こちら悪役令嬢ですが、ヒロインが謝るのを止めてくれません!~別に仲良くしなくても構いませんわ~
それは、勇気のいる告白だった。
緊張を紛らわせるように、深呼吸を一つ、二つ。いくらか落ち着いて、顔を上げる。相手と目が合えば、それから逃げるように、しかし立ち向かうように身を強張らせて、下を向く。
そして勇気を振り絞り、震えそうな声を抑え、一言。
「……ご、ごめんなさい!」
そのヒロインは思い切って、悪役令嬢に頭を下げて謝罪した。
今までの悪行を。わざと彼女の邪魔をしたことを。冤罪を作り上げたことを。
それは、他を圧倒する程の才色兼備で揺るがない悪役令嬢を羨んで、嫉妬してのことだった。自分では届かない場所にいる憧れの存在を陥れ、自分よりも下へと引きずり下ろそうとしたのである。
しかし。ある日のことだった。
そんなことをしたからといって、実力も足りない自分がその憧れの立場に成り代われるわけでもなく、ただただ徒労で虚しいだけでなく、憧れの存在の完全さを壊すことの、目標という拠り所を失うことの恐さに気づいてから、悩んでしばらく。
罪悪感から、というよりは、自分を護るためとも言える行動に出ることにしたのである。
それは、二人きりになれる機会を見計らっての、正面からの謝罪だった。
青白い月明かりに浮かび上がる、肌寒い夜の中庭。全寮制の学校の一区画にある、迷路のような造りの薔薇園。
そこに相手を呼び出してのことだった。
現状の有り様の中、さすがに「一人で来て」なんて頼みには警戒されて来ないかもしれない、とも思ったが、意外にも相手はそれを了承してくれたのである。
この機会を逃すわけにはいかない。
やっと出せた勢いに任せ、次々と矢継ぎ早に言葉を並び立てる。
「今までごめんなさい。もうしないわ。許されなくても受け入れる。罰だって、もちろん。拷問も処刑も。他にも、皆の前で謝れと言うのなら公の場で大々的にでもするし、国を去れと言うのならすぐにでも出ていくわ。それで、これからは貴女と関わらないようにも、」
「――――――ダメよ」
ヒロインの言葉を遮ったのは、悪役令嬢の平坦に押さえつけられた声だった。そして、びくり、と途切れた声の代わりに淡々とした声色が続いていく。
「だって、貴女が私のことを構わなくなるのでしょう? 貴女が私のことを考えなくなるのでしょう? 私から離れて、目の届かないところに行く気なのでしょう? 私から罰を受けることで、罪悪感を、私への想いを薄れさせる気なのでしょう? ……――――――させないわ」
思いがけない言葉の羅列に、ばっ、とヒロインは顔を上げた。目の前にいる人物を見て、さらに目を見開く。
まっすぐにヒロインを見つめる目が、鬱蒼と悦びにふやけていた。快さでわずかに震える唇が、歪んだ弧を描く。
「私だけを想いひたむきに向かってくる様の、なんて可愛らしいこと。いくら周りから好条件の肩書きや人脈を献上されようとも、それで満足して終わるどころか振り向きもせず我が道を進み、私のそれにも見向きもせず、私そのものに縋るように一途にいらしてくださった……。これを、嬉しく思わずに何と思えるというのでしょう」
心地良い思い出に浸るかのように、ほぅ、と恍惚の吐息が溢れた。
しかし、その高揚は徐々に成りを潜め始める。次に出たのは、落胆した第三者へ向ける、冷たく吐き棄てるような言葉だった。
「ご自分がただ元々その立場にいただけ、もしくは精々が他者に媚びて得た虚像の装飾しか持たないからと、実際にこちらの実績の現場を見もしないのに、こちらに与えられた地位や名声を聞いただけで自分の思う『それなり』だと決めつけてくる輩の多いこと。私を陥れるにしても、私の立て看板を相手にしたところで、私には何も届いてすらいないというのに。地位が高いならそれらしく振る舞って当然とでも? ご自分がそうだからといって、ただの低俗な傲慢と気高い品性の区別もつかないなんて。何もせずとも才能を十分に活かせるとでも? ご自分には無縁でも少し考えればわかること、才能を扱うにはそれに合わせた努力が必要ですのに。本当、見掛けに集る能無しばかり」
呆れた様子で無表情に、溜め息を一つ。
しかし、その頬はすぐに再び紅潮し始め、ふにゃり、と柔らかな笑みを浮かべた。
「……でも、貴女は違った。貴女だけが理解ってくださった。貴女は私の孤高を知って、言葉巧みに傲慢の特徴にこじつけて貶してきたわ。貴女は私の努力を知って、それができないように邪魔してきたわ。正当な理由を付けての場所の横取り、余計な用事を押し付けての時間や労力の搾取、不要なものやガラクタだと勘違いしたと言っての努力に必要な書物や道具の処分。それから、信用させておいて大事なところで逃げ場を断ち裏切る手際もお見事でしたわ」
まるで自分のことのように悦び、誇らしく、悪役令嬢はヒロインを讃えた。
「……自分の持ちうるすべてを、知識や技術だけではなく、立場から人脈までもを使って、大事な自分の時間や労力を割いてまで、本当の私のことを想って、必死に動いてくださった。嗚呼、なんて愛らしい……!」
