鍵の秘密
朝陽宮の最奥。
クロードが立っているのは普通の建物の二階分はある大きな扉の前だ。ところが今までの厳重な警備とはうって変わってその扉の前には誰の姿も無い。
その事がかえって恐ろしい。しんとした広い廊下に自分だけがいる心細さを感じる。
しかし、このままここに突っ立っているわけにもいかない。
「よし、行こう!」
自分に大声で気合を入れると、クロードは扉に手をかけた。分厚く大きな扉は、あっさりとクロードの手がかかると自然に音も無く開く。そしてその先にあるのは三方をおびただしい鏡で装飾された広間だった。そこは、今まで見てきた東方の面影はまったくなかった。クロードにお馴染みの大陸の西の意匠でベオークの教皇の出目が西方だということの証だろうかと思う。
突き当たりには高い壇上に大きな椅子があった。その作り付けのその椅子は凝った細工が施してあり、背もたれは天井まで続いている。五本指の竜が巻きつきながら天に昇っていく様を彫ってあるのだ。
その椅子にハオタイ風の衣装を着てゆったりと膝を組んだ男が座っていた。痩せて頬骨が張った顔は誰かに似ている。
誰に――そう、頭に浮かんだ顔にクロードは驚いて首を振る。
そんなばかなことがあるわけない。もっと近くに行けば違うと分かるはず。クロードは小走りでまっすぐ正面に向かう。
「よく来たなクロード。私の物を返しに来てくれたのだろう? 長い道のり大儀だったな」
遥かに遠いのに、すぐ側で話すように良く通る声。こちらに顔を向けている男はクロードの身近にいる者を思い起こさせる。
「あなたがベオーク自治国の教皇、ビカラ様ですか」
「そうだよ、君はカルラが持ち出した経典を返しに来た、レイモンドール国主の弟。クロードだろう。待っていたよ」
にこにこ笑顔向けるビカラは、ひらひらと手を振ってクロードを手招く。
「あなたは、ラドビアスと何か関わりがあるんですか」
「ラドビアス……ああ、サンテラのことか」
ビカラはゆったりと笑う。その輪郭、頬骨の張った細面の顔は、確かにクロードの知っている男と同質のものだ。
「サンテラは、私の息子だよ、クロード」
「息子?」
ラドビアスがサンテラなんだから、人違いではないだろうけど。ビカラの言葉が上手く頭に入って来ない。クロードは足を止めて壇上の男をただ見つめる。
「あの子は良い子だな。こうやって私のために経典を持って帰ってくれたのだから」
「言っていることがよく分からないですけど経典を取り出して欲しいのは本当です。出してくれますか」
「いいよ」
その言葉が終わらないうちに、気づくとビカラはクロードの真横にいた。
「……いつの間に」
クロードの腕を取ったビカラは、またしても優しく微笑む。
「おまえもいい子だな。いい経典のしまい方をカルラもしたものだ。じゃあ、取り出すよ」
ビカラが腕を強く引いてクロードを引き倒す。クロードは驚いて逃れようと体をおこそうとするが、ビカラが馬乗りになっているので身動きできない。
「経典を取り出すには鍵がいる。クロード、鍵を」
「鍵……あなたは、鍵に触れることが出来るのですか?」
クロードの言葉に目の前の男の目がいっそう細くなる。
「おや、良く知っているね。そうそう、鍵は血に反応する。だが、私は護法神を使役しているのだよ。教えてあげるよ、クロード」
ビカラは言い含めるように言いながらクロードの頬に触れた。
「私は、経典の護法神と契約するときに私の血に反応する、ではなく、アニラの血に反応するようにしておいたんだよ」
「え?」
そうだったのか? それなら、クビラもハイラもバサラもユリウスにも害悪だったはずだ。 皆、母親であるアニラの血を継いでいるのだから。
「だから、私とサンテラには護法神は脅威ではないのだよ」
なるほど、ラドビアスはアニラとの子どもでは無い。
「初めから分かっていたというのですか」
「そう。私の後はサンテラに任せようと思っている。サンテラは私の希望だ。そうだろう? 絶滅しかかっている私たちの種に、差し伸べられた最後の光。新しい血を取り入れる事に成功した、可愛い私の息子だ」
「あんたって人は。まったく本当に自分勝手な奴だ。ラドビアス以外のバサラやユリウスのことなんかなんとも思ってなかったのか」
「カルラは女になるなら必要だったよ、確かに。バサラはまあ、使える男だからな。だから、どうだというのだ? クロード、君が家族に幻想を抱くなんて不思議だよ」
レイモンドールと、ここベオークはこんなにも遠く離れているのにこの男は何を知っているのかと、首を傾げてのぞきこむように見下ろしてくるビカラの言葉にクロードは驚く。
「それはどいいう意味だ?」
「どういう? おまえは肉親の愛など今まで感じたことがあったのか。カルラのせいで産まれてすぐに親とは引き離されていたのでは無かったかな」
ビカラは、思い出させるようにわざとゆっくりと声に出す。
「おまえの母親は、おまえに会いたかった。そう言ってくれたのかい、クロード」
そんな展開になったはずはないとわかっているくせに。そうだ、この男にはわかっているのだ。わかっていて相手の心の傷を広げて楽しんでいる。やはり、バサラの父ということか。表に出す、出さないは違っていても本性は隠せない。
「護法神を。クロード」
こんなに何でもわかっているはずのビカラがなぜ、クロードの右手の中指に嵌めている指輪に気づかないのか。クロードは不審に思って黙りこんだ。
「クロード、早くするのだ」
さきほどまでの余裕の顔に変化が起きて、ビカラの目が細くなる。
「クロード?」
返事を返さないクロードの視線が自らの胸元を一瞬よぎる。それを目ざとく確認して、ビカラはニタリと口の端を上げた。
「ふん、私が分からないとでも思っているのか? 愚か者め」
ビカラの手がクロードの胸元に伸びると下げていたペンダントを掴んで引きちぎるように奪い取った。