朝陽宮
ベオーク自治国の中心は広大な敷地に広がる朝陽宮だ。ベオークの魔導師たちは皆、何らかの武術に長けている者が多い。魔術による結界と武力とふんだんな資金。そしてハオタイ皇国という巨大な傀儡の力。それらによってこの国は守られてきた。
それが揺らいでいるのは外圧によるものでは無い。この国を、いやこの世界を支配下に置いていた一族の衰退がその理由だった。
彼らは成人するまで雌雄の別は無く、非常に長命な一族である。だが、血族間で交配を繰り返してきたためにある弊害が出たのだ。
彼らは一族以外と関係を持っても子孫を残せない。そして一族間で交わったとしても妊娠しにくい体になっていた。この五百年の間、一人の子どもも生まれていない。
種の絶滅はある一点を過ぎると加速度的に進んでいく。それはもう後戻りできないところまできていたのに。
その中に居る者だけが気付いていない。
朝陽宮の最奥。
普通の建物の二階分はある高い扉の前にクロードは立っていた。今までの厳重な警備とはうって変わってその扉の前には誰の姿も無い。その事がかえって恐ろしさを感じる。しんとした広い廊下に自分だけがいる心細さに足が動かない。
しかし、このままここに突っ立っているわけにもいかないのだ。
「よし、行こう!」
自分に大声で気合を入れると、クロードは扉に手をかけた。
分厚く大きな扉は、以外にもあっさりと音も無く開く。そしてその先は三方をおびただしい鏡で装飾された広間だ。そこは、今まで見てきた東方の面影はまったくないクロードにも馴染みの大陸の西の意匠だ。
このベオークの教皇の出目が西方だということの証だろうか。
突き当たりの高い壇上にある大きな椅子は凝った細工が施してあり、背もたれは天井まで続いている。五本指の竜が巻きつきながら天に昇っていく様を彫ってあるその椅子にハオタイ風の衣装を着てゆったりと膝を組んだ男が座っていた。
痩せて頬骨が張った顔は誰かに似ている。
頭に浮かんだ顔にクロードは驚いて首を振る。
そんなばかなことがあるわけない。もっと近くに行けば違うと分かるはず。
クロードは小走りでまっすぐ正面に向かった。
「よく来たなクロード。私の物を返しに来てくれたのだろう? 長い道のり大儀だったな」
遥かに遠いのに、すぐ側で話すように良く通る声。 こちらに顔を向けている男。
「あなたがベオーク自治国の教皇、ビカラ様ですか」
「そうだよ、君はカルラが持ち出した経典を返しに来たレイモンドール国主の弟、クロードだろう。待っていたよ」
にこにこ笑顔向けるビカラは、ひらひらと手を振ってクロードを手招く。
「あなたは、ラドビアスと何か関わりがあるんですか」
「ラドビアス……ああ、サンテラのことか」
ビカラはゆったりと笑う。その輪郭、頬骨の張った細面の顔は、確かにクロードの知っている男と同質のものだ。
「サンテラは、私の息子だよ。クロード」
「息子?」
クロードは、ビカラの言葉を飲み込めず、足を止めて壇上の男を見つめる。
「あの子は良い子だな。こうやって私のために経典を持って帰ってくれたのだから」
「言っていることがよく分かりません。経典を取り出して欲しいのは本当です。出してくれますか」
「いいよ」
その言葉が終わらないうちに、気づくとビカラはクロードの真横にいた。
「……いつの間に」
クロードの腕を取ったビカラは、またしても優しく微笑む。
「おまえもいい子だな。いい経典のしまい方をカルラもしたものだ。じゃあ、取り出すよ」
ビカラが腕を強く引いてクロードを引き倒す。クロードは驚いて逃れようと体をおこそうとするが、ビカラが馬乗りになっているので身動きできない。
「経典を取り出すには鍵がいる。クロード、鍵を」
「鍵……あなたは、鍵に触れることが出来るのですか?」
クロードの言葉に、目の前の男の目がいっそう細くなる。
「おや、良く知っているね。そうそう、鍵は血に反応する。だが、私は護法神を使役しているのだよ。教えてあげるよ、クロード」
ビカラは言い含めるように言いながらクロードの頬に触れた。
「私は、経典の護法神と契約するときに私の血に反応する、ではなく、母親のアニラの血に反応するようにしておいたんだよ」
「え?」
そういうことか。それなら、クビラもハイラも。そして、バサラもユリウスにも害悪だったはずだ。皆、アニラの血を継いでいるのだから。
「だから、私とサンテラには護法神は脅威ではないのだよ」
なるほどラドビアスはアニラとの子どもでは無い。
「初めから分かっていたというのですか」
「そう。私の後はサンテラに任せようと思っているんだよ。サンテラは私の希望だ。そうだろう? 絶滅しかかっている私たちの種に、差し伸べられた最後の光。新しい血を取り入れる事に成功した、可愛い私の息子だ」
「あんたって人は。まったく本当に自分勝手な奴だ。ラドビアス以外のバサラやユリウスのことなんかなんとも思ってなかったのか」
「カルラは、女になるなら必要だったよ、確かに。バサラはまあ、使える男だからな。だから、どうだというのだ? クロード、君が家族に幻想を抱くなんて不思議だよ」
レイモンドールと、ここベオークはこんなにも遠く離れているのに。のぞきこむように見下ろしてくるビカラの言葉にクロードは驚く。
「それはどいいう意味?」
「どういう? おまえは肉親の愛など今まで感じたことがあったのか。カルラのせいで産まれてすぐに親とは引き離されていたのでは無かったかな」
ビカラは、思い出させるようにわざとゆっくりと声に出す。
「おまえの母親は、おまえに会いたかった。そう言ってくれたのかい、クロード」
そんな展開になったはずはないとわかっているくせに。そうだ、この男にはわかっているのだ。わかっていて相手の心の傷を広げて楽しんでいる
「護法神を。クロード」
こんなに何でもわかっているはずのビカラがなぜ、クロードの右手の中指に嵌めている指輪に気づかないのかとクロードは不審に思って黙りこんだ。
「クロード、早くするのだ」
さきほどまでの余裕の顔に変化が起きて、ビカラの目が細くなった。