――小休止――
「――とまぁ、こんな感じの話だな。本当にガキの頃聞かせてもらった話だし、実話かどうかも定かじゃねぇけど。でも、当時は真剣になって聞いてたっけな」
三つの話を語り終えて、渋沢はほぅっと息をつくように肩の力を抜き、僅かに乗り出していた身を引いて笑った。
「この叔母さん、他にもいくつか変な話聞かせてくれてるから、なんならそれも話すか?」
真面目に聞いていた俺たちの反応に気を良くしたのか、渋沢が更に話を披露することを提案してくるが、これに羽切が小さく手を挙げ待ったをかけてきた。
「その前に、皆さんお腹は空いていませんか? 食事もされていないようですし、ここで一旦中断して何か簡単なものをご用意いたしますけれど」
そう言われて、俺たちは視線を交わし合い、それから壁に掛けられた時計を見上げた。
時刻は十九時七分。窓の外に残留していたなけなしの光はいつの間にか地平線の下へ埋まり、完全な夜闇が外の空間を包み込んでいる。
「こう見えて私、料理は得意なんですよ。毎日自分で自炊していますから。しかも、ほとんど自給自足です」
スッと立ち上がりカーテンを閉めながら、羽切はどことなく自慢げに微笑む。
「この辺りはご覧になった通り山の中ですから、春から秋にかけては結構色んな山菜が手に入るんですよ。川へ行けばカジカやイワナも泳いでますし、沢蟹なども生息しています。庭の畑でも、キュウリやトマトなんかを栽培していますしね。さすがに冬は大変ですけど」
「羽切さん、釣りとかできるんですか?」
「ええ、そんなにうまくはありませんけれど、主人がやっているのを見て真似をして始めてみたら、どうにかできるようにはなれました」
感心したように訊ねる戸波へ嬉しそうに頷いた羽切は、改めて俺たち三人を見回して小首を傾げる仕草をみせた。
「さて、どうしましょう? ご夕飯をお召し上がりになりますか?」
山の幸を振る舞ってもらえる、というのははっきり言ってこの上なく魅力的な誘いだ。
時刻も夕食には悪くない時間になっているし、ここは有難くご馳走になっても良いのではないかと思う反面、正直まだそれほど空腹感がないのも事実だった。
歩き疲れや緊張の方が強く、身体が空腹をうまく感じていないのかもしれない。
他の二人の反応を見ていると、自分と同じ感覚なのか返事に迷っているのが雰囲気でわかった。
「お気持ちはうれしいのですが、すみません。何だかまだそこまで腹も空いてないみたいで」
申し訳ないという声と表情を作り俺が言うと、羽切は特に気にした風でもなく「あら、そうですか? それなら仕方ありませんね」とあっさり引き下がり、代わりに俺たちの前に置いていたコップを回収し始めた。
「それなら、せめて新しい飲み物を。ちょっと待っていてください」
「あ、すみません」
ほとんど空になったコップを四つ、載せてきたお盆に戻して羽切は台所へと移動していく。
それを三人一緒に見送ってから、同時にふぅっと鼻から息を抜くようにして身体の力を抜いた。
「さすがに山ってだけあって、暗くなるのあっという間だね。まさかこのメンバーで怪談会やることになるなんて想像もしてなかった」
「確かにな。でも、良いんじゃね? あの羽切って人も悪い人じゃなさそうだし、なんつーか、民泊? そういうの体験してるみてぇで新鮮だし」
家にお邪魔したときよりは、二人ともさすがに慣れてきている様子で、交わす会話にも固さがない。
「わかる。民泊こんな感じなのかな。ああいうのって参加してみようって気になり難いからあんまり興味持ったことなかったけど」
「オレだってねぇよ。旅館とかならまだしも、他人の家だろ? ああいうサービスみたいなの、最初に考えた奴はよっぽど人が好きかお人好しじゃねーのか。場合によっては犯罪とかだってあり得そうなのに」
風が吹いているのか、窓の外でサワサワと枝葉が揺れる音が聞こえる。
ここに友人の会話がなかったら、かなり静かなんだろうなと思いつつ、何とはなしに室内を眺めていた俺は、そこでふと何か違和感のようなものを覚えた。
何が、と自問してもよくわからないが、自分は今この瞬間までに不自然な体験をしていないだろうかという、モヤモヤした気持ちが沸き上がってくる。
