第十八話:本の思い出
二つ目は、私が学生の頃に担任の女性教師から聞かせてもらった、ちょっと不思議な話です。
この先生の名前は、及川先生ということにしておきましょう。
話を聞かせてくれた当時はまだ二九歳で、結婚したばかり。
数学を教えていて、誰にでも優しい人気者の先生でした。
そんな及川先生が、ある日授業の終わりにこんな話をしてくれたんです。
「――そうだ、皆は小さい頃、何か大切にしていた本はありますか? 図鑑でも良いし、絵本とか漫画でも。夢中になって何度も何度も読み返していた本。そういうのあるかな?」
たまたま授業が早めに終わって、十分くらい時間が余ったのを理由に、先生は突然そんなことを問いかけてきました。
「先生はね、今は数学を教えてるけど、小さな頃は植物が好きで、親に買ってもらった植物図鑑を毎日飽きずに読んでたの。まだ幼稚園に上がる前くらいの時からかな、リアルでは見たことがない綺麗な花とか、珍しい形をした葉っぱとか、そういうのを眺めてるのが大好きだったのね」
皆授業をしなくて済むわけですから、特に嫌がるわけでもなく先生の話を聞いていました。
「それでね、その図鑑の中でも一番好きだったページがヒカリゴケっていう、皆はわかるかな? 暗い所で光る不思議で綺麗な苔なんだけど、そのヒカリゴケの載ってるページがお気に入りで、飽きもしないで何回も開いて写真を眺めていたのよ。だけど、先生も小学生になって、本を読むこと以外にも楽しいことが増えてきて、いつの間にかその図鑑を見ることもしなくなっちゃったんだけど、皆と同じ高校生の時に、部屋の大掃除をしていて久しぶりにその図鑑を見つけてさ。凄く懐かしくなって、またたまーに読むようになったの」
そこまで得意そうに話していた先生の顔が、ほんの僅か変化したのを私は見逃しませんでした。
ここからが本題だぞという風に、教壇に両手を載せ体重を預けるような姿勢で先生は先を話します。
「それでね、その図鑑は勉強する時以外はいつも机の上に置いていたんだけど、どういうわけか学校から帰ってきたり、ご飯やお風呂から部屋へ戻ったりするとしょっちゅうページが開いててさ。何故か先生が好きだった、ヒカリゴケが載った同じページばかりが開かれていたの」
不思議な話をしている、と言うよりも本当にただの雑談のような口調で語られる先生の体験談は、恐さがないせいかクラスの皆も特に抵抗なく聞き入っていたように思います。
「最初のうちはね、妹か親が悪戯でもしてるのかなって思って、勝手に部屋に入って変なことするのはやめてって言ったんだけど、家族全員身に覚えがないみたいで、そんな馬鹿なことしてないって逆に文句言われちゃってさ。なのにその後も同じようなことが続くから、先生もさすがに嫌気がさしちゃって、その本は押入れに突っ込んでおいたのよ」
皆が自分の話を聞いているか確かめるように、先生は視線を何度も左右へ揺らしながら話を進めていきます。
「でね、それから半年くらいした時だったかな。家に小学生の従弟が遊びに来て、その時に植物図鑑を見せてあげてたら、欲しいって言われちゃってプレゼントしたの。何度も読んじゃってる先生が持ってるよりは役に立つかなと思ったし。ま、そんなことがあって、先生の部屋からはその図鑑はなくなっちゃったわけなんだけど……」
勿体ぶるように言葉を切って生徒を見回し、先生は僅かに首を傾げながら言葉の続きを口にしました。
「……音だけがね、たまに聞こえるようになったの。本を捲る時って音がするでしょ? 紙と紙が擦れる音。あの音が部屋の中でするようになって。それが図鑑を読んでた時に聞いてた、自分がページを捲る音と同じなのに気がついてね。ひょっとして、本の幽霊とか、何だろう……本の記憶みたいなものが部屋の中に残ってるのかなって、不思議な気分になったんだよね」
そう告げた先生の顔が、ほんの一瞬憂いを帯びたように見えたのですが、きっと話をしながら当時の記憶と図鑑への愛着が鮮明に蘇っていたのでしょうね。
「その音、先生が高校を卒業して家を出るまで、週に一回くらいのペースでずっと聞こえてて、今でもあの部屋ではたまに紙が捲れる音がしてるのかなって、たまーに考えたりしてるんだよっていう、ちょっと不思議なお話でした。はい、ちょうど時間になったから、今日の授業はこれまで。来週豆テストやるからねー」
クラスの皆は、特に感銘を受ける様子もなく聞いていたようですが、私はこの話を聞いた時ああ、こういうこともあるのかもしれないなぁ、と暫くの間考えさせられてしまいました。
きっと、先生の図鑑を大好きとだという念が、その図鑑に不思議な力を宿らせたのではないでしょうか。
人と人。人とペットなどの動物。
そこに愛情や信頼が築かれるように、人と物の間にも、何かが育まれることもあるのかもしれません。
今この瞬間も、図鑑から生まれた何かは、幼い頃の先生に夢中でページを捲られていた遠い記憶を、何度も再生し続けているのだろうなと、私はそんな風に考えています。




