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怪談遊戯  作者: 雪鳴月彦
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――変容する家――

「もうかなり前に読んだ話だから、細かい部分は脚色しちゃってるけど、話の大まかな流れは合ってると思う」


 何の雑誌で読んだのかもうろ覚えだが、子供ながらに話の中身は強く印象に残っていた。


 確か、この話を読んで暫くの間は車の下が恐くて、極力見ないように意識していた記憶もある。


「事故車とかに纏わる話も、結構色んなのあるもんな。廃車置き場で、雨の日になるとクラクションが響いてるのを聞いたとか、夜な夜な人の呻き声が聞こえて人が近づかなくなったとか。たぶん、今の話が実話なら、そのワゴン車と軽自動車もいわくつきってやつになっちまってるかもな。修理して中古にでも出回ってたら、買った客が悲惨だぜ」


「ああ、それは俺も何回か考えたことあるよ。軽自動車に乗ってた老人が、ワゴン車に恨みを持ってとり憑いたんじゃないかって。もし事故の後に誰かが乗れば、バックミラーに姿が映ったとかブレーキ踏もうとしたら足を掴まれたとか、色々な現象が起きることになるのかなってさ」


「あ、そういうのあたしも聞いたことある! テレビでも似たようなの放送してたよ。ドラマみたいなのでさ、確か――」


 話し終えたばかりの怪談をネタに、三人で暫し雑談をして時間を潰していると、不意に渋沢が腰を浮かして俺と戸波へ謝るように右手を立てるジェスチャーをしてきた。


「悪ぃ、オレもちょっとトイレ行ってくるわ」


「ああ。場所は羽切さんに聞けば教えてくれると思う」


「おう。てか、教えませんって言われたら普通に困るわ。返す言葉浮かばねぇよ」


 ふざけたことを軽く言い合い、渋沢は立ち上がるとすぐに方向転換し台所と茶の間を隔てる曇りガラスへと移動していく。


 そうして、遠慮がちに戸を開け奥を覗き込んだまでは良かったが、どういうわけかそこから先へ進もうとはせず、すぐにまた俺たちの方を振り返ってきた。


「どうしたんだ、変な顔して」


「漏らしたの?」


 座ったままその様子を観察していた俺と戸波が、それぞれ好き勝手に声をかけると、渋沢は何とも言えない表情を顔に張り付かせながら、そっと台所を指差してきた。


「いや、台所……誰もいねぇけど」


「え?」


 何を言っているんだと思いながら立ち上がり、俺も渋沢の横から曇りガラスで閉ざされていた向こう側を覗き込んだ。


 しん……と静まり返った台所には、渋沢が言ったとおり人の姿はなく、ただ無機質でそれほど明るくもない光が冷たく周囲を照らしているだけ。


「……羽切さん?」


 様子を窺うように声をかけながら、俺は台所へと入りその狭い空間をぐるりと見渡す。


 先程手洗いから戻ってきた時に見た光景と、今見ている光景には何も差異がない。


「トイレか?」


 一緒に台所へ足を踏み入れた渋沢が、暗い廊下の方を気にするようにしながら呟いた。


「かもな。でも、おかしくないか? 羽切さんが夕食を準備してくれるって言ってこっちに来てから、そこそこ時間は経過してるんだぞ。さすがに完成はしないだろうけど、料理をしてる痕跡みたいなのは普通にあっても良いはずだ。なのに……」


