06 約束
彼女、吉崎夏美は十五歳の中学三年生。
美雪が二十歳の時の子供という事になる。
十五歳といえば僕と美雪が約束を交わした時と年も同じ。
尚更、年格好もあの頃の美雪と似てる訳だ。
「お母さん、本当はね、十五年前に来ようとしてたらしいの」
「美雪が?」
「うん。だけど、私がちょうど生まれる時だったから……」
「そっか」
僕は美雪が約束を覚えてて、守ろうとしてた事を初めて知った。
それだけで今まで約束を守り続けてた自分が救われた気がした。
そして、僕は夏美から色々な話しを聞く事が出来た。
夫婦仲がいいのは夏美に聞くまでもない。
夏美を見れば旦那になった人もいい人だと分かる。
当たり前だけど嫉妬や妬みは感じなかった。
美雪が幸せに過ごしてた事を知れて、僕は寧ろ嬉しかったんだ。
「お母さんね、よく日本に居た頃の話しを私にしてくれたの」
「そうなんだ」
「特に中学の頃、付き合ってたっていう陽太さんの事を……」
「俺の事?」
「うん。ちょっと頼りないけど、人を思いやる事の出来る優しい人だって」
「何? 頼りなかったの? 俺?」
「そうみたい」
美雪は夏美に数々の僕の話を聞かせたらしい。
告白した時の緊張から、初恋で両想いだった事はもちろん、初めてのデートの話しまで。
僕の忘れてた事まで夏美は知っていた。
「何度も何度もお母さんと陽太君の話を聞いたの」
「母親の恋愛話を聞いて楽しかった?」
「うん。とっても。お母さんが一番好きなのはお父さんに決まってるでしょ?」
「そうだろうな」
「だから、お母さんから聞く話ってね、私には恋愛小説や恋愛ドラマみたいに聞けたんだよ」
確かに、五年ごとに会おうなんて話、ある意味ドラマみたいなものだ。
母親の話とはいえ、自分には直接関係なく、他人事のように聞けたという事も頷ける。
現実なことだけに、話にもリアリティがあったのかもしれない。
そして、美雪が聞かせた僕の話は夏美に意外な影響を与えていた事を知る。
「だけどね、どんな小説やドラマより素敵だった」
「うーん、ちょっと恥かしいな」
「それでね、陽太君の存在は私の中で憧れになってたの」
「俺が? 夏美ちゃんの?」
「……うん」
夏美は僕に満面の笑みを向ける。
頬を桜色に染めながら、好奇心溢れる目で僕を真っ直ぐ見つめていた。
「私ってばね、お母さんから聞く内に話しの中の陽太さんに恋してたの」
「え?」
「会った事もないのに、陽太さんは私の初恋の相手なんだよ」
さりげない夏美の告白だった。
至らない少女からとはいえ、僕は必要以上に胸が高鳴ってしまった。
「今度こそ約束を守りに会いに来るはずだったんだけど、お母さん、実は……」
夏美は言いかけた言葉を閉ざしてしまった。
僕には何の言葉が続くのか、何となく予想が出来た。
だから、敢えて聞き返す事でもないと思った。
「だからね、お母さんが来れない分、私が来ようと思ったの」
「代わりに約束を守りに?」
「代わりって訳じゃないけど。でも、来てみたら本当に陽太さんが待ってて」
「俺ってすぐに分かった?」
「卒業アルバムの写真で見た事があったからすぐ分かったよ。ちょっと年は取ってたけど」
夏美にとっては初恋の相手との対面という事になる。
だけど、話を続ける夏美の表情は曇っていく。
「だけど、それってお母さんを待ってたって事でしょ? そう思うと何だか素直に喜べなくて」
幼いなりにも嫉妬心を持ってたという事だ。
悔しいという気持ちからか、素直に顔に出ている。
「だから、お母さんのフリをして、ちょっとだけ様子を見ようとして……。ごめんなさい、嘘付いたりして」
「その事はもう気にしてないから。謝らなくていいよ」
僕のその言葉に夏美は顔を歪める。
何か余計な事を言ったつもりはなかったはずだ。
「あれ? 何か俺、変な事でも言った?」
「そうじゃないの。もう! 何で? 何でそんなに優しいの? 一緒に居る時もずっとそうだった」
僕は特別な事をしてるつもりはなかった。
だが、夏美は僕が人より優しいと感じてる。
それは美雪が僕に感じてた気持ちと同じだったのかもしれない。
初恋の想いに嫉妬が絡んで、募った感情を夏美は抑えられなくなっていた。
「お母さんじゃなくて、私を見て欲しいの」
「……夏美ちゃん?」
夏美の僕に対する気持ちが、どれだけ大きなものだったのかも僕自身気づいていなかった。
僕に抱きつく夏美の腕が微かに震えていた。
健気な夏美が愛おしいと感じる。
「……ごめん」
「え? ど、どうして?」
「いや、そうじゃなくて……」
「?」
「俺、夏美ちゃんに言われる前から、一人の女の子として見てたから」
「本当? じゃあ何で謝ったりしたの?」
「こんな年離れてるのにって」
「そんなの気にする事じゃないよ」
夏美の目には涙が零れそうなぐらい溜まっていた。
僕は今にも溢れそうな涙を指で拭うと、夏美にようやく笑みが戻る。
「お祭りの時に言った事、嘘じゃないから……」
そう訴える夏美に応えるように、僕らはもう一度唇を重ねた。
無理して笑顔で答える夏美を僕はそのまま抱き締めていた。
もしかして僕が二十年待ってたのは美雪ではなく、夏美だったんではないだろうか?
そんな事がふと頭に浮かんでいた。
「お母さんに言ったら、怒られちゃうかな?」
「どうだろう? って、お母さん? え? 美雪は生きてるの?」
「何それ? 生きてるに決まってるじゃない」
よくよく聞けば、さすがの美雪も約束の存在はすでに頭の中になかったらしい。
夏美は覚えてない事を知れば僕が悲しむと思ったと言う。
それを僕はどうやら勘違いしたようだ。
「何だ。そうだったんだ」
「勘違いしちゃったな。はははっ」
「そうだね」
「……」
「……」
だが、楽しい時間も束の間だった。
冷静さを取り戻すと、目の前に迫ってくる現実にも気づかない訳はない。
「どうしたの?」
「いや、何でも……」
僕に募ったのは寂しさだった。
そして、それは夏美も同じ思いだった。
「会えなくなっちゃうね」
「ああ、そうだな」
仕方のない事だった。
学生の夏美は留学先に帰らなければならない。
僕達には簡単に会える現状がなかった。
なかったはずだった。
「でもね、来年になったら少しは会えるようになるよ」
「どうして?」
「私ね、高校は日本の高校通う事になってるの。お婆ちゃんが年で、日本に戻りたいって言ってて。だから、私も一緒に日本に帰って来ることにしたの」
「え? そうなんだ」
「お母さんの通ってた、この街の高校に通う予定なんだよ。だからね、陽太さんにも少しは会え――」
「俺も仕事辞めて、来年この街に戻って来るんだ」
「え? 本当? 本当に?」
「ああ」
「……」
「……」
運命、なんて言えば大袈裟に思える。
だが、僕らは必然的に出会えたような気がしてた。
僕と夏美は約束を交わした。
今度の約束は実に簡単だった。
また会おう、と。
交わした約束の日までたった半年足らず。
二十年も待ったんだから、僕にとって半年なんて短いものだ。
END
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m