決断
「俺の気持ち、ちっとも解ってないよな?」
キャンプから帰った翌日の閉店後、
何か焦っているのか、突然に呼び出されて逢ってみたら、苦しくなるような事を言われた。
「花王くん…。」
「最近。店のやつらと旅行にゆくけど、どっちかと、関係でも出来たのか。」
「違うよ。二人とは何もないよ。ただの社員旅行だよ。」
「じゃあ、俺よりどっちかに惹かれてるとか?」
「二人は、ただの仕事仲間だって。私が好きなのは、花王くんだけだよ。」
「だったら、どうして、お前に触れさせてくれないんだよ。付き合いはじめて、もう半年近くなのに。」
「…ごめんなさい。」
「愛…。俺はさ、お前が心臓が弱いからって言うから、無理は言わなかったし誘わなかった。お前の事、本当に好きだから、お前の気持ちを尊重したいからさ。
なのにさ、俺と逢う時間削って、どうして急に、また、あいつらと旅行に行くの?旅行に行きたいなら、俺が誘ったら一緒に行くのか?」
「社員旅行には、林檎ちゃんと優姫ちゃんも一緒よ。今度の旅行には、花王君も誘うから。」
「違うよ!俺が言ってるのは、そう言うことじゃなくて!…そう言うことじゃないんだよ。解ってるくせに。俺が年下だから?経験なさそうだから、相手に出来ないとか?!」
「違うって。本当に…花王君だけが好きなのに……。大好きだけど…。本当に大好きなのに、私……どうして良いのか解らないの。ごめんなさい。」
もう、限界だ。
花王君の気持ちは、解ってたし、
応えたいのが本心だけど、
やっぱり背徳感があって、
花王君の綺麗な気持ちを汚してしまいたくない。
私は逃げるように、花王君の前から立ち去って寮に帰った。
まっすぐに自分の部屋に戻る気がしなくて、カウンセリングルームでクールダウンしようと思ってドアを開けたら
誰も居ない時間帯のはずが、誰かがソフアーに座っていた。
「外山さん?」
「霧島さん…。」
同じ寮に居ながらも、ここでは、ミーティング以外に誰かに会うことはない。
プライバシーは、守ってくれる病院だけど、初めてのプロジェクトでの悩みを、相談出来る人が会社と病院の人間だけと言うのは、悲しすぎるし不安だ。
それぞれの事情があってのプロジェクト参加だから、お互いの個人的なことは知らなかったりするし、お互いも触れなかった。
だから、本名も年齢も産まれた所も知らない。
知っているのは、皆が末期癌患者で治験薬で完治して元気になりたいということ。
そして、もう一度 生まれ変わった気持ちで「出来なかった事に挑戦したい」と言う理由で、国家的なプロジェクトの治験薬の臨床実験を、受けていると言う事。
私は、恋愛が出来ないまま死にたくなかったから、楽しい恋愛をしたかった。
大好きな人と結ばれて、その人との間
の子供も授かりたかった。
だから、夢をもってプロジェクトに参加した。
花王くんから告白をされた時は、天にも昇るような気持ちだった。
「好きだっといわれる幸福感」に心が満たされて、毎日が甘く幸せで、
夢が叶った事に浮かれていた。
そして、付き合うと、
恋人としての付き合いが始まる。
優しいキスに、ときめいて
生きていて良かったと幸せな気持ちに満たされた。
そして、その次の段階も、経験がなかったから、心臓が壊れるかと思う程ときめいて、楽しみにしていたはずなのに。
現実になったとたん、私は後ろめたさでいっぱいになったのだ。
だから、心臓に発作が出る病だと誤魔化して、逃げた。
癌は、ほぼ完治しているけれど
プロジェクトで治験薬を投与している事は、死んでも口外してはいけないから。
ずっと真実を言えないまま
何年も一緒に生きてゆかないと行けないんだと気がついた。
真実を言えないと言う事は、
私自身が、大好きな花王君を裏切って生きてゆくことになってしまう。
こんなに辛い気持ちになる可能性があると言ってくれてたら、プロジェクトには参加しなかったのに。
「外山さん、泣き顔だけど、何かあったの?」
本当は誰もいない所で、何も考えずに一晩、思いきり泣きたかったのに。
思いがけず霧島さんがいて、泣き顔まで気がつかれてしまった。
でもこの人は、私と同じような立場に立っているのだ。
林檎ちゃんとは恋人ではないから、私のような苦しさはないのかも知れないけど。
奥さんを亡くして、若くて可愛い女の子に好かれて仲良くしいて、日帰りとは言え二人で旅行に行って、発展しないのは何故なのかな…。
「霧島さん。」
「何?」
「林檎ちゃんの気持ちを、受け止めないのはどうして?あんなに一所懸命なのに。あなたが既婚者だから?
