぞきこむ――ゲゲッ、400フランもするの!?「まず間違いなくアンダースペックになることはないので、今後のことを考えれば、全然ありな選択だと存じております!」店員は思った。『あぁごめんよエリスきゅん! 俺っち商売上手すぎるんよ(涙)』
「この色は綺麗だと思います。でも――」エリスがベースを店員に返して微笑む。「僕は前の機種で充分です。初心者なので……。だからさっきの黒色のにしま――」
「君、それを貰うよ」突として彼の言葉を遮って、父親がSR300Eの成約に踏み切った。えっ、お父さん? どうして――。父がエリスに向き合って告げる。「言ったはずだよエリス。良い物を使いなさい、予算は1000フランだよって。あの楽器、気に入らなかったのかい?」エリスが首を横に振る。「だったら遠慮しないで、ね? お前は普段ワガママの一つも言ってくれないから、お父さんたち少し寂しいくらいだよ」父が我が子の頭を撫でる。「だからたまには、私たちに親らしいプレゼントをさせておくれ」
エリスは嬉しくて泣きそうになりながら、「うん……ありがとう、お父さん」と頷いた。「えぇっと……こちらの商品でよろしかったでしょうか?」店員が再確認するので、エリスは椅子から立ち上がって、嬉々として「はいっ、それでお願いします!」と答える。Ibanez SR300E Night Snow Burst、キミに決めたっ! これからよろしくねっ! 彼の気持ちに呼応するかのように、そのベースはキラリと煌めきを返すのだった。
*
それから弦を弾くためのピックを数個、交換用の弦一セット、調律するための電子チューナーを一つ、立って演奏するためのストラップを一本、持ち運ぶためのソフトケースを一つ、部屋で保管するためのスタンドを一脚、音を増幅して鳴らすためのアンプを一台、アンプとベースを繋ぐためのシールドケーブルを一本、そして初心者から上級者まで対応のベース教本を一冊選び、お会計する段階になったエリスたち一行。
どれもちゃんと良い物を選んだので、最終的な金額は約860フラン(当時レートで約14万5千円)になった。特にアンプが高額で、エリスが「ライヴでも使えるものがいいです」という要望を伝えたところ、『Fender Rumble 200 v3』という機種をオススメされ、それがベース本体と同じくらいの値段だったのだ。だからこれでもかなり店員さんが、『同時購入割引』として値下げしてくれた方なのだ。
ちなみにそのアンプは、出力200W、重量15.65kg、スピーカー径15インチの物で、小~中規模のライヴなら対応可能なスペックを誇っていた。だから今回購入する道具一式は、若いながらも経験と知識が豊富な店員の手腕が発揮されたものと言えるだろう。彼の勧めでポイントカードまで発行し、クレジットカードで決済を行う父。エリスは父や家族への感謝と、新しいことへ挑戦することへのワクワクで、胸がいっぱいになり、ずっとムズムズしていた。
「ご購入ありがとうございます。それでは商品をお車までお運びいたします――」支払いが済んだところで、商品が載った滑車を押して店外に出ていく店員。彼の後を追う父の背中に抱きついてエリスは、「ありがとう、お父さん! 僕たくさん練習するし、きっと大事に使うね?」と宣言するのだった。
<番外編② エミリーのドラム取引>
エリスが父とベースを買いに行ったのと同日。エミリーはキアラとともにニコラの家を訪れていた。例の倉庫にあるというドラムセットを見にきたのである。エミリーがインターフォンを鳴らすと、ニコラが出てきて「おっ、来たか。よーっす」と挨拶する。「エリーから聞いたよ、兄貴のドラムを買いたいって?」二人が頷くと、彼は「オッケー、来いよ――」と二人を家の庭へと案内する。
庭に設置された倉庫まで来た三人。ニコラがガラガラとそのシャッターを開くと、中に布を被せられた何が収納されているのが見える。彼が布をバサッと取っ払うと同時に、二人は「おぉ~」と感嘆の声をもらした。現れたのは分解された状態のドラムセットで、キアラには――エリスの言った通り――かなり上等な物に見受けられた。興味深そうに細部を観察するキアラ。
「これ何て機種?」彼女の問いに対して、ニコラは「知らね。俺あんま興味ないし」とぶっきらぼうに応える。よく見るとドラムの側部に『Tama Superstar Classic』と書かれたエンブレムが付いていた。「勝手に売っても兄は怒らない?」そう尋ねながらキアラは、スマホを取り出して機種名を検索し始める。ニコラが「あー全然いいよ! 兄貴、俺にくれるって言ってたから」と答えたときには、その検索結果が表示されていた。
どうもそれは『TAMA Superstar Classic 5-piece』という機種の、Indigo Sparkle(ラメ入りのインディゴブルー)というカラーバージョンのようで、ここにある製品はかなり使い込まれている状態だったが、もし新品で買えば800フランはする品だった。
