――違和感――
時計の音だけが響く部屋の中は、まるで森の中の静謐に包まれているかのように、非現実的な気配を帯びている。
呪いに纏わる怪談を一つ語り終えた羽切は、下へ視線を伏せたまま小さな吐息を漏らして、その形の良い唇を閉ざした。
「呪い、か。子供たちの間で流行るのもそうだろうけど、大人がやってヤバい目に遭ったなんてのもあるくらいだから、やっぱ危険なもんなのかな。一人かくれんぼとか、絶対やらない方が良いなんてよく言われたりしてるけど、たぶんあれと同じようなもんじゃねぇか? 何も起きない奴には肩透かしで終わるけど、運悪く何か起きた奴は恐い思いするんだからよ」
渋沢がウーロン茶へ口をつけながら、静寂の中に自らの声を混ぜ込む。
「そうですね。怪異を呼び込むモノに目をつけられれば、その人はもうただでは済まない。リスクこそあれど、得るものはない。ほとんどのお呪いとはそういうものなのかもしれません」
そっと目を細めながら渋沢を見る羽切は、注視しなくては気づけないほどにさり気なく含み笑いをして言葉を紡ぐ。
「ですが、この運悪くお呪いで不幸な体験をしてしまう方たちというのは、何か共通するものがあったりはするのでしょうか? 例えば、普通の人よりも霊感が強いとか、過去に一度でも心霊スポットのような場所を訪れた経験があり、得体の知れないモノを連れてきてしまっていたとか。でなければ、住んでいる場所やお呪いを試した場所が問題であったとか。一般の人とは違う、何かがある。そういう可能性もあり得る気がしませんか?」
「そう言われれば、確かにそうだよね。そのお呪いで呼び出す霊とか神様とか、そういう存在と波長が合わないとかもあるのかな。薬みたいに、体質によっては副作用がありますみたいな」
木造の天井を見上げながら、戸波が羽切の問いかけに答える。
特に意見もない俺は、意味もなく戸波の視線を追いかけるように天井へ視線をスライドさせた。
本当に、築何年なのかうまく予測ができないほどに年季の入った天井板。
そこに浮き出す木目を視線でなぞっていくと、所々が人の顔のように見え、妙な薄気味悪さを覚えてしまう。
部屋の中央に付けられた蛍光灯の明かりの奥で、滲むように張り付くその顔たちから目を逸らそうとして、俺はふと今更ながらおかしなことに気がついた。
気のせい、かもしれない。
今日は一日中慣れない道を移動し、帰りには道へ迷い山の中を彷徨った。
間違いなく身体は疲れているはずだし、それが原因で自分でも自覚できないうちに身体機能が低下したりしていることも考えられる。
しかしそれでも、この部屋は少し薄暗くはないだろうか。
電気は普通に点いている。
家へ案内された時点からこの光度であったせいか、これが普通と錯覚を起こしていたのかもしれない。
さり気なく周囲へ視線を這わせてみれば、言い方は変だが異様に影が多い。
蛍光灯から少し離れた棚の横、部屋の隅々、壁に掛けられた時計とカレンダーの僅かに覗く裏側。
所々に散らばる影が、濃くはないだろうか。
一度気にし始めると、どうしてもそれが違和感のように感じてきて気分が落ち着かなくなってくる。
「……?」
そわそわした視線を室内にばら蒔いていると、また一つあることに気づく。
壁に掛けられているカレンダーが、三月になっている。
今は八月のお盆。普通に考えて、間違えて捲ってしまったという状況でもないだろう。
更によく目を凝らしてみれば、年号が六年前になっているのもわかった。
六年前の、三月。
まさかそのまま、今日まで放置していたというのだろうか。
「――どうか、されましたか?」
ビクリとして視線を前に戻すと、羽切が俺を見て笑っている。
「あ……いや。ちょっとあのカレンダーが気になったもので」
慌てて声を絞り出しながら、カレンダーを指さす。
「あれ、もう六年も前のやつですよね? 新しいカレンダーは、使わないのかなって……。すみません、他人が気にすることじゃないですよね」
俺の指に誘導されるようにして、羽切の目玉がカレンダーへスライドする。
「ああ……あれですか。特に使うこともないので、ずっとあのままにしているだけです。確かに、他の方から見たらおかしいですよね」
「使わない? 不便じゃないんですか?」
今の時代、日付や時間のチェックくらいはスマホ一つあればいつでもできる。
カレンダーはもちろん、腕時計なども絶対にないと困るアイテムでないのは確かだが。
「特に不便もありません。ここで暮らしていると、毎日が同じようなものですし、私個人には特別用事のある日もほとんどないですから。時間も日にちも、ほぼ無縁の人生です」
自虐的でもなんでもなく、それが至極当然のことだという風に告げて、羽切はポカンとなっている戸波と渋沢へも微笑を向ける。
「さて、どうしましょうか。次も私がお話をしましょうか?」
強引にも感じるかたちで話を怪談へと戻した羽切は、わざとらしく何かを考えるような仕草をしてコホンと小さな咳をする。
「お呪いや都市伝説のような話よりは怪談らしい……と言えるのかは自信がないですが、これまで話をして大抵の人が恐いと言ってくれたお話があるんです。それを、いくつかご提供しましょう」
俺たちの反応を待つことをせず一方的に話を進めて、羽切はまた唇の端を上げて微笑を湛えた。