まだ、薫さんの事忘れられないのはわかるけど。」
「いや、誰の気持ちも受け止める事はないかな。もう、そんな甘い気持ちは無くしてしまったよ。それに俺はさ、薫と沢山素敵な恋をした。父親にもなれたし。充分だよ。」
「子供がいるの?」
「いたよ。もう、ずいぶん昔に亡くなったけどさ。」
「亡くなったの…。いくつで?」
「まだ小さかったよ、当時の流行り病でね。」
「娘さん?息子さん?」
「女の子。よく笑う子だった。
外谷さん、将来の役に立つと思ってプロジェクトに参加したけど、もしかして今は後悔してるの?」
「私は、元々そんな大きな気持ちはないの。自分の為だけに参加したから。恋して、幸せな気持ちで、2人で子供を育ててって。
でも、本当は、周りを騙してることになるじゃない。まだ臨床試験中だから…。公に発売になったら、色んな使われ方が出来るから、本人も回りも承知の上での投薬なら幸せに成れると思うよ。役に立つと思うよ。でも、私達は発売になっても、それを投薬されてたことは公表しちゃいけないでしょ?ずっと。」
「そうだね。多分。会社側が一生面倒見るつもりなのか疑問だけど、そのつもりで、名前も変えたし仕事も住居も提供してる。俺は、そんなに長く生きる訳じゃないから辛くないけど、外谷さんや他の患者が何十年先迄、背負って生きるとか考えてないのだと思うよ。ただ、長い年月のデータが欲しいから、それに比べたら俺たちの生活の面倒見るなんて、たいしたことじゃないんじゃないかな?」
「薬の有効性と安全性のみ?。」
「それが一番だし。俺たちが、どう思うかなんて考えてないと思うよ。まぁ、訴訟起こすなんて恐れもないかもね。そんなことしたら、自分達の素性がマスコミに暴かれるって、解ってるんだよ。」
「そうよね…。」
「将来、ここを出て生きるとしたら、自分で薬を調達するのは難しいよ。身分証明を発行して貰えるかも解らないし。仕事探して家探して、薬もかなり高いと思う。外谷さんは…、癌の新薬の参加のみにしとけばよかったんだよ。プロジェクトは、夢を持てる話に思えたけどね。」
「私はただ恋愛をしたかっただけなの。結婚は別として好きな人の子供を産みたかった。それだけだよ。なのな…こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった…。こんなに苦しいなんて…。辛いなんて。こんなんじゃ、夢なんて叶えられないよ……。」
「彼の事、本当に好きなんだね。だから…辛いよね…。」
「うん…。」
この人は、私が想像してるよりずっと大人なんだと思ってた。
店でのお客様との対応を見ていても、何か違ってた。
だから治験薬を投与して今の状態は、相当な量と回数なんだろうと解る。
体に大きな負担があるはず。
だから、薫さんは弱ってしまったのかもしれないと想像して、
林檎ちゃんに、霧島さんには時間がないと伝えたのだけど。
霧島さんは、林檎ちゃんの気持ちは解ってるけど受け止めないんだね。
言わないまま逝ってしまう方が良いと思ってるんだ……。
「霧島さんにとって、林檎ちゃんって、どんな存在?妹?」
「どんな存在?…。大切な最初のお客様だよ。」
「思った通りの回答だね。妹でもなく、お客様なんだ。」
あくまでもお客様。
切ないけど、その方が林檎ちゃんを傷つけなくてすむんだ。
私は…間違ったのかもしれない。
プロジェクトには、参加すべきじゃなかった。
終わりにしよう。
「霧島さん、ありがとう。
私、明日 会社に相談してみる。別の所で働けないか…。花王君には、もう逢わない方が彼のためにはいいのかもしれないから。」
「そう。一応店長の浦野くんにも、報告しといてね。」
「うん、じゃあ。おやすみなさい」
「おやすみ」
カウンセリングルームを出た私は、覚悟を決めていた。
プロジェクトに参加したから、花王君に出逢えた。
それは、本当に幸せな出逢いだった。
そして、
あなたと恋をして幸せだった。
真実を忘れてしまいそうな程幸せな毎日だった。
それだけは、本当の事。
だけど、大好きだから、終わりにします。
花王君、ありがとう。
そして、さよなら。




