大昔の企み
激しく打ち合わされた剣をしばらくは力で押し合う。そんな状況の中にあってバサラの顔はにまりと笑みを浮かべていた。
「サンテラ、腕を上げたな」
「バサラ様の腕が落ちたのでは?」
渾身の力で負けないように剣を押しながらも、ラドビアスは何とか言葉を返す。
そのラドビアスの言葉にも、余裕の笑みで力を逃すように一端腕をひきつけた後、バサラは大きく後ろへ飛び退いた。
「ねえ、いい事を教えてあげるよ。サンテラ」
「何でしょう?」
バサラが何を言うつもりなのか計りかねて、僅かに首をかしげてラドビアスは剣を構え直す。
「おまえ、どうして幼い頃ここに連れてこられたのか知っていたか?」
バサラが一体何を言い出したのか、見当がつかない。
「何を知っておいでなんですか」
驚いたラドビアスが気を逸らした途端に、飛び込んで来たバサラに剣を弾かれる。そのままラドビアスに馬乗りになったバサラが彼の首に手をかけた。
「おまえがハオタイからこの朝陽宮に来た理由。それはねえ、おまえの母親がおまえを父親に会わそうと連れてきたんだよ」
「父親、ですか」
バサラの話す内容に押しのける事も忘れて、ラドビアスは言葉も無く相手の顔を見上げた。
「そう……おまえ、わたしの龍印を刻印され、その上カルラにも竜印を授けられたのに力を半減するくらいで済んでいたろう? 昔、同じくほんの短期間インダラにも二つの竜印が刻印されたけど、あいつはすぐに音を上げたというのに」
「わたしも気分がずっとすぐれなかったのは確かです」
ラドビアスの返事に、あははとバサラは笑う。
「気分が悪いくらいで済んでいたということだよ。それにわたしの刻印があるくせにカルラに愛情をいだいていたじゃないか。変だとは思わなかったのか。うっかり屋さんだな」
バサラは目を細めて唇を片側引き上げる。
「おまえ、昔の、十歳のころを覚えているかい」
「忘れるわけがありません。インダラとわたしはハイラ様の食事にされるところをあなたに助けられたのですから」
甦るあのぶどう棚の下の出来事。
二人の子どもの手を取って走る幼いバサラの後姿。流れる亜麻色の髪が美しかった。そして、自分はバサラに仕えることになった。
「偶然だと思っていたかい、サンテラ」
バサラの言葉にいきなりなぐられたような衝撃を受けて、ラドビアスは目を見開く。
「わたしはね、おまえの事を知っていたんだよ。前からね」
バサラは楽しそうに話し出す。
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広大な敷地の上に平屋の邸宅がどこまでも続く。回廊で繫がれた建物と建物が迷路のように高台に張り巡らされている。ベオーク自治国の中心、朝陽宮。
その一つの邸宅。中庭に配置されている東屋の中。
そこに書物を開き、熱心に眺めている少年がいた。亜麻色の髪はそのまま背中に流れて風にあそばれている。書物から目を離さないまま彼は自分の前に現れた少年に声をかけた。
「で、その子はもう朝陽宮に入ったの?」
「いえ、まだハオタイですが、明日には陽明門にたどりつくと思われます」
立ったまま応えているのは、目の前の主人と変わらないくらいの年頃の黒い髪と黒い目を持ったハオ族の少年だった。 歳の頃は十歳くらい。立つ足の重心を移動した時、足元に敷かれている翡翠で出来た玉砂利が擦れてチリッと音を立てた。この東屋は宝玉で出来た枯山水の庭の中にあるのだ。
「じゃあ、まだ兄様たちは知らないんだな」
「はい」
少年の返事に気を良くした少年は、ふふんと笑って書物を捲る。座っている少年が掴んだ秘密は、格別な物だった。
大陸の中央から東方一帯が含まれる巨大な国、ハオタイ皇国の一部にある小さな市くらいの国家がベオーク自治国だ。
だが、ベオークが支配しているのはこの小さな自国だけでは無い。大陸全土に渡る魔道師たちの総本山であるのがここ、ベオーク自治国なのだ。大陸の各国に魔道師を派遣し、王の戴冠をも取り仕切るベオーク教皇のいる国で、大陸全土にその権威は及んでいる。
そこを支配している一族は、ハオタイ皇国に多いハオ族では無い。外見は西側に多い白人種だ。しかし、人種的にはどことも違う。なぜなら彼らは恐ろしいほど長命でその上、成人になるまで男女の別が無い。
そして、わずかな血族以外、なかなか子孫を残せない。家族以外には子どもは作れない。
そう、そのはずだった。
他人と情を交わすのは単に楽しみなだけの物。
ところが――だ。
ハオタイの西、ダルファンからの一通の手紙が間違ってバサラの手元に渡ったことから状況は変わる。
そのベオーク自治国の教皇ビカラへの親展扱いになっていた書簡を、末弟のバサラはためらいもなく開いた。
読むうちに持っている手が……震えた。
自分にはついこの間、同腹の弟が生まれた。ここでは出来た子どもは皆弟と呼ぶ。弟とは言っても成人するまでどちらの性でも無い。その生まれたばかりの弟をバサラは自分の妻にすることにすでに決めていた。
自分と同じ両親を持つ、完璧な花嫁だ。
二十年、それとも三十年? 長命な自分たちにはそんな年数はきっとあっという間に過ぎていく。
そして、次期を見てうっとおしい兄たちを駆逐してやればいい。バサラはそう、心に決めていたのだ。後は愛おしい花嫁と自分の血だけが残ればいい。
それなのにこの書簡の内容は、一体どういう事だ。あろう事か、バサラと同い年の兄弟がいるらしい。それも父、ビカラと普通の女との間の。
ハオタイ皇国の西、ダルファンにビカラが出向いた先で戯れに抱いた女。その女に子供が出来たというのだ。自分たち血族以外との間に子供が出来たことは初めての事だ。朗報といえるのかもしれない。だが――。
バサラは、にわかには信じられないという思いと、自分を脅かす存在に眉をひそめた。
――どうしてやろうか。ここで自分がこの知らせを知ったことは何か意味がある。
そこでバサラは、ビカラの名を騙って書簡を送ることにした。女にこのベオークに来るようにと返事を書き、金を送り、魔獣を送った。
早く来れるように。
その女は息子を連れて来る。
ビカラとの間に出来た――という子ども。
どうにかして殺してしまうか。いや、それよりももっと良い使い道があるはずとバサラは、その愛らしい頬に手をやってしばらく考えていた。