婚約者が令嬢たちを口説き落としているけれど
「ああエリーザ、素敵な髪飾りだね。夜空のように美しい髪によく映えている、君のセンスは相変わらず抜群だね」
「おやおや、そんな遠くから見つめていないで近くによって君の鈴のように軽やかで愛らしい声を聞かせてくれないかい?」
「浮かない顔をしているようだけど、どうしたんだいコニー? 何か困ったことがあるのなら私が君の騎士になるから、よければ話してくれないかい?」
今日も今日とて我が婚約者様は令嬢たちを口説き落としている。
あまりにも見慣れ過ぎて、婚約者の周囲にいる色とりどりのドレスを纏った令嬢たちを見ても、目がちかちかするな程度にしか思えない。
最初は何事だと感じたが、今はもうなんとも思ってない。
あの女たらしは婚約者の生来の習性と言っても過言ではない。
女を見たら口説く、そういうものだと婚約者の中では決まっているのだ。
むしろ女がそばに居るのに口説いてないとなると、異常事態だ。
以前そんなことがあったと思ったら婚約者様は高熱でぶっ倒れた。まあ、起きてすぐに世話をしていたメイドの顔を真っ赤にさせていたけれど。
銀色に輝く真っすぐとした髪に、端正な顔立ちに、ピンと伸びた背筋に堂々とした態度、令嬢たちが虜になるのも頷ける。
まあ自分の前ではそんな態度ではなくむしろ黙りこくってしまうし、紫色のきりりとした瞳が真っすぐ向けられることは無く逸らされてしまうけれど。
「なあ、お前の婚約者今日も黄色い声援送られてるけど、いいのか?」
「別にいいです」
声を掛けてきた王族にしては粗野な赤髪の男に自分はそう答える。
「なんか不安になったりしないのかよ」
「どうしてですか? 別にいつものことだし、むしろよくあんな口説き文句がぽんぽん思いついて、大勢の顔やちょっとした変化も覚えてられるなって感心してますよ」
一見、婚約者は適当に令嬢におべんちゃらを言っているように見えるが、実は全部相手の変化を把握した上だし、言葉を発する時も絶対に嘘でお世辞を言ったりしない。
例えばコニーという女のことは家のことでトラブルがあるらしいと心配していた。
それを知っているのは婚約者の口からよく令嬢たちについての話を聞くからだ。むしろ婚約者が自分と話す時は令嬢達についての話がほとんどだ。
本人曰く「可愛いふわふわした女の子達には魅かれる」とのことだ。
「はぁ……でもその割にはお前の装飾品の変化には全然口出さないぞ」
「いつものことですから」
「お前は向こうの変化にめちゃくちゃ気づくのに」
「まあ、婚約者のことですから」
自分は婚約者のことだったら、前髪を少し切っただけで、爪をやすりで削ったことすらも分かる。
だが流石にこれを口にすれば引かれることは間違いなしなので、多くは語らない。けれど一つ言っておかなければいけないことがある。
「向こうも別に気づいてはいると思いますよ。ただ口にしないだけで」
気づかないようだったら、面倒くさがりな自分がいちいち装飾品を変えたり、考え込んで選んだりしない。
別に婚約者はこちらの存在を見ていない訳ではないのだから。人の機微にさとい婚約者がこちらの変化に気づいていない訳が無い。ただ……あの令嬢たちと同じように面と向かって指摘して貰えないだけで。褒めて貰えないだけで。
「それでいいのかよ」
「はい」
「お前、婚約者のこと滅茶苦茶好きだろ」
「度合いは人の基準であるので分かりませんが、好きですよ」
だってこの男にとっての滅茶苦茶好きが、自分の普通の好きだろうから。自分にとってあの人への感情はただ在る、それだけなのだから。
「だろうなぁ、お前あいつにしか興味ねぇもん」
「あいつ呼ばわりしないで下さい」
男の気に障る物言いに腹が立って睨みつければ、「おー、こわこわ」とふざけた様子で返してきたものだから、足を思いきり踏みつける。勿論見えないようにだ。
「いった! そんな凶暴だと婚約者にも怖がられるぞ。というか普通に不敬罪だろ」
「あの人の前でこんなことする訳ないじゃないですか」