 そこまで言って言葉を止め、俺はスッとまな板の辺りを指差した。


 どういうわけか、まな板の上にもどこにも、食事の準備をしている痕跡は見当たらない。


 食材を用意していないし、包丁もない。ガスを使ったりしていた形跡も、ない。


「…………」


 (おもむろ)に、渋沢が俺の前を横切ると、冷蔵庫へと近づきドアを開けた。


「……おい、これどういうこった?」


 中を覗いたまま問われて、俺もそちらへ行き確認すると、食材が入っているはずの冷蔵庫内は空っぽの状態で調味料すら見当たらない。


 無言のまま冷凍庫も開けてみたが、そちらも同じ。


「これでいったい、何を用意するつもりなんだ?」


 ジワジワと困惑が脳内に広がり、本能が焦燥感を駆り立ててくる。


「ねぇ、どうしたの? 羽切さんいないの?」


 茶の間に座る戸波が、不審そうに声をかけてくるのを聞いて、俺は一度そちらへ戻り軽く手を上げ


「何でもない。ちょっと待ってて」


 そう言うと、渋沢の側へと戻り(あご)をしゃくるようにして狭い廊下を示してみせた。


「ここにいないってことは、そっちに行ったとしか考えられない。トイレとかで具合が悪くなって倒れてるとかってことも、ないとは言い切れないし。調べてみよう」


「ああ、だな」


 渋沢が同意するのを確認し、俺は先程羽切がしてくれたように廊下の電気を点ける。


「何だこれ。すげぇ暗いな」


 頼りない光をどんよりと降り注がせる電球を見上げて呻く渋沢の声を背後に聞きながら、俺はまず一番手前にある浴室の前で足を止めた。


 ガラスドアの奥は、暗闇に包まれている。


 まさかこのタイミングで電気も点けずに入浴中、などということはないだろうと思いつつ、小さくノックをしてからそっと隙間を作るようにドアを開け中を覗いた。


「……いるか?」


「いや、誰もいない。使った様子もないな」


 人がいないことを確かめてから、壁にあったスイッチを点けて明かりを灯し、ドアを全開にする。


 羽切はおらず、床も濡れた形跡がない。浴槽の蓋は開いており、その中も一滴の水も張られてはいなかった。


 ドアを閉めて電気を消し、更に奥へと歩を進める。


 洗濯機が置かれたスペースを横目に見たが、先程来た時と何も変化はなく、ここも羽切の姿はない。


「やっぱりトイレか?」


 残す場所はそこしかないと、古い木製のドアの前で立ち止まった俺は、そこでもまたおかしなことに気がついた。


 トイレの電気が、点いていない。


 まさか、電気も点けずに入っているのか。


 そう思い、恐る恐るスイッチへ手を伸ばし明かりを点けるも、ドアの隙間から心許ない光が漏れ出してくるだけで、中からの反応は返ってはこない。


「マジで何なんだろうな。開けるのか?」


 こんな状況とは言え、女性が中にいるかもしれないと考えるとモラル的に後ろめたい気分になっているのだろう、渋沢が躊躇(ちゅうちょ)するように、判断を求めてきた。


「ノックしてみて反応がなければ、開けるしかないだろ」


 答えて、俺は浴室と同様に控えめなノックをしてみたが、数秒待っても内側からのリアクションはなく、仕方なしにドアノブへと手をかけゆっくりと回した。


 カチャリと小さな音を立て、ドアは簡単に開く。


 鍵が掛かっていないことには、もう戸惑いも感じなかった。


 そのままゆっくりとドアを開いていき、渋沢にも見えるように全開にする。


「…………いねぇな」


 和式のトイレにも、特に変化はなかった。


 自分が使った時と同じまま、スリッパの位置すらずれてはいない。


「どこに行っちまったんだ?」


 頭を巡らすようにしてトイレの中を見渡す渋沢の言葉を横で聞きながら、俺はふと裏口のドアへ振り向いた。


 どこかへ消えることができるとすれば、後はここだけ。


 一瞬そう思ったのだが、三和土の上にはサンダルが一足残されたままで、どうやらそこから外へ出たわけでもないことがあっさりと証明されてしまった。


「ん? そっちは?」


 俺の見ているものに気がついた渋沢の声には振り向かず、「たぶん裏庭に出るドアかな」とだけ告げて、俺はサンダルを履くと今度はそちらのドアノブを回してみた。


「こっちは鍵が掛かってるな」


「一応、開けて確認だけしてみようぜ」


「ああ」


 摘まみ式の鍵を開錠しドアを開けると、ムワリとした夏の熱気が身体へまとわりつくように入り込んできた。


 予想したとおりドアの先は裏庭で、すぐ目の前には好き勝手に伸びた下草が夜闇の中で不気味に群生しているのが目についた。


 慎重な足取りで外へと出て、左右を見渡す。


 明かりも何もない山の中。薄っすらと見えるのは、気分が圧迫されそうになるくらい無数に生える木々のシルエット。


 それ以外には、何もない。


 ここも外れか。徐々に不安が募り始める気持ちを自覚しながら、小さく鼻から息をつくと、靴下のまま外へ出てきた渋沢が身体を前屈みにするような体勢になりながら


「なぁ、おい……」


 と、俺の腕を軽く叩いてきた。


「あれ、何だ? そこの木の上に、何かあるように見えねぇか?」


「え?」


 そうして、ドアから見て正面に位置する木の上を指差すのを見て、俺もそちらへ顔を向けしかめっ面になりながら目を凝らす。


 黒い空間に、無数に生える木々。


 ひたすらジッと見つめていると、その中の一本から、何かおかしなモノが垂れ下がっているのがぼんやりと見えた。


「本当だ。何かあるな」


 いまいちよく判別できず、俺はポケットからスマホを取り出すと、ライトを点けてそちらへとかざす。


 ――刹那。


 渋沢の低いくぐもった呻き声が闇に染み込んだ。


 俺たちの目に飛び込んできたのは、見知らぬ男が木の枝からぶら下がる姿。


 首に巻かれたロープが微かにそよぐ風に揺られ、プラプラと男を揺らしている。


 三十代くらいだろう。顔は鬱血(うっけつ)し、どす黒い。


「何だよ、これ。何でこんなとこに首吊り死体が……」


「とにかく、一旦家の中に戻ろう。何かわからないけど、ヤバい気がする。茜も連れてここから離れ――」


 渋沢の腕を掴み、再び裏口のドアを潜ろうと振り向いた俺は、そこでピタリと身体を硬直させる。


「お、おい……。これ」


「あ?」


 たった今、自分たちが出てきたはずの家が、廃屋のように朽ちていた。


 開かれた裏口のドアから見える内部は、壁や天井が所々崩れ、床には木屑や埃が累積している。


 灯っていたはずの電球もそれ自体が無くなり、狭く短い廊下はスマホのライトを当てなければ、漆黒の闇に包まれているような状態と化してしまっている。


「な、何だこりゃあ? オレたち、今までこの中にいたんだぞ。何でいきなりこんな――意味がわかんねぇ!」


 混乱した様子で朽ちた羽切家の屋根を見上げる渋沢に、


「とにかく茜の所に行くぞ。一人にしておくのはまずい。どうにかしてここから離れて、警察に連絡をしないと」


 震えそうになる声を必死に堪えてそう告げると、確認をするために俺はもう一度背後でぶら下がっている男の方を振り向いた。


「――?」


 何が起きているのか、あまりにも非現実的すぎる出来事が連続して身に振りかかり、俺自身これが夢なのか現実なのかもわからなくなりそうだった。


 十数秒前。


 僅か十数秒前まで、目前に生える木の枝からぶら下がっていた男の死体が――今は忽然とその姿を消していた。

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