ありがとう
黒之祐さんと夏祭りに行った私が、泣き顔で帰ってきた事に驚いた優姫は、何とか私を励まそうと寄り添ってくれていた。
「すぐに辞めちゃってる事は無いと思うから、逢いに行こうよ」
「店長か亜論さんに連絡先を教えてもらおうよ」
心配して色々提案をしてくれたけれど、辞める理由を知っている私は、
黒之祐さんの負担になることはしたくなかった。
だけど、泣きじゃくって困らせた上、寮まで送ってもらったお礼とお詫びもしていないままだから、会ってきちんと話したい気持ちはあった。
あまり気は進まないけれど、お祭りから2日経った日の閉店間際の時間に、優姫と一緒にお店を訪ねてみた。
『喫茶 ジブラルタルは、閉業致しました。』
扉には、素っ気ない貼り紙がしてあった。
「えっ………」
「閉業って……?」
「どうして……」
「………林檎、聞いてないよね?」
小さな期待を持って訪ねてきたのに、
想像もしていなかった事になっていた。
まさか、誰とも逢えなくなるなんて思いもしなかった。
あの日は、お店にはお客様も沢山来ていて、店長さんも亜論さんも、冗談を言って笑って見送ってくれていたのに……。
黒之祐さんだけじゃなく、皆に逢えなくなってしまうなんて考えもしていなかったから、悲しすぎてやりきれない気持ちが溢れてしまった。
「どうして……そんなの、酷いよ…」
「林檎…」
「だって……一昨日は何にも言ってなかったのに…店長さんも、亜論さんも、あんなに楽しそうに笑ってたのに……。どうして、皆に逢えなくなっちゃうの?どうして皆…いなくなっちゃうの?」
「とにかく帰ろ。話は寮でゆっくりしよ。ね、皆 観てるし。」
「やだよ…どうしてなの……」
胸の中に湧き上がった気持ちを優姫に遠慮なくぶつけながら、閉業してしまったお店を何度も振り返りながら、寮へ帰ってきた。
湯沸かしポットの熱いお湯が
カップに注がれ、私のお気に入り、ストロベリーティーの香りが部屋いっぱいに広がってゆく。
静かに吸い込むと少し気持ちが落ち着いた。
優姫は、グラスに丁寧に氷を入れストロベリーティーと炭酸を注ぎ、ストローでかき混ぜて、私の目の前に差し出してくれた。
「ほら、これ飲んで落ち着こう。スッキリするから。」
「ありがとう」
そっとストローでストロベリーソーダを飲みこむと、はらはらと涙が零れて止まらなかった。
「まさか、店まで無くなるなんて思わなかったよね。
でも、考えてみたら黒之祐さんが辞めたら、店長と亜論さんの2人だけになっちゃうからね。その前に愛さんも突然いなくなっちゃったしさ。悲しいけどさ、仕方なかったのかも……。」
そう言って、私を慰めてくれた。
楽しかった色んな思い出が詰まったお店も無くなってしまって、そこにいた
大切な人達にも逢えなくなってしまった。
そして、黒之祐さんには、命の期限があるから……本当に心配で不安。
お店が残っていたら、皆と黒之祐さんの話を出来たかもしれなかったのに、そんなことすら許されなくなってしまうなんて……。
ひどく最悪…。
コンコン
誰かが部屋の扉をノックをした。
「金野林檎さん、受付にお客様が訪ねて来られてますよ」
寮の管理人さんが、私を呼びに来たのだった。
「誰だろ?林檎、私が会ってこようか」
「ううん、一緒に行こ」
もしかして黒之祐さんが、心配して来てくれたのかもと淡い期待と、そんなはずは無いと言う気持ちが混ざり合った混沌とした思いで、受付迄の廊下を優姫と歩いた。
「林檎ちゃん」
受付には、店長の進さんと亜論さんが2人揃って来ていた。
「ぇっ…」
思わず駆け寄り、2人に挨拶をするのも忘れて、責める言葉が出てしまった。
「どうしてお店辞めちゃったんですか」
「林檎ちゃん…。ごめんね」
亜論さんは、悲しい目で、私に謝った。
「黒之祐さんが辞めたら2人になってしまうからですか?でも、急すぎませんか。2人で、何日かでもやってからじゃ駄目だったんですか?」
優姫も、納得していなかったのか、店長さんを問い詰めるように聞いていた。
「…ごめん。…今は、その話をしにきたんじゃないんだ。あの…林檎ちゃんに話があってさ。」
「…はい」
「…霧島さんが…昨日……亡くなったんだ」
「…ぇ…」
「…どうして」
力が抜け座り込みそうな私の体を亜論さんが咄嗟に支えてくれた。
もう随分前から心臓が弱っていたのを
、私との思い出を作りたくて、無理をして夏祭りに誘ったけれど。
その日は、家に辿り着けなくて店長さんが見つけて病院へ担ぎこんだと聞かされた。
「そんな、無理して迄お祭りに行かなくてもよかったのに……。」
「林檎ちゃんとの思い出が欲しかったんだよ。彼はね、君が笑顔でいるなら…何でもしようと思ったって。いつまでも、見守っていたかったって。
だから、自分の事なんかで泣かせたくないって言ってたよ。本当に大切に思ってたんだね。無理してでも笑ってる君を見たかったんだろう。
