良くない天気の冬の日
今日は一日中曇っていた。そうして時折雨がさらさらさら、まあ涼しい感じかな、いずれにしても冬とは言えない。肌寒い春雨の一日とでもいったような風情だ。でも一応、空気がきれいにはなるんだろう。スズメたちはどこへ行ったのかな。カラスの鳴き声も聞こえない。セキレイの尻尾のフリフリも見られない。空は寂しい。乾いた風の舞いあげたホコリを除いてくれる雨雲も、同時に鳥たちを追っ払ってしまう。都合の良し悪しは裏表、暖かい冬というものにも良いところがあるんだろうか。
夜、雨、かなり激しく、こんなのは久しぶりだ。空が重い、地面がきらめく、冷たい、冷たいぞ。でも痛くはない、冷たいだけ。痛くない?確かに冬の雨ではない、これは。大体、冬の雨なんて甘えてる。冬なら雪を降らせてみよ!怒ってみる。天に届くか?届かない。空を見れば分かる。あの空にはシベリアの色がないもの。中途半端だ、弱いんだ。かの冬将軍もその力を使い果たしてしまったんだろうか。ご無理をなさらないように、ご老体。でも同情してくれる観客がいたとしても、何の意味もない。
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僕は今疲れている。色々なことがあって、疲れている。未来からの重圧が酷くて、疲れている。人間としての宿命かしら。知恵の木の実を食べたとか言われる人間の、(お姉ちゃんが言っていた)概念というものを手に入れた人間の宿命か、そうかも知れない、そうじゃないかも知れない。それはしかしまあ、どっちでもいい、問題は―――ここにある。問題はと問うことに、ある。反省することにある。それで疲れてしまうのだ。大掛かりな舞台装置に無雑作に放り込まれている、それだけで僕は疲れてしまうのだ。
心臓をドキドキさせるのは嫌だ。未来のことを考えて心臓をドキドキさせるのは嫌だ。今にゆっくり浸ることができないから嫌だ。過去を愛おしむことができないから嫌なんだ。未来のことを考えること、それ自体は悪くない。でもそのために、今と過去を犠牲にするのは嫌だ。贅沢かも知れないけれど、やっぱり嫌だ。時間の歩みが速くなってしまう。そう、僕がもっと小さかった頃、あんなに遅かった時の歩み、大きくなるに従って段々速くなってくる時間の歩みが嫌だ。これから僕が中学生になって、高校生になって‥‥‥どんどん速くなっていくんだろうか―――と未来のことを考えてしまう、やっぱり嫌だ。
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じとじとと雨、じめじめと暖かい、もやもやと靄。当惑した僕の目、灰色の空をながめる僕の目、薄く広がった雲を通して鈍く差し込んでくる太陽の光が雨に濡れた道路を照らす。てらてらと無気力に光がのたうっている。よどんだ空気が雨に溶け込んで、そろりそろりと流れているみたい。これが暖かい冬の正体か。冬本来の冷たさというものは、カオスへの嗜好を押しとどめようとする健気な力なのかも知れない。冬がこんなに暖かかったら、全ては崩れていくのだろう。