狡猾な笑顔
「カルラがいなくなって色んな女を試したが、やはりビカラみたいには子どもはできなかった」
バサラは飛ばされた剣の行方を見ながら呟いて近づくと、ラドビアスの肩から短剣を引き抜く。
「せっかくおまえに取られる心配は無さそうだったのに。カルラときたら他の男に心を奪われてしまってさ。わたしもしつこいけど、あいつもなかなかだったな」
短剣を無造作に床に落として、ラドビアスを見上げたバサラ。
「どうぞ、わたしを殺したいだろ。殺れよ、サンテラ」
ほら、と言いながら目を閉じてバサラは両足を僅かに広げて立つ。
「おまえを騙して、しもべにしていたわたしを憎んでいるんだろう? カルラはわたしが殺したようなものだからな。おまえの大切なものを二つとも奪ったわたしを殺したいはずだ。やれよ、サンテラ」
「――バサラ」
「首を落とすんだ。他は、痛いだけでなかなか死にはしないからな」
そう言ってバサラは、自分の長い髪を纏めて首を晒す。ラドビアスは、今までの激情が嘘のように静まっていく。彼が自分の兄弟だったと聞いて考え込んだ。
酷い扱いも受けたが、幼い日の事を思い出すと楽しかった事しか覚えていない。
インダラと二人で受けた魔術も体術も、剣術も。
確かに楽しかったのだ。弟が出来たみたいで。同じ歳ながら、バサラは優しくて頼りになる兄のようだった。毎日がきらきらと輝いていた。
その労わりや、優しさは作られたものだったが、ラドビアスにとっては幸せな期間だった。バサラの全てが嘘だったとは今でも思えない。
それよりも……自分のあまりにも強い自己愛の故は、ここにあったのだろうかと思う。ベオーク教皇一族は皆、身勝手な者が多い。上辺はともかく、自分以外愛することが無いかのように。
その中でカルラは違った。ヴァイロンを愛し、クロードを愛しみ、そのクロードを守るために命を散らせた。
その彼を、いや、ラドビアスにとっては、カルラは初めから彼女だった。カルラをいつだって自分は女性として見ていたのだ。本当なら彼女の為に結界を守り、バサラたちの侵入を阻止して戦い、あの時死んだって良かったのだ。
ところが、自分はカルラを失いたくないばかりにバサラに加担して、結界の内に彼らを引き入れた――すべてが自分のため、だった。
この忌まわしい思考、行動が血ゆえなのだとしたら。それをこそラドビアスはは憎む。
「あなたは悲しい人だ」
ラドビアスの言葉にバサラの眉が上がる。
「悲しい? 何が」
「どう言おうと、あなたはカルラを愛していたんですよ。自分に向かない彼女の心に傷つき、子どものように動いていた。それを認めたくないだけ。あなたもわたしも同じだということ。何百年経とうと、彼女の心のいくらかにでも入り込むことが出来なかったということにおいてはあなたも悲しい人なんだ」
「悲しい……だと?」
ぽつりと漏らした言葉を置いてきぼりにして、バサラが落としていた短剣を素早く拾ってラドビアスの首に向けて大きく真横に振りぬいた。咄嗟に体を引いたラドビアスの首に赤い線が引かれる。
その後から滲んでいく。
「おまえは、それでわたしに情けでもかけているつもりか。そうやって甘いことばかり言っているから成長しないんだ。父親が一緒だから少しは似てるかと思ったのに。我らはそんな感傷に浸って止めを刺すのをためらったりはしない。カルラにしたってそうだったろう? やっぱり半分はただの女の血だからな、中途半端なやつだ」
殺せ、と言っていた殊勝な態度を反転させて、バサラは飛ばされた長剣を掴んで十字に構える。さっきの態度は時間稼ぎだったらしい。
「おまえの何でも分かってますって言うような態度には心底むかつくな、サンテラ」
「バサラ、わたしの名前は母親がつけてくれたラドビアスですよ」
「さま、はどうした? はん、思い出させてやる。おまえの立場を」
バサラは長剣を斜めから大きく振り降ろすように斬りこむ。足元で合わされるラドビアスの剣が大きな音を立ててがっちりと組んだのを見て、バサラが左の短剣を振り上げる事も無く、さきほどと同じ場所に突き立てる。
大きな声を上げて片手を離したラドビアスの剣を蹴り飛ばしたバサラが、左の剣で右手をさっと斜めに斬る。飛び散った赤い鮮血がバサラにもかかった。
「サンテラ、これで印は組めないな」
ラドビアスが、左の拳を突き出したのをバサラは顔を少し振ってぎりぎりで交わす。そして左の手首にも剣をすべらした。さっきと同じように噴出す血で床が滑る。
「どうだ、さっきの態度を謝るのなら聞いてやってもいいけど。ただし、聞くだけだけどね」
顔を見ようとしたバサラの腹にラドビアスの膝蹴りが入り、バサラが唸りながら後ろへ下がる。それを追いかけるように足を踏み込んだラドビアスが、血を流した右手でバサラの顎を肘撃ちした。体制を崩したところに体当たりして壁にぶつける。
そして転がったバサラの腹に何発も鋭い蹴りを入れる。本来ならここで剣を使いたいが、今自分は両手が使えない。
そこで、バサラが気を失うまで蹴りを入れようと振り出した足をバサラの手が捉えた。すくうように払われてラドビアスは、どうっと倒れる。
その胸元に強烈な肘撃ちを受けて、ラドビアスは血を吐き出した。
「よくも好きにやってくれたな。まずは今の肘撃ち。それから何だっけ?」
頭をしたたかに蹴られ、ラドビアスはつかの間意識をとばす。気がついたのはどのくらい後なのか。それとも一瞬だったのか。
分からないままに目を開けると、バサラの長剣を喉元に突きつけていた。
「サンテラ、良いことを教えてやる。今日は大盤振る舞いだな」
バサラはラドビアスの耳に付くほど唇を寄せる。
「クロードに封印されている経典は死なないと出せないんだ。知っていたのかな、サンテラ」
「他に手は無い?」
「そうだよ。わたしがどうしておまえなんかと今まで術を使わずに戦っていたと思うんだ」
顎のところを青くしたバサラが、顔色が変わるラドビアスを見て笑う。激情に捕らわれていると見せかけて、またしてもバサラには裏があった。早くバサラとの決着をつけなくてはクロードの命が危ない。
「時間かせぎ? あなたがその気になったらすぐにでもわたしなど始末できるかと思っていましたが。それとも時間がかかっていたのは他にわけが?」
挑発するラドビアスの言葉は、バサラが長剣を腹に突き刺した事で途切れる。
「おまえ、図に乗りすぎだよ」
囁き声のようなハスキーで低い声。
「おまえにカルラを奪われた、わたしの気持ちを思い知らせたかったんだ。だから今まで手を抜いていたというのに。しかし、考えもしない不慮の事故はつきものだよね」
綺麗に上がった唇。目元は半月のように細められている。こんな場面でも彼は楽しんでいるのだ。