母の秘密
「インダラ、おまえハイラ姉さまの晩御飯になれ」
「なんですか、それ」
目を輝かせた主人の説明をとばした言葉に、インダラという少年は遠慮の無い言葉を返す。
くすりと笑う目の前の主人は、いつにも増して綺麗だとインダラはため息をつく。あこがれなのかどうなのか。彼を目の前にすると言葉がうわすべって顔が赤くなる。体に触られたりしたら心臓が悲鳴をあげそうだ。この少年に仕えてからまだ一年ほどなのだが、インダラは毎日彼の姿にどきどきとしていた。
だが、彼が口にする事に対してだけは、理解しがたい。人間味に乏しい酷な内容が多いのだ。そういう事なのだろうか。自分と同じ十歳の少年だというのにいちいち言う事には裏がある。
子どものインダラに分かるのは事後ばかりで、いつか彼の事が手に取るように分かる日がくるのだろうかと悲しくなる。
「ここに着いたら、その女を騙してここから追い出せ。その後、殺せ。子どもは恩を着せてわたしのしもべにしてやる。だからさ、ハイラ姉さまに捕まったこどもと入れ替えるんだ。上手く逃げ出せよ。でないと本当に食べられちゃうよ、インダラ」
悪戯っ子のように笑いかけるが、その顔を見てインダラはもし逃げるのに失敗しても助けてはもらえないことを確信する。バサラは、は楽しんでいるのだ。
助かってしもべに出来るならそれでいいし、失敗しても食人癖のあるハイラが始末してくれる。どっちでもいいと思っている。そしてそのとばっちりを配下の自分が受けても構わないと思っているのだ。
「しもべにしてどうするんです?」
「大人になったら龍印を刻印するだろ。そしたら、そいつの子種は消える。そいつをずっと使役してやるよ。私のしもべとしてさ」
そうすれば、弟は自分が独占できる。兄たちなど上手くかわしてやるさ。
「悪い顔をしてますよ、バサラ様」
インダラは、自分と同じ十歳のはずの主人を微かな恐れを抱いて見つめた。
*********
「あなたは、わたしの母を殺したんですか」
バサラの話にラドビアスは、それだけを言うのが精一杯だった。まさか自分がベオーク教皇の一族の血を受け継いでいるなど今まで考えもしなかった。
慌ただしく故郷のハオタイの西端、ダルファンを出発した時、母親は何も教えてはくれなかった。だから、今まで何で自分がベオークに来たのかが分からなかったのだ。
――そういう事だったのか。
それなら……。
では、カルラ様と結ばれる可能性も自分にはあったのだ。竜印など受けなくても自分は端から長命だった。カルラへの想いを遂げる道が自分にもあった。
自分がベオークの一族の一人だと言うことより何より、カルラと対等に愛し合える立場だったという事のほうがラドビアスを打ちのめす。
「おまえ、カルラが死ぬときに一緒に死にたいと言ったろ? 思わず笑いそうになったよ。そんな場合じゃなかったんだけど。おまえはカルラの竜印が消えても、わたしの龍印が消えても死にはしないのにさ」
バサラが思い出したように笑うが、それもすぐに消える。
「サンテラ、わたしはね、おまえの事を憎んでいたんだよ。ずっとね」
およそ、人間らしい強い感情など剥き出したことの無いバサラの告白に、ラドビアスは首にかかっている手を外そうとしていた手が止まった。
「ゆっくりカルラをわたしだけに意識を向けさせて、独り占めにする計画だったのに。一番の失敗はカルラの母親と寝た現場をカルラに見られた事だが。それもゆっくり癒してやろうと思ってたのに」
そこでバサラの手に力が入る。
「おまえがカルラを。あいつを見ていた。いつも、いつも。気になって仕方なかった。殺しておけば良かったよ、最初に。もし、カルラがおまえを選んだらと思うとあいつの体の成熟など待っていられなかった。それで――大きな失敗をしてしまった」
バサラの美しい顔が歪む。
「嫌がるカルラを自分の物に無理やりしてしまった。我慢ができなかった。おまえにも見せつけたかったのさ。カルラが自分の物だと。それでも不安になってあの後、すぐにおまえとインダラに龍印を刻印した。が、カルラには逆効果で。あいつは頑固者だからな。諦めて受け入れるかと思ったのに。読み間違えていた。カルラは、わたしを完全に拒否した」
こんな弱音を吐くバサラを見たのは、初めてだった。
「こうなったら時間を空けるしかないと思って、ビカラの寝所に連れ込まれるカルラに経典の事を教えてやったんだ。おまえと逃げてもおまえはカルラに手を出せない。いい気味だと、すぐに迎えに行くつもりだった」
それなのに――とバサラの言葉が途切れる。
バサラの二回の接触にカルラはその二回ともを完全拒否した。
あまりの感情の揺れに、バサラが一瞬手を緩めたのをラドビアスは見逃さない。力を込めた右の拳が相手の顎にとんで、バサラが声を上げて手を離す。
「あうっ! 何だ急に態度がでかくなったんじゃないのか、サンテラ」
「そう、思ってもらっても構いません」
「ふーん、そうか。じゃあもう終わりにする。何もかも分かって辛い気持ちになったまま死ね」
バサラは顎を擦りながら波上になった剣、フランベルジュを右手に握り直すと左手にダガーを持った。
「あなたが命の恩人では無いのなら。私の母を殺したのなら、もう従う義理はありません」
起き上がったラドビアスは、言い放つと真っ直ぐに剣を構えながら走る。
再びラドビアスが突きこむ剣を下から弾いて、バサラがそのままラドビアスの間合いに入り、左の短剣で肩を突く。しかし、ラドビアスは、自分の肩に刺さった剣を持つバサラの手を握りこんで自分側に引いた。そして、体勢を崩されたバサラの右手に蹴りを見舞うと彼の手から長剣が飛んだ。