あと5分で世界が滅びると言われたので、私はカップラーメンを食べることにした
23:55
「……というわけだ。だから今、私が再びこの時計を動かし始めると、この世界は5分後に消滅する。残された時間を大切に過ごすがいい」
「わかりました」
「では、押すぞ。心の準備はよいな?」
「大丈夫です。早く押してください」
「ほう、もう残された時間をどう過ごすか決めたのか。では、スタートだ」
『スタートだ』の『だ』の文字が発される少し前から若者が動き出す。汚いひらがなで『かみさまのつかい』と書かれた襷をした、ちょび髭メタボのおっさんを、両手で勢いよく弾き飛ばして台所へダッシュ。やかんに水を注ぎ始めた。
ジャー……
若者はやかんに水が半分ほど入ったのを確認すると、蛇口を閉めながらやかんをコンロへ移した。そしてコンロに火をつけるとすぐに換気扇を回した……が換気扇は回らなかった。
若者が不思議そうな顔をしてコンロを覗く。すると火はちゃんと出ているものの、何故か動くことなく固まっていた。時間が止まっているのだ。
「おい、お前何してんねん! あと5分で世界が滅びるって言ったやろが。意味わかっとんか?」
若者がくるりと振り返ると、百均で売ってそうなストップウォッチを黄門様の印籠のように見せつけながら、ちょび髭が怒鳴っていた。
「いや、だから時間を無駄にしないためにあなたを弾き飛ばしたんじゃないですか。私の軌道上にいたあなたが悪い」
「いやいや、お前おれが誰か理解してないやろ? 神様の使いやでおれ? 神様の使いに対してぶつかってくるって、頭おかしいやろお前」
「あと5分で世界が滅びるんでしょ? なら今更そんなことどうでもいいでしょ。ほら、さっさと時間を進めてくださいよ。あなたが時間止めているから火が使えないじゃないですか」
「おま、お前、人がまだ話してるってのに……てか、なんで火をつけようとしてんねん。何する気や?」
「お湯を沸かすんです」
「そんなもん見たらわかるわ! だからなんでお湯を沸かすんや?」
「カップラーメンを食べるためですけど。なにか?」
「なにか? ちゃうわアホ、世界が滅びるって言ったやろ。なんでこのタイミングでカップラーメンやねん。他にないんか?」
「ありません」
「即答かい!」
「今残された時間で私がしたいことはカップラーメンを食べることだけなんです。ほら、早くしてくださいよ。私が残された時間をどう過ごそうがあなたには関係ないじゃないですか」
「そ、そらそうやけど。まあ、そんなに言うならしゃーない。ほら再開や」
ちょび髭がしぶしぶそう言いながらストップウォッチのボタンを押すと換気扇が回り始め、コンロの火が燃え始めた。若者は満足気に頷くと、今度は台所のストッカーからカップラーメンを一つ取り出した。白地に赤いアルファベットのロゴが入った王道のカップラーメンだ。若者は慣れた手つきで包装のビニールを剥がしてフタを開け、そしてスマホを起動しいつでも開始できるようにタイマーを3分で準備した。
23:56
「なあ、ちょっとええか?」
若者が振り返るとちょび髭が不思議そうに手を挙げていた。
「お湯沸かすのに時間がかかってると思うやけど間に合うか? あとやかんの水の量が多すぎひんか?」
「水、多かったみたいですね」
「いやいや、多かったみたいですねって、わかってるか自分? 世界が滅びるまでもう4分切ったんやで?」
「だから?」
「いやいや、『だから?』とちゃうねん。ラーメン間に合わへんかもしれんねんで。てか、カップラーメン食べること以外にせなあかんことあるやろ! 愛する人に愛を伝えるとか、親に感謝を伝えるとか! 大切な友だちに連絡するとかないんか? やり残した事をやってみるとかさ、もっと有意義に残された時間を使おうや。せっかくお前は抽選に当たったんやで? さっき説明したやんか、今こうして世界が滅びる前にそのことを知ってんのはお前だけやぞ」
「愛する人には毎日愛を伝えています」
「……は?」
「彼女には毎日、朝起きたらすぐに電話で愛を伝えています。そして今日はついさっきまで彼女の家にいて、帰る前に『愛している』って言ってきました」
「……はあ」
「親にもこまめに電話をして、月に一度は会いに行っています。もちろん祖父母にも」
「……親孝行してるんやな自分」
「やり残したことは特にありません。強いて言うなら世界征服がしたかったけど、残り5分で何かできますか?」
「……無理やな」
フツフツフツフツフツ……
お湯が沸いた。若者は急いでカップ麺にお湯を注ぎ、スマホのタイマーをスタートさせる。それからコンロの火と換気扇を切って箸を用意する。
23:57
カップラーメンが出来上がるまで残り150秒。
「なあ、この待ち時間勿体ないと思わんの? あと3分もせんうちに世界が滅びるんやで? 今お前何してんの?」
「時計の秒針が動くのを数えていました」
「だから! もっと他にないんかお前は。秒針なんていつでも数えられるやろ」
