第四十二話:カラーバー
「気持ち悪……」
赤いゴキブリの話を終始顔を顰めて聞いていた戸波が、心底嫌そうな声でそう呻いてきた。
「真っ赤なゴキブリってさぁ……あたし聞いたことあるよ。ゴキブリって成虫になる前は身体の色が黒じゃなくて茶色っていうか、若干赤っぽいって。それだったんじゃないの?」
「そうなのか? でも、そいつが見たのは違うと思う。茶色っぽいとかじゃなくて、本当に真っ赤で本当にトマトと同じ色だったって言ってたから。新種の可能性もあるぞなんて、当時は話を聞いた皆で盛り上がったりもしたけど、それもどうかな。何万分の一の確率で生まれる亜種とかなら、まぁわかるけど。そういうのってどこかで専門家が話題にしてそうな気もするけど、そういうのもないし」
真っ白い雀とか、黄色いカエルとか。そういう珍種が過去にネットやテレビで取り上げられたのは観たことがあるが、さすがに真っ赤なゴキブリは聞いたことがないし、そんなものが生まれてくるとも想像し難い。
「それ、鼻血の付いたティッシュのとこにいたんだろ? ひょっとしたら、血を吸うタイプのゴキだったんじゃねぇか? 突然変異的なやつでさ、蚊だって人間の血吸うんだし、そういうのが紛れ込んでたとか。じゃなきゃ、ゴキの姿になって現れた幽霊かもな。まさか、人間に殺されたゴキがそのまま化けて出たってことはないだろうし」
恐いではなく、不快という意味で嫌がる戸波を面白そうに横目で見つつ、渋沢が言葉を割り込ませてくる。
「何それ、アマゾンの奥地じゃあるまいし、日本にそんなのいるわけないじゃん」
「いや、アマゾンにもいないと思うけど……」
血を吸うゴキブリなどいてたまるかという思いで、俺は戸波の発言に否定を述べ、それから渋沢のこぼした言葉に少なからずの同意を示す考えを口にだした。
「でも、虫の幽霊だっていてもおかしくはないよな。人や動物ばっかりでさ、同じ生き物なのに虫には魂がないとか、おかしい感じがするし」
「だろ? 動物もよ、犬とか猫はよく聞くけど、鳥とか滅多に耳にしねぇじゃん。墓に行ったら、カラスの霊が飛び回ってて、見上げてたら一瞬で全羽消えたとか、あっても良さそうなのによ」
「確かに、そういう話って聞かないね。インコとか飼ってた人がインコの霊見たとか言ってるの、聞いたことないもん。いるのかな?」
「気づいてないだけで、案外身近にいるかもしれない。……ってことにしといた方が、怪談としては夢があるんじゃないか?」
ふざけるように俺が言うと、戸波は「夢って何よ」と笑いながら口元を緩め、それからチラリと台所の方へ意識を逸らした。
つられるように俺と渋沢もそちらを見るが、まだ羽切が姿を見せる気配はない。
「――さて、そんじゃまた次はオレが話すかな。今の赤いゴキブリの話聞いたら、カラーバーの話を思い出しちまったし」
顔をテーブルの方へ戻した渋沢が、モゾリと尻の位置を調整するように動いて言った。
「カラーバー?」
「知らねぇか? 今はもうねぇのかな……わかんねぇけど、昔さ、テレビがその日の放送を終了すると砂嵐になったり、虹みてぇなカラフルな画面になったりしてたの、観たことねぇか? その、カラフルな画面をカラーバーって言うんだけど」
「あー、知ってる! 観たことある。あれでしょ? ずっとピーって電子音鳴り続けてたりする画面。夜更かししてた時に何回か観たけど、ずっと観てると不気味なんだよね」
「そうそう、それだよ。つーか、良かったな何にもなくて。そのカラーバー、長時間観てると自分の葬式を観ることがあるらしいぞ」
「え? 何それ」
話に乗っかる戸波を悪戯っぽい顔で見つめ返し、渋沢はそのカラーバーに纏わる話をし始める。
「あのな、あのカラーバーって正式には放送局が流してる試験電波放送とかいうやつで、それでカメラ調整やテレビの画質調整みたいなことをしてたらしいんだけど、あのカラーバー、実はちょっとした都市伝説があってよ。カラーバーが映し出された画面をずーっと観てると、稀に画面が切り替わって、葬式をしてる映像が流れ始めることがあるんだと。で、その映像っていうのが、誰がどうやって撮影しているのかも不明で、真上から俯瞰するようなアングルで映されてるらしいんだが、その葬式、テレビを観てる本人の葬式だっていうんだよ」
物音一つしない部屋の中に、渋沢の声がやけに大きく充満する。
「で、実際自分が死に化粧されて寝かされてる姿がズームして映されたりするらしいんだけど、その葬式に参列してる人たちの顔だけは、何故か全員ボカシを入れられてわからなくされてる。それで、これはいったい何なんだ? って思いながら暫く観てると、突然場面が切り替わって、葬儀場……火葬場のシーンが始まるんだ。で、棺に寝かされてる自分が、火葬炉に入れられて点火された瞬間に映像が終わり、また元のカラーバーに戻るっていう。そういう都市伝説があってな。それ観た奴は、一週間以内に本当に死ぬって言われててよ。ガキの頃学校で聞かされた時はマジで恐がっちまってたな」
そこで話は終わりのようで、渋沢は口を閉ざすと僅かに身を引き俺と戸波を順番に見る。
「夜中にそんなの見ちゃったら、絶対耐えられないって。自分の葬式とか、精神的なダメージ半端なさそう」
「予知なのか、死神か何かの呪いなのか。原因も正体もわかんねぇけど、でも夜中に起きる怪異だからな。ひょっとしたら、夜更かしする子供を牽制するために、大人が考えた脅しってこともあり得るぞ」
「あ、そっか。それなら納得できる。恐くない」
渋沢の言うことにいちいちリアクションを変える戸波の様子におかしくなりながら、俺はまたさり気なく台所の方へ目を向けた。
羽切がそちらへ消えて既にニ十分程は経過しているが、未だ何も物音が聞こえてこない。
夕食を用意してくれているはずなら、材料を出し入れする音や水を使う音など、何かしら耳に届きそうなものなのだが。
先程トイレを借りた際、台所で手を洗ったが、こちらで話す渋沢たちの声は丸聞こえであったし、防音性が高いわけでないのは確認済みだ。
……いったい、何をしているのか。
曇りガラスの先には、人が動く輪郭も窺えない。
引き戸を開けてみたい衝動がジワリと湧き上がるのを堪えつつ戸を見つめていると、戸波が「どうしたの?」と心配するような声をかけてきた。
ハッとして友人たちへ意識を戻し、俺はごまかし笑いを浮かべながら首を横へと振る。
「何でもないよ。次は誰が話をするの? 何なら俺でも構わないけど」
余計なことを言ったせいで、羽切へ迷惑をかけることになっては申し訳ないと思い、適当に話をごまかすために怪談の続きを促すと、二人は示し合わせたように頷きを返してきた。
「良いよ。あたしもう大したネタは残ってないし」
「オレも話したばっかだからな。一回休みで良いわ」
「わかった。それじゃあ、茜の真似じゃないけど、俺も以前に雑誌で読んだ恐い話を一つするよ」
二人の言葉を聞いて、俺は小さな咳ばらいをすると予め次に話そうと決めておいた怪談を語り始める。
「これは、俺が中学の時たまたま読んだ雑誌に載ってた話なんだけど。ある交通事故に纏わる、恐い体験談になるのかな」




