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怪談遊戯  作者: 雪鳴月彦
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――真相の欠片に触れる――

 八月二十日。土曜日。


 快晴の夏空が上空を覆う週末の午後、俺たちは地元の駅前にある小さな喫茶店へと集まっていた。


 現在はもう六十を超えた老夫婦が経営している個人の店で、創業四十年ほどになるらしい。


 電車で通学する学生のためにと、値段は今までほとんど上げたことがないということで、非常にリーズナブルな店として俺たちもよく利用していた場所だ。


 現在は、午後の三時を五分ほど過ぎたところで、お世辞にも広いとは言えない店内には自分たちの他に客の姿は一人だけ。


 カウンター席に座る、老齢の男性。雰囲気から察するにマスターの知り合いで常連でもあるのだろう。


 何やら話に夢中のようで、時折渋い笑い声がこちらまで聞こえてきていた。


 何にせよ、自分たちのことは特に意識をしていないようなので、素直にありがたい状況だった。


「……しかし、本当にあんなことってあるんだな。今でも夢見てたんじゃねぇかって、自分の記憶が信じられねぇくらいなんだぜ?」


 注文したアイスコーヒーをジッと見つめながら、隣に座っている渋沢が元気のない声をポツリとこぼした。


 日守湖へハイキングに出かけ、羽切葛杷と出会ったあの日から今日でちょうど一週間。


 あれ以降、特に変わったことは起きてはいないが、それで俺たち三人の気持ちが日常へ回帰することは難しかった。


 羽切の生首が笑いながら転がるのを見て家を飛び出した俺たちは、ただ一心不乱に道なき道を進み続けた。


 途中何度も戸波が足をもつれさせ、その都度背後に羽切の姿を想像してしまい、全員一度も後ろを振り向くこともできぬまま蒸した夜の山を彷徨(さまよ)い、運が良かったと言うべきなのか、やがて舗装された道路へ抜けることに成功した。


 そこでドライブに来ていたカップルが乗る車と遭遇し、事情を説明して自分たちの車が停めてある駐車場まで乗せてもい、どうにか無事にそれぞれの家へ帰宅することができた。


 不幸中の幸いと言うべきか、スマホや免許証等が入った財布は全員ポケットの中へ入れていたため、あの家に置き忘れることはなく済んだが、それ以外の荷物は手に取って逃げる余裕はなかったし、またあそこへ取りに戻りたいかと言えば全員が首を横へ振るだけだったため、諦めることで意見はまとまった。


 きっと俺たちの荷物も、これからあの部屋の中で埃を被り長い年月放置され続けることになるのかもしれない。


「あたしだって同じだよ。あの羽切さんがまさかさ。……良い人だなって、騙されてたのも複雑な気分」


 オレンジジュースの入ったグラスを両手で持ちながら、戸波がはっきりと聞こえるため息を漏らした。


 すぐ横にある窓の向こうを、中学生らしき女の子が三人、笑いながら駅の方へと歩いていくのが見えた。


「良い人か。……でも結局さ、あの羽切さんは何がしたかったんだろうな?」


「ん?」


 渋沢と同じアイスコーヒーの入ったグラスを持ち上げ、その下にできた丸い水の跡を布巾で拭いながら、俺は二人を見やった。


「これは俺の憶測だけど、あの日俺たちが不自然な状況で道に迷ったのは、あの羽切さんの仕業だったんじゃないかって思うんだ。たぶん、俺たちを自分の家に連れ込むのが目的でさ。だけど、その目的が今一つわからないって言うか……。俺たちが家から逃げ出す直前、茶の間見たか? バッグとか鞄がいくつか置かれてて、埃の被り方にばらつきがあったんだよな。だから恐らく、過去にも俺たちみたいにあそこへ迷い込まされた人たちがいて、荷物を手に取る余裕もなく去っていった人がいたりしたんじゃないかな」


「それってつまり、羽切さんは定期的に誰かを家に招いてたってこと?」


「たぶん。ほら、羽切さん怪談を話す時にさ、何度か言ってただろ? これまでにも、俺たちみたいに人が迷い込んできたことあるみたいなこと。聞かせてくれてた怪談も、そういう人たちから聞かせてもらったっていうのが結構あったし」


 羽切が語った怪談。その全てではなかったが、いくつかは確実にあの家に来た客から聞かせてもらった話だと本人は言っていた。


「んだよ、それじゃあ何か? あの女、山に来た奴を自分の家に迷い込ませて毎回怪談会を開いてたってことか?」


「断言はできないけど、そうなのかも。もし呪い殺すようなことをしていれば、死体が見つかる度にニュースになるし、嫌な意味であそこの家が有名になってなきゃおかしいだろ? でも、そんな噂はどこにもない。だから皆、最後には俺たちみたいに羽切さんの正体に気がついて逃げ出してたんじゃないかな」


