それは剣の形をした者だった(副官 グレイ・イオラス視点)
軍人になって、もう何年になるだろう。
歳の数を意識したことはないが、確実に胃薬の量は増えている。
皮肉なことに、軍務の中でいちばん「平穏」を感じるのは、この《ネオ・ファルマス》のブリーフィングルームにいるときだ。
そう、“彼”が動く時だけは、俺たちは何もしなくていい。
なぜなら――
戦争そのものが、彼ひとりで終わるのだから。
俺の名は、グレイ・イオラス。
機構軍特別戦力群〈灰夜部隊〉所属、カイン・レグナス中将の副官。
彼に付くようになってから、何度となく戦場を渡ってきた。
が、未だに慣れないものがある。
それは、“彼”という存在そのものだ。
降下まで残り十五分。
俺はブリーフィングルームのホログラフ地図を確認していた。
「アウストリア第8区」。
黒統圏残党の拠点。中都市規模で、魔導工場と旧式防衛砲台を抱えている。
防衛ラインの再編はされておらず、民間人の避難も進んでいない。
――つまり、この作戦の“意味”は、都市ごと焼くことにある。
民の心を折り、抵抗をなくす。
その象徴として、我々〈灰夜〉が選ばれた。
そして、実働部隊はたったひとり。
灰夜の“剣”――カイン・レグナス中将。
ドアが開いた音がした。
振り返らずとも、わかる。
やってきたのは、上司であり、戦友であり――
俺が最も恐れている存在だった。
黒を基調とした戦術スーツに、灰夜部隊の紋章――割れた盾と、燃え残る剣。
胸元には、連邦中将を示す双星階級章。
そして、背中には漆黒の魔導剣。
完璧な軍人の装いだった。
だが、俺にはそれが**“軍服を着せられた兵器”**にしか見えなかった。
彼は、カイン・レグナス。
銀灰の髪は短く整えられ、整った顔立ちはまるで彫像。
皮膚の色は不健康なほど白く、だが病的ではない。
異常なのは、その瞳だ。
銀の瞳。
それは、あらゆるものを“見る”のではなく、“測る”眼だった。
初めて彼に会ったとき、俺は言いようのない寒気に襲われた。
目が合った――それだけで、“生きていること”を否定されたような感覚に陥ったのだ。
まるでこの男は、
「お前が存在する理由は、なんだ?」と問いかけてくるような、そんな眼。
あれは、兵士の目じゃない。
将の目でもない。
――あれは、“死神”の眼だ。
「お疲れさまです、中将。予定より十三分早い到着ですね」
俺は努めて平静に声を出した。
会話は最低限、無駄口は厳禁。それが、彼との正しい距離感だ。
ホログラムを展開し、作戦概要を伝える。
「敵兵三千、民間人口推定一万二千。命令区分はA-Zero。
排除対象に民間人区分なし。例外はありません」
彼は反応しない。ただ、地図を見ている。
だけど、それだけで十分だ。
彼にとって、“対象”が明確であれば、それ以上の情報は要らない。
感情も、疑問も、選択肢も――要らない。
「支援要請はありません。
空中砲撃なし、地上展開なし、突入部隊は事後掃討のみ。
……中将、おひとりでの降下および全処理となります」
本来なら、そんな任務が許されるわけがない。
だが、彼に限っては、それが“通常”だ。
なぜなら――彼は、“一人で足りる”兵力だからだ。
「……命令は、了解した」
たった一言。それだけで、戦場の運命が決まる。
彼がこの都市に降りる。
それは、都市が“死ぬ”ということだ。
少し昔の話になるが、
かつて、彼がひとつの国を“滅ぼした”記録がある。
国境から侵入し、軍を無力化し、王政を解体。
都市機能を完全崩壊させ、政体を“記録ごと”抹消した。
そこにあった国の名前すら、いまや機密指定されている。
つまり、彼は“国を斬った”男なのだ。
そんな男が、今日も剣を振るう。
それも、まったく同じ温度で。
“カイン中将は人間か?”と問われたことがある。
俺は答えた。
「……あれは“剣”だ。人の形をしているだけの、ただの剣です」
だけど――
本当に、そう言い切れるのか。
あの銀の眼の奥に、“何もない”と言い切れるのか。
その答えは、俺にもまだ出ていない。
だからこそ、怖いのだ。
もし、彼が人間だったら?
もし、彼が“何か”に目覚めたら?
もし、“剣”を“自らの意志”で振るうようになったら――
連邦は、それを止められない。
俺たちには、彼を止められない。
いま、この時点でさえ、
軍の上層部は“彼の背中を見ない”ようにしている。
階級を与え、戦果を称えるが、
その実、彼が“こちら側”であることを祈っているに過ぎない。
祈って、祈って、今日もまたひとつの街が焼かれる。
人の姿をした剣によって。
彼は降下する。
レーヴァテインの重みとともに。
その刹那、誰もが息を呑む。
空が裂け、世界が斬られる――
今日もまた、“それ”が始まる。
俺は静かに通信端末を開き、作戦文を入力する。
灰、風へ。剣、落下す。
処理対象:アウストリア第8区。任務開始時刻:13時07分。
期待戦果:完全制圧、0損耗、45分以内終了。
命令執行者:灰夜部隊 カイン・レグナス中将待遇。
そして、心の中でだけ、こう続ける。
……中将。
あなたが“人”でないことを、
どうか、願わせてくれ。