再びの裏切り
「じゃ、今までビカラが居たように装っていたのはおまえの仕業なのか」
クロードの問いにバサラは首を傾げた。
「うーん、仕業って言われるとちょっと違う気もするけど。早い話そんなとこだね。だいたい、五百年前、カルラに頭をかち割られてから寝たきりだったからな。その後、私も腕を一本貰ったし……ね」
バサラは何でもないようにそんなことをさらりと口にした。罪悪感、そんなものはこの男を形成している物の中には一欠けらもないのだとクロードは改めて思った。
悪を悪として認識しない人間。それはまさに無敵なのだろう。普通人は自分のやることが善であると願い、またはそう思い込んで動く。意図しないだけでそれは己の中で葛藤を生む。または自分が起こす悪事をせずにはいられなかった外因を求めるのだ。
その枷が――この男には無い。面白そうだから、とかそんな理由にもならないことがバサラを動かす。
「ユリウスのせいにするな」
クロードは強い口調になる。
「まあ、頭を割られたのはビカラ本人の自業自得ってやつだな」
この状況の中、バサラはふふふと笑った。
「ビカラが動けない状態を公にすることはこの世界を混乱させるだけだ。だから敢えて公表しなかった、そう言うことさ。ビカラが指示を出している、それが真実か真実でないのかなんて関係ない」
バサラの声が静かに響く。
「今の世界がこのまま続いていくと思えること、それが大事なんだよ。人は変化することを嫌う。不満のある現実も、それが長く続くとそこに意味や意義を勝手に見つけて折り合いをつける。人とはそういうものさ」
淡々と語るその言葉はクロードの胸に深く刺さる。かつて州公の庶子として寂しい暮らしをしていた時の自分を思い出したのだ。
でも、大多数の人間がそうだったにせよ、今のおれは違うとクロードは胸の内で言い返す。この世界を壊そう。そう思っているのだから。
「おれの中の魔教典はどうなる?」
しかし、そもそもの目的の行方だけは心配になる。クロードの中には魔教典が封じられていて、それを取り出すことはビカラしかできないと聞いていたからこそベオークに来たのだ。
「ああ、それね」
開けていた布をバサラは引っ張ってビカラを隠す。いつまでも見ていたいと思える代物ではない。このぼろきれみたいな物と自分が血の繋がりがあるということがバサラには残念で不可解だった。
一族の中で一番すぐれた者は思い込みでもなく自分だろう。能力も美貌も兼ね備えている者が上に立つことはこの世の道理だ。
幼い頃から理不尽にそれは阻まれていた。ただ親であるからとか、歳上だという本人の資質にはまるで関係の無い理由で、だ。
この世は虚栄心ばかりの中身の無い本人の力量とは関係の無いところで、偶然の産物のようにもたらされた地位にのさばっているバカばかりだ。
それを――正す。
そして自分の血だけを残す。これも生物としては当たり前のことだ。博愛云々言っていても人間だって同じだ。
カルラを失って頓挫しそうになったが、ハイラの腹の子どもがいればなんとかなる。まだまだ自分は天に愛されているのだ。
横にいる少年を見下ろして検分するように眺めながら、バサラは口の端がひくりと上がるのを抑えられなかった。
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「おまえは……サンテラか。たしかカルラについて西へ逃げたと聞いていたが。よく帰ってこれたもんだ。おまえの主人は腑抜けだな」
通された部屋にいたのがバサラでは無くそのしもべだったということでメキラは明らかに機嫌が悪くなった。しかも、昔主人を裏切って逃げたという前代未聞の欠陥品だ。
「お久しぶりでございます。ですが私の立場について誤解されていらっしゃるようなので訂正させていただきます」
メキラの言葉にあくまでも丁寧な口調でラドビアスはメキラに挨拶する。
「立場? おまえはバサラのしもべだろ。ただし裏切り者のな」