一つではない。いくつかの違和感を見逃して、俺は今ここに座っているのではないか。
そんな魚の骨が喉に引っかかったような、落ち着かない感覚が胸中に小さな芽を出し、俺に疑問を持てと促してくる。
「――なぁ、佐久田はどう思う?」
「――え?」
二人の会話から意識が逸れていた俺は、突然渋沢に肩を叩かれ我に戻った。
「あ……ごめん。聞いてなかった」
「何だよ、ぼーっとして。歩き過ぎて疲れてんのか?」
愛想笑いを浮かべてごまかす俺の顔をジッと覗き込み、渋沢は情けねぇなと言いたそうに口元を緩めてみせてくる。
「それはそうでしょうよ。どっかの誰かさんのせいで、こうして道に迷って慣れない山の中歩き回るはめになったんだし。あたしだって、正直言うと足パンパンだよ。脹脛と足の裏は痛いしさ」
「だからよぉ、それオレのせいか? どう考えても、迷う道なんかじゃなかっただろうがよ。行きの道思いだしてみろよ? そんな複雑なルートじゃなかっただろ? 分岐点っつーか、二股になった場所すらほとんどなかったのによ。絶対あれだよ、狐か狸にからかわれたんだよオレら」
「何がよ。フミくんが方向音痴なだけだったってことじゃないの?」
拭えない違和感に苛まれるまま、コソコソと盛り上がる二人へ曖昧な笑みを湛えてやり過ごしていると、やがてスーッと音もなく台所へ繋がる戸が開いた。
「お待たせいたしました。飲み物ばかりも口さみしくなるかと思いまして、軽く摘まめるものもご用意しましたので、是非お召し上がりになってみてください。私が自分で漬けたナスとキュウリです」
そそくさと自分の席へ移動し腰を下ろした羽切が、新たに用意したウーロン茶と小皿に入った漬物を俺たちへ配る。
「へー、すごいですね。羽切さん自分で漬物作れるんですか」
その小皿の中身を興味深そうに見つめながら、戸波が感心した様子で羽切を称える。
「ちょっとした保存食にもなりますからね。覚えておいて損はないなと思いまして。でも、これくらいなら誰でもすぐに作れますよ。基本は塩漬けの状態で置いておくだけですし、特別なこだわりとかがなければ工程は簡単です」
嬉しそうに頬を綻ばせ、どうぞどうぞと漬物を勧めてくるのに合わせて、戸波と渋沢が刺されていた爪楊枝を摘まみ漬物を口の中へと運ぶ。
「……お、うめぇ。汗かいたから、余計にしょっぱいもんがうまく感じるのかもな」
「ちょっと、それじゃ普通に食べたら大したことないみたいな言い方じゃない。でもほんと、ナスもキュウリもどっちも美味しい。良い塩梅って感じ」
一口食べて味をしめたか、二人は二口三口と漬物を口の中へと入れていく。
「ありがとうございます。普段は食べさせる相手もいないものですから、喜んでもらえると嬉しいです。たくさん作ってますから、いくらでも召し上がってください。佐久田さんも、どうぞ食べてみてください」
一人だけ手をつけずにいた俺を気にするように羽切が声をかけてくるが、俺は「ありがとうございます」とだけ言葉を返すだけに留める。
「ひょっとして、漬物は嫌いでしたか?」
「いえ、食べられますよ。二人みたいにすぐにがっつくのも恥ずかしいので、また話をしながら合間にでも食べさせてもらいます」
ばつが悪そうに眉宇を寄せる羽切へ努めて気を遣わせぬよう振る舞いながら告げ、俺は崩していた姿勢を正して小さな咳払いをする。
「それじゃあ、怪談の続きをしましょうか。今度は俺から話しますよ」
場を繕う意味も込めてそう切り出して、頭の中にある怪談ネタを検索する。
自分の体験は語れるようなものがないが、大学の知人や親戚から聞いた話はまだストックがあるため、ひとまず自分一人だけが沈黙するような事態にはならなくて済む。
「大学で知り合った人から聞かせてもらった話を三つくらいしましょうか。真実かどうかの確認はしていないので、嘘かもしれませんけど」
「是非、聞かせて下さい」
俺の真似をするように居住まいを正し、羽切が瞬時に目を輝かせた。
そこまで怪談が好きなのかとつい笑いそうになるのを堪えながら、俺は大学の知人が高校時代に体験したという不可思議な体験を話し始めた。