「猫かぶりじゃねぇか」
「猫かぶりでも何でもいいです。とにかくあの人の前では醜態晒す馬鹿な真似はしません」
あの人の前では自分は完璧でなくては。
「じゃあ婚約者の前以外では?」
「あの人の目や耳に入らなければどうでもいいですね」
そう言ってみせれば、やれやれというように首を横に振られる。わざとらしいその仕草にいらっとする。
「もう少し周り見ようぜ。お前も大勢の奴らの前に立つような奴なんだから」
「必要がある時は見ますよ。それ以外は何を見ようが自由でしょう?」
「まあ、それはそうだけどよ」
「なら好きなものを見ます」
昔から大好きだった。
「いやでも王子の俺の前では多少は取り繕った方が良い筈だろ……聞いてねぇな。なんでお前みたいな奴が優秀なんだか……」
初めて出会った時、背の高い二つ年上のあの人に一目ぼれして、帰ったあと次に出会えるのはいつかと両親や使用人、乳母に何度も聞いた。
自分があまり人に興味をもたない子供だったので、お茶会の後に人の名前を出したのを大層驚かれた。
お茶会や夜会で誰か呼びたい人はいるかと聞かれた時、毎回あの人の名前を挙げた。
何度か話して内面を知るにつれ、更にその想いを強くさせていった。
なんとか婚約まで話をこぎつけることが出来て、初めて自分の立場を良いものだと思った。
今でも面倒な公務や人づきあいをしなければならないが、あの人の隣に堂々と立てるのならどうでもよかった。
ゆるやかなピアノの音が会場に鳴り響く。ダンスの開始前の報せだ。
自分は勿論、横にいた赤髪の男も婚約者の元へと向かう。
花に群がる蝶のように婚約者の周りにいた令嬢たちも、迎えにきた男たちに手を引かれていく。
人混みがそんな風になくなっていくものだから、徐々に自分と婚約者を遮るものは無くなっていく。
自分はそんな光景の中、真っすぐに婚約者の元へ歩くと、その前に跪く。
「麗しい私の婚約者、いや先ほどは騎士と仰っていましたから、騎士様とお呼びした方が良いでしょうか?」
「あ、あの」
自分がそう声をかけると、落ち着いた印象を抱くハスキーボイスとは裏腹に動揺した声が返ってくる。
「しかし騎士様と言うには、月と見まごうような美しい銀の髪と、この世のどんな宝石よりも綺麗な紫の瞳を持っていらっしゃる」
相変わらずその目は自分に合わされることは無い、下から見上げるこちらの視線からあの人は逃げてしまう。
「お召しになっている黒いドレスもあなたの美を演出するのに完璧だ。勿論、戦場でもそんな貴方の存在には目が魅かれてしまうことには間違いないのですが、騎士になって貴方が危ない目に遭うのは耐えられないです。なので申し訳ありませんが、私の未来の花嫁として一緒に踊って頂けませんか? クリスティーナ嬢」
「は、はい!」
そう真っ赤になりながらも返事をしてくれたので、自分は優しく微笑み返す。
昔から大好きだ。
本人はコンプレックスに感じている身長や外見も、
そんなコンプレックスを感じていようが妬むことをせず、憧れの要素を持った友人達を素直に褒めたたえたり本気で心配する性根も、
友人達の前では頼りがいのある格好いい姿で居るのに、私の前では緊張や恥ずかしさからそれが保てなくなってしまうのも、
全部全部大好きだ。
***
「あのギャップがたまらないですわ……普段格好いいクリス様が、あんな可愛らしくなるのが本当にたまらないですわ。やはりクリスティーナ様とデニス様のカップルは素晴らしいですわ」
「うん分かったからよ、エリーザ踊ろうぜ」
「普段はあんなに口がお上手ですのに、本命の前では何も言えなくなってしまうなんて! 知ってます? クリス様ったらたまに私達の前でデニス様と喋る練習をしていらっしゃるんですよ! でも結局デニス様に口説かれて何も言えなくなってしまうんです! ああたまらない!」
「……なんで俺は王子だってのに、友人の公爵子息にも、自分の婚約者にもないがしろにされて、クリスティーナ嬢の惚気を聞かされてんだ」
興奮する黒髪の婚約者の隣で、赤髪の王子はそうため息を吐いた。