――束の間の時間――
「何か、家鳴りとかラップ音って、大抵は皆体験したことあるんじゃないかってくらい身近な現象だから、そういうの聞いちゃうとやっぱり幽霊がいるってことなのかなとか、今まで以上に疑いそうになりそう」
羽切の話が終わると同時に、肩の力を抜くように息を吐き、戸波がそんなことを呟いた。
「しかし、恐ぇよな。オレ、階段とかのシチュエーション結構苦手なんだよ。あるだろ? 映画とかでよ、化物とか幽霊が四つん這いで下りてきたり上がってきたり。あれ駄目なんだよ。階段の上にそんな壁から出てきてる女なんていたら、引っ越したくなるぜ」
「わかるわかる。夜とか、階段下りるの躊躇うときあるもん。何であんな恐く感じるんだろ?」
渋沢が喋るとすぐに戸波が反応を示し、また二人の会話が部屋の中に充満するみたいに広がる。
「――結局、その女の幽霊が家鳴りの正体ってことだったんですか?」
友人二人の会話を横に聞きながら、俺は一人微笑む羽切へ問いかけた。
「さて、どうでしょう? 私がその場にいたわけではないので、断言できるようなことは一切ありません。ですが、そういったモノがいるとはっきりした以上、安易に否定はできませんね。人ではなくなったモノが床や壁、天井の中を蠢く音を日常的に聞かされる。そこに住む人にとっては、堪ったものではないかもしれませんが」
面白そうに含み笑いをしながら羽切は告げ、口元へ手を添える。
「まぁ、確かに嫌ですけどね。そんな家は。あと、暗く見えたっていうのは、何でしょうかね? 影みたいな黒い霊……とは違ったわけでしょう?」
「今の季節ならわかりやすいかと思いますが、陽が射す場所と日陰に立った場合では光度が違うため、見え方が変わるじゃありませんか。日陰に立てば、当然影が全身を覆うわけですし。その壁から突き出た女も、それと同じように見えたのだそうです。ちゃんと屋根のある家の中で、天窓があるわけでもないのに、その女だけがとにかく暗く見えた、と」
理屈はわかるが、不可解な話だなと曖昧に頷いて、俺はさり気なく台所へ続くドアを覗くような仕草をして話題を変える。
「あの、ところで……トイレを貸してもらえませんか? 実はさっきから我慢をしていまして」
耐えられないわけでもなかったので、ひとまずは普通に振舞っていたが、さすがにいつまでもは持ちこたえられるものでもない。
話を切り出すのなら、話題に一区切りがついている今だろうと思い言葉をかけると、羽切は
「もちろんですよ。遠慮せず使ってください。ご案内しましょう」
嫌そうな素振りもなく応じると、すぐに立ち上がり台所の方へと歩き始めた。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
「おう」
まだ何やら話し合っていた二人へ断りをいれ、俺は羽切の後へ続くように立ち上がった。
「さ、こちらです。狭い家ですから、迷うことも何もないですけどね」
台所へ移動してそのまま左側を向くと、細く短い廊下と繋がっており、ちょうど廊下の真ん中の位置には古臭い裸電球が吊り下げられているのが目視できた。
羽切はその裸電球のスイッチを点け、奥へと歩いていく。
台所の隣は浴室で脱衣所はなく、曇りガラス一枚を隔てているだけのため、廊下から直接浴室へと入れる作りになっているらしい。
そのすぐ隣は洗濯機が置かれた狭いスペースがあり、更にその隣、廊下の最奥がトイレになっていた。
廊下の正面はドアと小さな三和土が設けられていて、恐らくではあるがそこから裏庭のような場所へと出られるのだろう。
「さ、ここがお手洗いになっておりますので。手を洗う際は台所の水道を利用してください」
「ありがとうございます」
くるりと振り返ってトイレの電気を点けると、気を遣ってだろう、羽切はそそくさと茶の間へと引き返していってしまった。
それを見送って、俺は改めて周囲を眺める。
狭い廊下に、羽切が点けた豆電球の弱いオレンジの光だけが灯っている。
まるで寂れた居酒屋の雰囲気に似ていなくもないなと思いながら、トイレや洗濯機の置かれたスペースの反対側を見やれば、壁ではなく襖になっているのがわかった。
間取り的にこの奥は、茶の間の隣にあった座敷になっているものと推測ができる。
声には出さないが、羽切が言ったとおり確かにそれほどの広さはない家だ。
廊下の突き当り、裏口のドアへと目をやれば、異様に汚れた木製のドアであることがわかり、下には履き古したサンダルが一足置かれているだけ。
さすがにその先まで出て確認をする気にはなれず、俺は大人しくトイレへと入った。
もう何年も目にしていなかった和式の便器に若干驚きつつ用を済ませ、台所へと戻る。
廊下の電気を消し、蛇口で手を洗いながら横を見ると、年季の入った木のまな板が置かれているのを見つける。
隅にある冷蔵庫も、かなり旧式のものでよく壊れずにもっているなと物持ちの良さに感心してしまった。
それとも、住んでいる場所がこんな山奥では、家電一つ購入するのも大変なため嫌でも大切に使わなくてはいけない感じなのだろうか。
自分が出している水と、茶の間から漏れてくる友人たちの声意外は完全な無音状態の狭い台所を更に数秒間眺めてから、俺はポケットに入れていたハンカチで手を拭き茶の間へと続くドアを開けた。
「おう、戻ってきたか。ちょうどいいタイミングだったな。今からオレがまた一つ恐い話をするとこだったんだ」
ドアを開く音を聞き、渋沢が振り向いてくる。
「お前まだネタあるのかよ」
適当に言葉を返しながら席に座り、ひとまずウーロン茶を少しだけ喉へ流し込んだ。
「聞いた話だけなら、結構あるぜ。これから話すやつも、大学の知り合いから聞いたんだけど、んー……ちょいありきたりなネタかもしれねぇな」
俺が落ち着いたのを見て、渋沢は戸波と羽切へ含むような笑みをみせながら、
「それじゃ、話すぜ」
新たな話を語り始めた。