 渋沢の問いかけに頷きながら告げて、俺はアイスコーヒーを一口(すす)った。


「ただ、どういう目的であんなことをしているのかがわからない。人を招いて、怪談蒐集(しゅうしゅう)をする幽霊なんて、聞いたことないだろ?」


「……純粋に、寂しかったとか? その……旦那さんに殺されて、その旦那さんも自殺したわけじゃない? それからずっと、あの家に一人で成仏もできずに留まっているんだとしたら、人恋しくなったりもするんじゃないかな」


 カラン……というドアベルの音がして、サラリーマンらしき中年の男性が一人、店の中へと入ってきた。


 その男性がカウンター席の端に座るのを三人で見届け、またすぐに視線を目の前のテーブルへと戻した。


 この一週間の間、俺たちは図書館等を利用し、あの羽切家で過去に起きた事件について可能な限り調べてみた。


 全国のニュースにもならず、地元でも小さく扱われただけの事件であったが、今から六年前の三月にあの家で羽切夫妻の死体が発見されていた。


 このこと自体は、既にあの家で見つけた新聞記事の切り抜きでわかっていたことだが、そこからもう少し踏み込んで調べを進めてみると、この事件には異様な背景があることが明確となった。


 旦那である幸太郎は、自分の自殺体が発見される三ヶ月間くらい前、つまり前年の暮れ頃に妻の葛杷を殺害していた。殺した動機は、調べた限りでは不明。警察が検死をした結果、首を絞めて殺害後、数日放置した後に何故か首を切断していたという事実が明らかとなった。


 それから約三ヶ月もの間、幸太郎は首が離れた妻の死体と共に生活を送り、ある日突然裏庭の木にロープを巻き、自殺した。


 この自殺の理由も、不明。自死するまでの三ヶ月間、幸太郎が何を考え死体を処分せずにいたのかも不明。


 ただただ、後味の悪い事件として処理され今に至っているというのが、実情だった。


 その記事を一通り読んで俺が思い浮かべたのは、幸太郎は妻である葛杷に復讐されたあのではないか、という仮説。


 動機はさすがに知りようもないが、夫に殺されその死体までも傷つけられ放置された葛杷は、自分を殺した幸太郎を恨み悪霊となり、幸太郎の精神を蝕ませたか、または憑りつくかして、自殺するように誘導していたのではないのか。


 怪談会の最中、俺が亡くなった旦那に会いたいかと質問をした際、彼女は“もしまた会うことがあるのなら、逆に主人が私を見て何と声をかけてくるのか。そちらの方が気になります”と答えながら、おかしな表情を浮かべたのを覚えている。


 あの台詞(せりふ)の意味が、今になって気にかかる。


「でもよ、オレらが見たあの首吊りした霊は旦那だったわけだろ? 自分が殺して、挙げ句に復讐で呪い殺してきた自分の妻が側にいて、どんな気分なんだろうな? やっぱあの霊もあそこから動けなくなってるってことなのか? 地縛霊(じばくれい)みてぇな感じで」


「……ひょっとしたらあれは、俺たちに見せるため羽切さんが作り出した幻覚か、霊とは違う旦那の残滓ざんしみたいなものだったんじゃないかな。さすがに、自分が呪い殺した相手の霊と暮らしてるとは思えないし。羽切さんがされた仕打ちを考えれば、既に魂すら消し去ってることもあり得る」


“今年は迎え火をいていませんから、きっと今頃は山の中を彷徨っているんじゃないでしょうか”


 冗談口調で告げていたあの言葉も、自分が復讐した相手への皮肉であった可能性がある。


 そんなことを思いながら渋沢へ言葉を返し、俺は苦笑を漏らす。


「何にせよ、もうあんな怪談会はこりごりだな」


「ああ。暫くは恐い話なんか聞きたくもねぇよ」


「あたしも同意。いくらなんでも、あんな仕打ちはないもんね。最後もし、羽切さんに追いつかれたりしてたらさ、あたしらどうなってたと思う? あの家に囚われて帰れなくなったりしてたのかな?」


 硬い表情で身を乗り出し、俺と渋沢を見てくる戸波へ


「さぁ? 考えたくもないよそんなこと。でもひょっとしたら、永遠に怪談会に参加させられることにはなってたかもな」


 そう肩を竦めて答えてみたが、戸波も渋沢も勘弁してくれというような複雑な表情を浮かべて静かにため息をこぼすだけだった。


 またドアベルが鳴るのが聞こえ、同時に賑やかな声が店内に広がる。


 入口を見れば、小さな子供を連れた母親らしき四人組のグループが店へ入ってくるのがわかった。


「騒がしくなるな」


 母親グループが側のテーブル席に座るのを横目で確認して、俺たちは羽切に関する話題を打ち切った。

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