取引
「行こうぜ、ザック」
気がついた時にはザックとグルバを残し、一緒に来ていた部下はそのまま森に入っていた。
「おい、止めろ。そこから出るんだ」
「ザック、何慌ててるんだ?」
大声を出すザックにグルバが怪訝そうに問う。こんな鬱蒼な森ならこの手勢でも充分に隠れられる。多少変わった動物を飼っていたとしても逃す手は無い。
「……行かないのか?」
「行く。配下が全員行っちまったのに、俺だけここにいるわけいかないだろうが」
まったくなんて統率の行きとどいた部隊なんだとザックは大きくため息をつく。個人個人が判断して暮らしている日常そのままだ。これをいっぱしの軍隊に作ることが俺にできるのか。
いや、今はそれどころじゃない。
ザックは頭を一振りして森に足を踏み入れた。踏み出す度に足の下でじゅくじゅくと音がする。ということは、ここは湿地帯になのだ。辺りを見回しながら歩くと、いくらも行かない間に大きく育っている木のいくつかは、実は巨大な草だということが分ってきた。
その間に黄色や赤い実がたわわに実り、森の先で歓声が上がるのが聞こえた。
「あいつら、何しに来たのか分ってんのか?」
グルバが呆れたような声を出した。足元はもう膝下までびしょひしょに濡れて、歩きにくいったらない。
――こんなところには、きっとろくでもないものがいるに違いない。
そう思うザックの耳にざわざわと地面を這うような音が聞こえてきた。直後、グルバがザックの肩を掴む。
「聞こえたか? 今の」
「……ああ」
「なんだと思う、大将?」
青い顔で聞くグルバにザックは応えた。
「おまえが想像してるもんだ」
げっとグルバが唸って音のした方を見た。
「でかい蛇ってことか」
だな、とザックは頷く。ここはきっとでかい蛇の飼育小屋なんだろう。何のためにそんな物を飼っているのか? 考えても答えなどでない。
聞いてみてもきっと「面白そうだ」そんな理由なのだ。偉いやつってのは、どっかぶっ壊れている。
だが悠長に理由なんて考えている間にやることがある。
「果物の食いすぎで動けなくなって、でか蛇野郎の餌になる前にやつらを逃がすぞ、グルバ」
「おう」
なるべく音を立てないようにと気をつけながらけもの道のようなぬかるみを走るが、滲みだす水が跳ねる音は消しようが無い。焦る気持ちとは裏腹に足は地面にひっつくようで、なかなか仲間の姿は見えない。
「くそっ、どこだっ」
初めは道に迷わないようにと目印を見つけながら進んで行ったが、もうそんな余裕もなくなった。暑くて暑くて堪らない。砂漠の暑さとはまるで違う、肌にまとわりつくような圧迫感を伴う暑さはどんどんと二人の体力を消耗させた。
そこへいきなり視界が開けて、つんのめるように二人は足を止める。大きな葦のような丈の長い細い植物が同じ方向に倒されて丸い形を作っている。お椀のような形、そしてそれは驚くほど大きかった。
「ザック、あそこだっ」
グルバの指さす方に十数人ほどの仲間が固まっていた。そして彼らはザックらを見ようともしない。
それは――もっと見るべきものがあるからで。
一瞬でも目を逸らすことは死を意味していた。
彼らの目の前には二つの頭を持った巨大な蛇が鎌首をもたげていたのだ。生臭い匂いが一気に鼻に飛び込んできて、ザックは思わず吐きそうになる。
いきなり自分の縄張りに現れた餌に蛇は自分の巣に追い込んだのだろう。長い舌をちろちろと出しながら首を上下に振っている。
「食われるぞ、助けよう」
グルバが飛び出そうとするのをザックが抜いた剣の柄を使って止める。
「待て、ちょっとおかしい」
「何言ってるんだ。食われるのを暢気に見てるつもりなのか?」
「声が大きい」そう言おうとしたザックの方にぬうっと蛇が顔を向けた。
「やっと来たか、待ちくたびれて一人食ってしまった」
シュウシュウという音が聞こえ、それが蛇の笑い声だと気付き、ザックは足から寒気が登っていくのを感じた。大きさと双頭というだけでも普通じゃないがこいつはこの世の物では無いとザックは気付く。人語をしゃべる蛇など聞いた事も無い。
「おまえは何者だ」
慎重に足を少しづつ進ませながらザックが大蛇を見ると、蛇は口を大きく開けて挑発するように頭を上下させた。
「我は魔界から招喚された魔獣だよ。で、どっちが楼蘭族の族長だ?」
滑らかに人語を操り、聞いてくる内容に知性を感じ、それがまた恐怖を呼ぶ。簡単に怪物退治とはならないに違いない。
「ちぇ、知ってやがんのか。じゃあ仕方無い。そうだ、俺が楼蘭族の族長のザックだ」
大声で前に出たのはグルバだった。グルバの返事に蛇は満足げにシュウシュウと笑う。
「おまえを喰わせれば、あとの奴は見逃してやる」
「本当だろうな」
言いながら前に進んでいくグルバにザックは「止めろ、俺がっ」と彼の腕を掴むが大きく振り払われ、音量を落した声がつづく。
「おまえはまだやることあるだろう。ここは俺に良いかっこさせろ」
「……そんなことできるかよっ」
「できるさ、できないなんて言うなよ。それじゃあ俺は無駄死にだ」
笑うグルバの口の端が、ぴりぴりと震えているのを見てしまうとザックは何も言えなくなった。