しかもそれだけではなく、ここにあったのは標準装備のスネアドラム、ラックタム×2、フロアタム、バスドラム、タムホルダー、ドラムキー(調律用レンチ)のみならず、別売りのツインペダル、ハイハット、クラッシュシンバル×2、ライドシンバル、ドラムスローン(椅子)、ドラムスティック数本とスティックバッグ、ドラムマット、ダンパーパッド(消音器)、さらにイヤーモニター(特定の音声をモニターするためのイヤホン)に至るまで、丸まる一式揃っていたのだ。総額すれば1800フランはくだらない豪華なセットである。
「マジか……あんたの兄上、ガチプレイヤーだったんだな……」キアラが驚嘆する。軽く確認しただけだが、特に破損らしきものは見られなかったし、かつてニコラのお兄さんが大切に使っていただろうことは明白だった。やばいぞ、エミリーの予算は500フランぽっちだ……さすがにその値段で譲ってもらうのは申し訳なさすぎる――。
「まぁプロってわけじゃないけど、素人の俺が聞いても分かるくらいには上手だったよ」ニコラが誇らしげに照れ笑いを浮かべる。「兄貴、大学のサークルでバンドやってたんだ。これはその名残り。当時パートタイムの仕事で稼いだお金と、一部は親父に頭下げて出してもらったお金で買ったみたい。どう? 欲しい?」
「ちょ、ちょっとエミリーと相談するわ――」キアラがエミリーを連れて倉庫から少し離れ、ニコラに聞こえないよう小声で話し始める。「エミリー、これは『買い』だ。でも逆に困ったことに、500フランで買い叩くには豪華すぎるんだ。それじゃニコラが――というかニコラの兄上が気の毒だ。そこでなんだが、アタイは今手持ちが200ほどある。これも合わせて700フランで買うってのはどうだい? 100は貸し、もう100はアタイの奢りってことで」
「うん、いいよー?」特に不満もなさそうなエミリー。彼女はずぶの素人だったので、何がどの道具で、何のために使う物で、それがどれくらいの値段なのかなど皆目見当もついていなかったが、あのキアラの慌てようを見ればそれだけで、このセットが非常にお買い得で、700でも充分フェアな取引なのだろうと推し量れたのである。まぁあと100フランくらい、今度家のお手伝いでもしてママから貰えばいっかぁ――。
「ん? 相談タイム終了かい、お二人さん?」帰ってきたキアラとエミリーを見たニコラが言った。「それで、どれくらい提示できる?」
「アタイら今日は、元々500で手を打ってもらうつもりで来たんだけど、このセットは想定以上の品だった。そこで、アタイがプラスして200出すから、どうか700で売ってくんないかい? 頼む――」キアラが両手を合わせてお願いする(2040年ではわりかし欧米でもそのジェスチャーが使われている)。
「な、700!?」ニコラが仰天する。「おいおい勘弁してくれ、そんな大金を同級生から貰ったら、俺の方が親から叱られるぜ」彼は後頭部を掻いてから続ける。「かなり使用感強い中古品だし、もう2年くらい倉庫に眠ってただけのもんだから、正直500も出してもらえれ充分だよ――」彼が握手を求めて右手を差し出す。「500でトレード成立ってことで、ОK?」
キアラとエミリーはキョトンとしていたが、何やら破格の値段で落札できたことを実感し、喜びのあまり全力でニコラの握手に応える――のではなく、二人して彼に抱きついた。「ありがとうニコラー!(恩に着るぜニコー!)」エミリーが彼の頬にキスする。
「うぎゃぁ~キスするなエミリ~! キアラも、ニコって呼ぶなし~!」と言いつつ、ニコラは心の奥底で思っていた。フッ、モテる男は辛いぜ……。「その代わり、細かな破損あっても目を瞑ってくれよ? 返品不可だかんな!?」
「うんうん! あたぼうよ~(あぁモチのロンだぜぇ~!)」
こうして友人のヤードセールを利用して、しっかりしたドラムセットを手に入れたエミリー。その後キアラが、農業をやってる祖父に落札した品々の輸送を依頼し、やがて到着した祖父が乗ってきたトラックに全員でそれらを積んでいって、最終的に活動拠点である彼女の自宅へと運んでもらった。ちなみに比較的小さな農家には人気なのだろう、そのトラックとは日本製の軽トラだった。
エミリーとキアラは機材を目的の部屋に運び入れてから、それらを清掃しつつ試行錯誤してドラムを組み立てていき、やがてどうにか完成系まで持っていくことができた。何度か試し叩きしてみると、どうもスネアとバスのドラムヘッド(打面)が大分ヘタっているようだったので、キアラが資金を出して修理パーツを取り寄せることになった。もっとも気になる破損はそれくらいで、他の機材は問題なく動作したし、本当にニコラ様様のありがたいトレードだった。
「ドン、ドン、シャーンッ!」エミリーが慣れない手つきでドラムを叩き、「いや~やっぱり打楽器は楽しいねぇ~!」と笑う。
「おっ、初めて触ったとは思えないほど、板についてんじゃん!」とキアラ。「アタイ、ドラム用の教本買っておくからさ、まず練習のときはそれで基礎を叩き込もう! ある程度叩けるようになったら、みんなで課題曲でも決めて一曲カヴァーするんだ。どうかい?」
「さんせーい!(パシャーン、パシャーン!)」
かくして日曜日の午後、ビギナーのエミリーとエリスは己の楽器を手に入れることができた。かなりオーバースペック気味な初期装備を抱えた彼らであるが、これから練習を積み重ねて、それらの力を最大限発揮できるようになるのだろうか? ヴァルキュリアが五人合わせて空を翔ける日も、案外と目の前まで迫っているのかもしれない!




