偽りの懐かしさ
久しぶりの更新です。よろしくお願いします。
まさに歩き方は妊婦のそれだ。巨体を揺らしながらハイラはドスドスと廊下を歩き、ようやくバサラの宮に入った。
「おまえはここで待っていろ」
メイファの言葉にしもべがむっとするが、この中にいるのがバサラならば自分が中に入るのは不敬に当たるということは承知している。
「そこで大人しくしとくのよ」
ハイラはこれからバサラに貰うものについて考えをめぐらせて舌舐めずりをして部屋に入って行く。パタンと扉が閉まったところで、メイファが後ろを振り返ってしもべを見ながらにやりと笑った。
「あんたは俺といいことしようぜ」
「何を言ってる? おまえはバサラの猫だろ」
しもべが警戒の表情でメイファから距離を取った。
「いいね、その顔。あんた強いといいなあ。楽しめるから」
メイファの右手の爪が一気に伸びて、それが一つにまとまり銀色の光を放つ。さらに左手の爪は鉤状になってそれぞれが鋭い光を反射した。
「何のつもりだ」
「ふふん、あんたのご主人と一緒さ。食欲を満たしたいだけ」
長くて赤い舌がべろりと自分の上唇をなめ、メイファは色っぽいとも言える流し目をしもべに送る。
「この畜生がっ。おまえこそ、ハイラさまの襟飾りにしてやる」
しもべが腰から体に合った大きな刀を抜く。それは普通なら背中に背負わなければならないくらい大きな刀で、その刀自体の重さで相手を叩き切る類の剣だった。
大きな声を上げ、その剣を大きく振りかぶったのを見て、メイファがやれやれとため息をついた。綺麗な大理石を敷いた床が割れるほど剣が床に叩きつけられたが、その場所にメイファの姿はない。
「そういう攻撃ってさ、相手が自分はもう死んでもいいやって諦めているか、それとも相当にとろい奴? まあ、とにかく動きがあんたみたいに鈍い場合しか有効じゃないんじゃない?」
「うるさいっ、どこにいる?」
声のする方を見定めようと、あちこちに頭をめぐらすしもべの頭上にメイファは飛び降りる。そして相手が声を上げる間も与えず、素早く鋭く伸ばした爪を頭の後ろに突き刺した。
「うるさいな、ここだよ」
どさりと床に倒れる男の上でメイファは引き抜いた爪をぺろりと自分の舌で舐め上げる。
「やっぱりあんまり美味しく無いな。やっぱり心臓だけにしとくか。しもべって心臓抜いても生きているもん? 腹の中で土に戻っちゃうなんてごめんなんだけど」
眉を顰めたまま、メイファはしゃがみ込むと男の胸に手を突っ込んだ。
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ひたひたと歩いていたマコラが角を曲がった途端にぴたりと足を止めた。
「ここにビカラがいるのか?」
黙ったまま頷くマコラをクロードはレーン文字で体を縛る。どこまで通じるのかは分らないが、きっと古代レーン文字に馴染みの無い者にはクロードが使う術は有効なのだ。
サウンティトゥーダを廊下に待たせて両開きの扉を開けると、そこには亜麻色の長い髪を背中に垂らした美しい男が長椅子にゆったりと座っていた。
「おまえは――」
憎らしいはずなのに、クロードは一瞬懐かしい思いに胸がいっぱいになった。大好きだった人にこいつはあまりにも似ている。
「やっと会いに来てくれたんだね、クロード。待っていたよ」
――待ってた?
微笑んでいるのはビカラでは無く、バサラだ。弟のカルラを死に追いやった張本人。何もかもこいつのせいだと思うのに、カルラにあまりにも似ていてクロードは胸に何かが迫ってくるのを感じる。
――どんなにか。
『待っていた』そんな風に言うのがユリウスだったら。クロードの中では今でもカルラはモンド州の州公の二男で、そして自分の兄なのだ。
あれは夢だったと言ってくれたなら。
――どんなにか……おれは。
自分がユリウスの命を奪ってしまってから何度も何度も繰り返し夢を見る。それは少しも薄まらないで、毎日記憶を足していく。クロードがこの罪を忘れることがないように。
――それもこれも夢だったらおれは――。
ここに来て、ぐらぐら揺れる自分にクロードは戸惑う。人らしい心なんて封印したと思っていた。人を落すには過去を突きつけるのが最善だということか。
懐かしさ、あるいは忘れたかった事、そのどれもが心を揺さぶるということに置いては違いない。そのことを目の前のこの男は知っているのだ。
「ビカラはどこだ? それとももういないのか?」
クロードの問いにバサラは緩く頭を振る。
「可哀そうに、ここまで大変だったね。酷い顔をしてるぞ。せっかく久し振りに会ったのだからそんなに慌てなくても。さあ、その椅子に座りなさい」
まるで昔は仲が良かったとでも言うようなバサラの態度にクロードは腹が立つが、しかしここでいきなり敵対しては何も情報を取れない。いつものように冷静な自分を装うんだと頭の中で説得を続け、ゆっくりとバサラの向かいに腰を降ろした。
クロードが素直に椅子に座ったのを確認し満足そうにバサラは目を細める。
「さっきの質問の答えを教えてあげるよ。ビカラは生きているし、ここに居るよ」
両の掌を上に向け、腕を広げるバサラにクロードは慌てて周囲を見回した。広い部屋だが家具などは最小限で、奥に天蓋付きの寝台が置かれているほかに人が隠れるような場所は見当たらない。
「どこに?」
「分らないかい?」
手技の反響の良さに喜ぶ奇術師めいた笑顔を見せて、バサラは焦らすようにゆっくりと言った。
「そこに」
バサラが顔を向けたのは奥の寝台だった。人の気配など無いというのに確かにそこの上掛けは薄く膨らんでいた。
「見てみる?」
バサラはいそいそと立ち上がりクロードに手を差し伸べる。なんだかそれは女性相手の仕草に思え、クロードは眉を顰めて目の前の手を無視して寝台に向かった。
一体バサラはクロードをどう位置付けているのか、それが見えてこないことにクロードは苛々とする。それでもビカラの存在をこの目で見るのが先決なのは間違いない。
「ほら、これが君が会いたかったモノだ」
バサラが芝居がかった仕草で天井から吊り下げられていた布を一気に引いた。
「こ、これが……」
言葉がそれ以上出て来ない。そこにあったものは確かに元は人だったのだろう。朽ちかけた木材のような色合いの干からびているそれ。俗に『木乃伊』と呼ばれる物ではないのか。
「あれ、疑っている? 大丈夫生きているよ。そうじゃなきゃキータイにある結界は消えているだろう? 不思議だねえ、生命の奇跡ってやつ?」
背後に回ったバサラが楽しそうに笑った。