「今、私の身体に龍印はございませんよ」
メキラは瞬きを何回かしてぺっと唾を吐いた。
「嘘をつくな。ただの人間が龍印も無しに五百年以上も生きられるわけないだろう」
「そうですね、私もそう思います」
なんだと、とメキラの目がギラリと光る。しもべの分際でバカにしているのかと睨みつけるが、ラドビアスは落ち着き払って見返す。
「わたしがただの人間では無かったらどうしますか、メキラ」
「メキラ、さまだろうが」
しもべがさっきからこっちをバカにしたような態度を取ることにメキラはとうとう痺れを切らせた。
バサラが来る前にこの無礼なしもべを殺してやる。力を貸して欲しいと言いながらこんなバカを使いに寄こすなど無礼千万だ。
だいたい主人のバサラも、メキラより年下のくせにいつも大きな顔をしているのが気に食わなかった。
子どもを作ったことでやっとバサラを出し抜いてやったと留飲が下がる思いだったのだ。この後もあの雄牛みたいなハイラと我慢して閨を重ね、自分の血筋だけにするつもりだ。
美意識の強過ぎるバサラはその傲慢さゆえにその血を残せない。最後に笑うのは自分だ。
ここで思い知らせてやると腰から三本の長剣を抜く。三本の刀はそれぞれの腕に握られた。メキラの腕は三本だ。三つあるのは、何も腕だけではない。これが他の地域で生まれた子どもだったら、親は悲鳴を上げていただろう。
だが、ここなら違う。人と違うことは優れているということだ。たくさんの目とたくさんの手足は神と呼ばれるのにふさわしい姿、と言える。
人は憎悪するものと崇めたてまつる相手のどちらにも、自分との相似を請うのと同じくらいの違いを求める。
例えば、例えようもないほどの美しさとか。
あるいは岩のように大きく頑健であるとか。
人の形を残しながらも異形のものであるというように。
「切り刻んでやる」
一本の刀を口に持っていくと銀色に光る刀身をぺろりと舐めてメキラは笑った。
「それは遠慮します」
ラドビアスの手にはバスターソードが握られていた。クロードを助けるつもりで部屋を出た自分がここに居るのは勿論そのためだ。しかし、クロードがそれを望むかどうかは別問題だった。
バサラと手を組む――そのことをクロードは絶対許さないだろう。
ここにきてラドビアスは前と同じ轍を踏んでいる。そのことに勿論気づいているが自分にもどうしようもなかった。クロードを死なせたくない。それだけが……全てだ。
――それだけ。
きっかけは。
部屋を出てしばらく歩いていたラドビアスの肩に鴉が止まったことから始まった。
「バサラさまからの伝言だ」
鴉が淡々と告げる。
――インダラ。
肩に手をやった途端、鴉は一枚の紙になってひらひらと舞い落ちる。床につく寸前に掴んで目を落とすと、そこには流麗な藩語が書かれていた。
「まさかそんな……」
読み終えたラドビアスはぐしゃりとその紙を握りつぶす。手の中でそれは粉々に砕けて消えていく。そしてラドビアスの足は先ほどとは逆の方向に向かう。そこは、メキラが呼ばれるはずの部屋だった。
キン、キンと金属がぶつかる音が響く。外見の異様さに目を奪われていると命はない。メキラは剣の使い手だった。身体を回転させるように動かす三本の刀はどこからくるのか見極めが難しい。
上から振り下ろされた剣を受けたと思ったら、真ん中の手がまっすぐにラドビアスの腹を狙って突き出された。同時に足を狙って一番左の剣が下に突き立てられる。
――やったか。
メキラがそう思った直後、前に突き出していた剣を握った場所を目がけ、横合いからラドビアスに鋭く蹴りつけられて剣が飛んだ。
もう一つの剣で足を縫いとめたつもりが瞬時に腕に酷い痺れが走る。思い切り床を叩いたせいだ。
「くそ、生意気な」
ぜえぜえと荒い息を繰り返してメキラは刀を握り直す。おかしい、身体がいつもより重いのかと肩を回した。まさかしもべごときにこんなに振り回わされるとはメキラは思っていなかった。