俺は……今日、君へ…霧島さんからの最後のメッセージを伝えに来たんだ。」
「…メッセージ?…」
「笑っていて欲しい。そう伝えてほしいと。……それだけ伝えてくれと。
今は辛いだろうけど、彼の願いを受け止めて笑顔で頑張ってほしい。それじゃ。」
「辛いけど、しっかりね……。」
茫然とする私と優姫に、
深々とお辞儀をして、店長さんと亜論さんは、帰っていった。
もう…、すでにこの世から居なくなってしまっていたんだ、黒之祐さんは……。
ありがとうとお礼も言えないまま、
本当に突然永遠に逢えなくなってしまった。
「いやぁぁぁぁー。」
「林檎…」
数日間泣き続け、抜け殻の様に脱力し塞ぎ混んだ私のそばで、優姫は黙って肩を抱いてくれていた。
慰めるでもなく励ますでもなく、優しく肩を抱いて背中を撫でてくれていた。
1年で最も日差しが一番強くて明るい夏なのに、
暗く冷たく重苦しい世界にいるような、毎日が続いていた。
蝉の声も、風の音も 車の音も
人々の話し声も
すべてが遠い彼方の別世界で鳴っているかのように、私の体は、見えない透明の膜で包まれて隔離されている、そんな感覚だった。
とても暑い御盆の最終日、
店長さんと亜論さんが再び訪ねてきて、私と優姫をお店の近くにある川に行こうと誘ってくれた。
ベットで布団に潜りがちな私を、優姫が『辛いのは解るけど、黒之祐さんに関わる皆でだからこそ、一緒に行こうよ』と、何度も何度も、誘ってくれた。
地域のお盆法要には、
当たり前に地域の人達が、沢山来ていて、知ってるお客様も見かけられた。
黒之祐さんが亡くなった事を、まだ知らない方達が、お店の再開を望む声を掛けて行く。
店長さんは、その度に申しわけないですと何度も頭を下げていた。
亜論さんに手を引かれて、川岸へ向かった。
「林檎ちゃん、霧島さんの灯籠舟、ここから流そうね。」
「…。」
夏の初めの頃、店長さんは、楽しい盆踊りと夏祭りを計画していたのが、
黒之祐さんが突然亡くなってしまったから、黒之祐さんの灯籠舟を皆で流そうと決めて、誘ってくれたのだった。
「林檎。ちゃんとお別れできる?」
「…。」
水に浮かべたら、灯籠舟が離れて行ってしまう。
本当に黒之祐さんが、居なくなるんだと思ってしまい、辛くていつまでも水に浮かべる事が出来なかった。
「あの…。浦野さん…。」
私達に声を掛けてきたのは、
突然居なくなった愛さんだった。
「愛ちゃん……。駆けつけてくれたんだね。ありがとう。」
「連絡ありがとう。覚悟はしてたけど、あまりにも急で…びっくりしたよ…。」
愛さんは私を見つけると、両手を差し出して、私の手をぎゅっと握りしめた。
「林檎ちゃん…辛いね…。悲しいね。」
私は愛さんに、抱きついて声を上げて泣いてしまった。
「どこに行ってたの…心配したんだから…。愛さんから聞いてたから…頑張って…いっぱい思い出…作ったよ…でも…でも…やっぱり……辛いよぉ…」
「側で力になってあげられなくてごめんね…。頑張ったんだね。辛いよね…本当にごめんね」
愛さんは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私の背中を撫で続けてくれた。
亜論さんが、私達の涙をハンカチで拭いながら私を優しく見つめた。
「林檎ちゃん、そろそろ、灯籠舟流しましょう。」
「でも……」
「貴女の未来の為にも、霧島さんの為にも…。ね。」
亜論さんに、そう促され
優姫が一緒に灯籠舟を水辺に放ってくれた。
流れに乗って、灯籠舟はどんどん遠くに離れて行き、他所の人の灯籠舟と混ざり合って川の向こうへ消えて行く。
もう、これで本当にお別れなんだ…。
灯籠舟が見えなくなっても、
いつまでもいつまでも
川の向こうに行ってしまった黒之祐さんを皆で見送って手を合わせた。
9月から大学が始まって、
まだ気持ちの整理もつかない中、
就活を始める気持ちには、全くなれなかった。
卒業を目指し
卒業後は実家に帰って
医療関係の学校に行き直す事を考え始めていた。
若くして亡くなった黒之祐さんと奥さん、病気を抱えながら頑張って生きようとしている愛さんの様な人が、少しでも長く元気に生きられるように、力になりたい。
そう、ぼんやりと思っている。
これから先、私が笑って生きてゆく事を望んでくれた黒之祐さんも
その方が、喜んでくれると思うから。
辛くて苦しくて、どうしようもなく悲しいけど、私は一所懸命に生きて行きたい。
黒之祐さんの分も…。
黒之祐さん、私に沢山の愛を注いでくれて ありがとう。
本当に ありがとう。
★★★★
錦病院 治験者データ
治験者名 霧島黒之祐
本名 温井 悟
治験期間 3年
1942年 8月 14日生
死亡により 治験終了
★★★★★★★★★★★★★★★
新緑色のトワイライト
林檎と黒之祐編 完




