入口
血を吐きながら、それでも大蛇は見えない目をクロードに向ける。契約というものはかくも魔獣を縛るものなのか。クロードは憐憫の情が湧くのを抑えられない。彼にも使役する魔獣がいる。
それは、今では何者にも代えがたい友人になっているのだから。命の一片が尽きるまで契約したものの命を守る魔獣を可哀そうに思う。
だが、そこに目を瞑ってもおれにはやることがあるとクロードは剣を握った手に力を入れた。
「ガランドル、おまえの守っているものを俺は貰う」
ガランドルの眉間めがけてクロードは剣を両手に持って突きこんだ。青く煌めく鱗が空を飛び、光を受けて輝きながら地面に舞い落ちた後、肉を断つ鈍い音が響く。
筋肉を裂き、骨を砕きながら剣はまっすぐに地面に突き刺さり、ガランドルの残った頭が二つに割れた。
大木が倒れるような音がして、ガランドルの体は地面に叩きつけられた。途端にぐずぐずと体が崩れ、肉の腐ったような匂いが広がる。崩れて山になった物はしゅうしゅうと音をさせて溶けていき、最後には地面に吸い込まれるように消えた。
その後にはぽっかりと闇が口を開けている。ガランドルが守っていたのはこれだった。
「龍道の入口を見つけた」
クロードが顔をほころばせたところにすいっと甲虫が彼の服に止まる。
「間に合いましたか」
「ああ……でも前の鳥の方が可愛かったな、ラドビアス」
クロードの言葉に擬態を解いたラドビアスの眉がくっと上がる。
「お察しできなくて申し訳ありません。が、わたしは見た目で変化しているのではありませんので。おや、雪豹がいたのですか」
ラドビアスの向けた視線の先を追ってクロードが顔を向けると、赤茶けたまだらの模様の大きな豹が走り去るところだった。
「メイファがなんでか加勢してくれたんだ。ガランドルには可哀そうなことをしたよ」
この先、自分ののせいでアウントゥエンも、サウンティトゥーダも死んでしまうかもしれない。そう思うと自分のやっていることが正しいのか分からなくなる。
頼りない主人ですまないと胸の中で謝りながらも別の言葉をクロードは口にした。
「アウントゥエン、ご苦労さん。悪いけどこのままザックたちを助けてやってくれ。サウンティトゥーダが戻ったら合流して戻って来い。おれの居場所は分かるか?」
クロードの言葉に赤い狼は憤慨したかのように鼻から火を噴いた。
「我がクロードの匂いを見失うわけが無い」
「流石だな、アウントゥエン。じゃあ先に行ってるからな。頼りにしてるぞ」
一緒に行けないことに不平を言おうとしていたアウントゥエンは褒められてすっかりご機嫌だ。主人に期待されて褒められることくらい嬉しいことは無い。労いの言葉一つで休むことなく狼は楼蘭族の匂いを辿って走り出した。
寸の間、それを見送ってクロードは闇を見据える。
「行こう」
「はい」
濃い闇の中に足を踏み入れると一瞬体がぐらりと揺れる。二年前まで頻繁にクロードも使っていたはずなのに、驚くほど体は魔術への耐性を失っていた。
「大丈夫ですか、クロードさま」
「たぶん……ダメなら、どうする?」
素直なのか、ふざけてるのか。クロードの言葉は笑いで中身を包んで見えない。いつからクロードは自分の心を見せないようになったのだろうとラドビアスはふと思う。それが自分のせいだとは思いたくはなかった。
入る前には、顔すら見えない漆黒の闇であるかのようだったのが、いざ入って見ると、明るいとまでは言えないものの歩くのには充分な明るさだった。足元がふわふわするのもレイモンドールの竜道と違わない。
足場は石が敷いてあり、壁はしっくいのように綺麗に削られて天井はアーチ状になってさえいた。きちんと整備された龍道なのだ。ふわふわすると思うのは体が慣れていないからで、実際は固い床は二人分の靴音を響かせていた。
そうであれば、出口も近い。そうクロードが考えた通り、目の前がふいに明るくなった。
「着きましたよ、クロードさま。わたしが先に出てみます」
ラドビアスがクロードの体を押し退けて前に出ると直ぐに声が聞こえた。
「誰もいないようです」
龍道から出ると、そこは誰かの執務室のようだった。しつらえの豪華さや、部屋の広さを見ればよほどの者だと思われる。
「ここは誰の部屋なんだろう」
「シンダラの部屋ですね。今はキータイに居ますが、ベオークにいるときはここを使うようです」
クロードの問いにラドビアスが即座に応えた。
「シンダラ?」
「ええ、ハオタイの宰相です。今はほとんどキータイに詰めております。そのせいでここは無人なのでしょう」
一気に宰相の部屋まで来れる龍道のキータイ側を守っていたのが、ガランドルだったわけだ。
廊下に出たと思ったら、何人かの足音がこちらに向かってくるのがわかった。
「クロードさま、こちらの部屋から別の廊下に出られます。わたしが引きつけますからビカラさまを探してください」
クロードが部屋に消えた後に同じように部屋にラドビアスが飛び込むと、大きな空気の歪みを感じた。
「やっと来たか、サンテラ。ここまで来たんだから協定は終わりかな?」
突然現れた背もたれの高い椅子に腰かけている人物が顎に手を当てながら静かに語りかけてきた。その低いハスキーな声にラドビアスは一瞬目を瞑った。
「バサラさま、クロードさまを助けるとお約束でしたが」
「クロードはね。でもおまえを助けるなんて言ってないだろ? 今までわたしに対して行った不遜な行い全てここで罰してやろうかな」
楽しそうにバサラは立ち上がった。手の甲で肩にかかった亜麻色の長い髪を後ろに撥ねのけると腰から長剣を抜いた。
「今までのお咎めを受けることはやぶさかではありませんが、クロードさまがはっきり助かると分かるまではご容赦願いませんか」
「だめだ……と、いうかさ、はっきり言ってお前邪魔なんだよ。クロードはわたしがもらう」
やはり、そういうことかとラドビアスは自分の胸元から短剣を取ると、呪を唱える。それは成長を始めたかのように太く伸びて一本の長剣になった。
「それでは致し方ございません。お相手いたします」
ラドビアスが剣を構えたのを見て、バサラがにまりと口角を上げた。