「無理でしょ、あと2分後には世界が滅びるんでしょ? おれも死ぬんだから今しか数えられないじゃないですか」
「……ほんまやな。でも、ほんまに他になんかないんか? 死ぬ前に知りたいこととかさ」
「じゃあ一つ質問いいですか?」
「お、なんや、おれが知ってることならなんでも教えたるわ。言ってみ」
「どうして世界が滅びることになったんですか? もともとそういう予定だったんですか?」
「……いや、実は昨日決まってん」
「かなり唐突ですね」
「死んでもてん」
「神様がですか?」
「そんなわけあるかい。神様の推しが死んだんや」
「推しですか?」
「せやねん。読んだ漫画の推しキャラが死んだから、読む気失せてんて」
「じゃあ読まなければいいと思うんですが」
「おれもそう言ったけどあかんねんて。自分が読んでなくても漫画が続くこと、存在することが許せないんやと」
「なにそれ、無茶苦茶ですね」
「ほんまそれな」
「そんな下らない理由で世界って滅びるんですね」
「せやねん。この世界は神様が趣味で作ったおもちゃみたいなもんやから」
「因みにどんな漫画だったんですかそれ?」
「主人公が異世界に転生して無双する話や」
「ありがちですね」
「第一話の最後で、いきなりイケメンの主人公が死んで異世界に行ってもたから、もう読むの嫌になったんやって」
「あ、その段階ですか? メインの物語はまだ何も始まってませんよ?」
「『もっと現世にいてほしかった。勝手に私の知らない世界に行きやがって』って言ってたわ」
「理不尽すぎて言葉がないです」
「わかるでその気持ち。さ、他に知りたいことはないか?」
「もう大丈夫です」
「……そうか」
23:58
カップラーメンが出来上がるまで残り90秒。
黙ってタイマーを見つめていた若者が、突然ちょび髭の方を向く。
「もう一つ質問してもいいですか?」
「ええで、なんや言ってみ」
「この世界が滅びたらみんなどうなるんです?」
「消えるで」
「消えるんですか?」
「せやで。パチン! って感じで世界が弾けて何もなくなってお終いや」
「あなたはどうするんです?」
「世界が弾けて何もなくなったの確認してから帰るで」
「へー」
「うわ、興味なさそうやな。聞いてきたんお前やないか」
「もしかして0時までここにいるつもりです?」
「せやで……て、おいおい、お前なんやその嫌そうな顔は! 失礼やぞ」
「静かにしてもらえます? 死ぬ前の貴重な時間なんですから」
「タイマー見つめてるだけのやつに言われたくないわ、そんなセリフ!」
「そういうあなたはぼんやり私を見てるだけじゃないですか」
「そりゃそれがおれの仕事やからや」
「そんな仕事があるんですか?」
「見届け人や」
「まんまですね」
「せや、まんまや」
「因みに今まで何を見届けてきたんですか?」
「巌流島の戦いとか、関ヶ原の戦いとか、ベルリンの壁崩壊とかやな」
「なんで最後だけ国際的な話が混ざったんです?」
「細かいこと気にすんなや。気まぐれに『あれ見てこい』て言われんねんから。酷い時なんかグラミー賞の授賞式の開始から一時間だけ見てこいって言われたこともあるで」
「最後までは見せてもらえないんですね」
「最初だけ見てきた感想が聞きたいんやと」
「神様って勝手ですね」
「せやろ?」
23:59
カップラーメンが出来上がるまで残り30秒。
世界が滅びるまで残り60秒。
若者はまだ黙ってタイマーを見つめている。
「なあ、もうええんとちゃう? 残り1分切ったで? もうそろそろ食べ始めた方がええと思うんやけど」
「だめです。絶対に3分待つと決めているんです」
「そんなこと言うたかて、残り30秒で全部食べるのは少しきついで?」
「わかってます。私は猫舌なんで最初からそんなこと諦めてます」
「まじか、猫舌って、お前じゃあ3分経ってもすぐに食べられへんやんけ!」
「そうなんです」
「そうなんですあらへんわ! お前どうすんね……
ピピピピピピッ
アラームが鳴る。若者はアラームを止めると、ベリッとカップラーメンのフタを剥がした。湯気とともにジャンキーな香りが部屋に広がる。
世界が滅びるまで残り30秒。
若者はフタを捨て、カップラーメンと箸を持ってリビングの座卓の側へ移動した。
世界が滅びるまで残り20秒。
若者は箸で少し麺をすくうと、息を吹きかけてよく冷ましてから食べた。
若者のすぐ横でちょび髭が何か怒鳴っているが、彼の耳には届いていないようだ。
世界が滅びるまで残り10秒。
若者がふた口目を食べた後、思い出したかのように口を開く。
「そういやおれ、実はスタンダードな味はあんまり好きじゃないんですよね。安いから買うけど。一番好きなのは……
パチン
世界が弾けた。一瞬で全てが無になった。
音も光も何もかも無くなった世界に、一人取り残されたちょび髭。
「好きなラーメンの味ぐらい言い切れよ!」
ちょび髭は心の底から全力で叫んだ。しかし、残念ながら空気の存在しない空間では彼の声が響くことはなかった。
あなたが好きなカップラーメンの味は何ですか?
私はチリトマトです。