ふやけた目が潤み、たゆたう夢のように、きらきらと星を瞬かせる。安らかに眠るように、祈りを捧げるように、胸元で両手が組まれる。
それらが向けられる先は――――――『偶像』ではなかった。
その様を見て、ヒュッ、とヒロインは息を飲んだ。
何を思うよりも先に、青ざめる。そうして、それが体内に沁み渡るように、事態をゆっくりと理解していく。悪寒が背筋を這い上がる。
これは、しなければ良かった告白だった。出すべきではない勇気だった。知らなければ安全だった。まだ不誠実の方が――――お互い、健全に思えた。
そう思い至った時には、もう遅かった。
「特に、貴女の周囲の者達を虜にする手腕、とても素晴らしいものでしたわ」
「っちが、そ、それは、最初から彼らのことを知っていたからよ! だから、どう接すれば懐柔できるかわかっていたの。こんなの、カンニングと一緒なの! 全然凄くないことなの!!」
なりふり構わず、ヒロインは自分の出来を否定する。
何を晒したとしても、今目の前にいる人物の気を自分から反らさなければ。本能がそう警告する。嫌われようとしても、この様子ではおそらく逆効果だろう。ならば、何としても興味を失う方向へと持っていかなくては、と気持ちが焦る。
しかし、悪役令嬢には関係無いことだった。
「知っていたから何ですの? 懐柔する戦略を選択して実行したのは貴女でしょう。頭で考えるだけなら簡単でも、実際に行動して思い通りに事を動かすとなれば難しくなるでしょうに、貴女は知識だけでなく度胸もあれば演技の技術もあったじゃない。それらは貴女の力なのよ。貴女だからできたことなの。嗚呼、これだけの実力者に目を付けられるだなんて、光栄に他なりませんわ。だって、わざわざ手を下すまでもない雑魚であれば相手にするどころか眼中にすら無いものだといいますのに、敵とまで思われるのならば、その者の脅威になりうる程の実力を持つということでしょう。嗚呼、嗚呼。貴女程のお方に、これ程認めていただけるなんて……!」
「ち、ちが……」
「そう、ご謙遜なさらないで」
言葉が詰まるヒロインに、悪役令嬢は昂る感情を抑えて組んでいた手を解く。そして一歩踏み出すと、安心させるように、ヒロインの頬を触れる程度にそうっと包み込んだ。青白く照らされる細い指が、そこに確かに在る顔の輪郭を確かめるように、優しく頬を撫でる。
「良いのよ、今まで通りで。貴女は貴女の思うままに動けば、素晴らしい結果を出せてきたじゃない。悪役が必要なら喜んで徹するわ。ええ、もちろん。貴女だけの、一番の悪役を。唯一人の宿敵を」
「……、許して、」
ヒロインは今にも泣きそうな程にか細い声で、ようやく一言、懇願した。
逃げなきゃ。そう思っても、足がすくんで動けない。もし一歩でも後退りすれば、今の力の入らない脚では崩れるようにしてその場に座り込んで終わりだろう。
立ち向かうよりも逃げる方が勇気がいるとは、まるで少し前の決意した自分を嘲笑われているようにも思えた。その方が、まだ気が楽な気さえしてきた。
感じるのは、ただただ、得体の知れない何かを前にしたかのような、本能から来る恐怖だった。
「ふふ。許すも何も、私は怒っていないどころか、迷惑にすら思っていないのよ」
愛しい者を慈しむような優しい声色で、柔らかく包み込むように言葉を紡ぐ。軽く触れる程度に、撫でるように、痕を残さず好意を綴る。
「……ぃ、や、……いや、ぁ……」
ヒロインは力無さげに、緩慢にも見えるぎこちない動作で首を横に振った。
悪役令嬢は疑問符を浮かべ、こてり、とまるで頭を吊り上げていた糸を切られたかのように、首を傾げた。
「嗚呼、何故、そのように怯えたような声をしなさるの? 私は貴女に感謝しているだけですのに。愛しているだけですのに。何も、言動を縛りつけたり独占したりなんてしませんわ。ただ、私のいる範囲で自由にしてくだされば、それ以上は望みませんの。……ですが、そうですわね。強いて言うのならば――――――今よりももっと、私を愛してくださいな」
ふわり、笑いながら、悪役令嬢はヒロインの頬をするりと撫で終える。続いてそのまま下ろした先にあるヒロインの両手を、自身のそれで優しく包み込んだ。
そして、そのまま倒れ込むようにして近づき、ヒロインの耳元で囁く。
「だって、私達、――――――相思相愛でしょう?」
仄暗い空洞を内部に秘めた唇が、小さく弧を描いた。
そうして、虚空を見る目が揺れたのち。わずかな間を置き、静かな風すらも暗闇に溶け込んだ頃。
「……ゆる、して、…………ゆるして、ゆるして、ゆるして、ゆるして、ゆるして――――――」
何かがぷつりと切れたかのように、ヒロインは同じ言葉を繰り返し始めた。
震えるか細い声色が、次第に平坦にすら凪いで聞こえてくる。それはもはや意味を成す言葉というよりも、ただのメロディのようにも感じられるものとなっていった。
まるで、幼子が新しく覚えたワンフレーズをずっと繰り返すかのように、ヒロインは口ずさむ。
いくらかそれを聞いた悪役令嬢は、そうっと優しくヒロインを抱き締めた。ふふ、と満足そうに笑みを溢し、延々と自分だけに向けられる羅列に聞き入る。
そして、まるで子守唄のように流れる音楽に、ゆうるりと目を閉じた。