いざ、行かんー3
長い安定――、確かに長い。ハオタイは千年の長きに渡って一つの王朝を保ってきた。
――それもこれも我らが力だが。
男はこの国の始まりから知っている。彼はベオーク自治国から送られたビカラのしもべだ。ハオタイはとどのつまり、建国当初からベオーク自治国の傀儡国なのだ。
次々と帝が変わっても国は綿々とつづく。
皇帝を支えていると見せて実は何も変わってはいない。この先もずっとそうでなくてはならない。
「シンダラさま、キータイの手前の宿場町に桜蘭族が集結しております。帝への謁見、どう致しましょう」
「桜蘭族……忘れていた」
こんな時にとシンダラは壁に拳を打ちつける。外殿のどれかを開けて宴でも開いてやれば何日かは持つだろう。しかしそれでも猶予は無い。ランカ姫を出す約束をいくらなんでも反故にはできない。
なんとはなれば、ごろごろいる姫のうちの誰かか、または……。シンダラがランケイをゆっくりと見降ろす。
この娘でもいい。術で縛ってしまえば用は足りるだろう。どうせ、楼蘭族など上流の暮らしなど知らないはず。もとより、姫の中身など関係ないことは初めから分っている。帝の娘が腰入れする――そのことが大事なのだ。
「誰か、この者に食事をさせてやれ。それと着替えも」
シンダラはその言葉と共にランケイへの関心を失って部屋を出た。希少な香木を巧みに組み合わせた廊下の意匠を見るとは無く眺める。
自分はこの木がまだ淡い色合いだった頃を知っている。香木の香りがむせかえるようだった頃から遥かに時は流れ、何百年も経った。
鏡面のようだと思っていた。
それが今、静かに揺らぐ予感がする。建国初頭、もっと緊迫してもっと慌ただしかった。その中でもこの国が永命と続くことに何の疑問を抱くことなど無かったのに。
小さな石の波紋が思わぬ事態を呼ぶ。そんな恐れがシンダラの身の内を支配していた。
「ランケイを助けるか」
短く聞くアウントゥエンに、クロードは「いや」と答えた。ランケイには今のところ身の危険など感じていない。それよりも楼蘭族のあの男に会いに行くべきか。本当は自分が行きたい。なんとなくザックには一緒にいて居心地の良いという印象が残っている。
直ぐに闇に取り込まれそうな自分の横でひっくり返って日光浴をしていそうな感じ。ハオタイを牛耳ってやれと言ったのは、半分噛ませ犬としての本来の役割を期待していたが。実は残りの半分は本気だった。
自分が考えていることが現実になった場合、旧来のハオタイ皇国は滅びる。自分の故国、レイモンドールに起こったことの数倍もの混乱がこの国に留まらず、大陸全土に及ぶだろう。
そうなった時に残るのは、えてしてこういう君主なのではなかろうか。そこまで考えてクロードはおかしくなる。
「おれの尻ぬぐいを頼む」
そう言ったらあの男はどういう顔をするだろうかと想像したら笑えてきたのだ。だが、自分が行くと手間がかかる。ラドビアスのように何かに擬態することも、アウントゥエンのように隠形することもできないのだから。
「おれって、だめだめだ」
従者や、眷属に劣るってなんだか悲しいとも思うが、これも現実だ。おれは未熟で、周りに助けてもらいながら進んでいく。それを忘れてはならないとクロードは思う。
謙虚に相手に感謝する気持ちとずうずうしいくらいに傲慢にならないと攻めていけない状況。
どちらを取るのか。それならクロードは、迷わず後者を選ぶ。
クロードは懐から小さな紙を取り出して背後の自分の眷属に振り返った。
「アウントゥエン、これを楼蘭族のザックという男に渡して来い」
小さい紙片に書かれていたのは、藩字を崩して簡単にした字で書かれたものだった。
「ここで待ってろ」
狼はそう言い残し、屋根に溶けるように姿を消した。
「いつになったら、合図ってのがあるんだよ」
じりじりと床にそのまま座って待っていたザックの尻の辺りから、ぬっと大きな口が現れた。
「な、なんだっ、おまえっ、危ないだろ」
危うく大声を出しそうになり、ザックは目を向いて床から突きだした口に文句を言うが、その口が人間のものじゃないことは明白だった。
俺、ばけもん相手に何やってんだ?
その大きな口の中に紙が入っている。
「これを取れってか?」
伺うように言うザックに大きな口がニヤリと笑ったように見えた。
「ったく、手を入れた途端にぱくんとか、止めてくれよ」
だが、こんなことする人間にまるっきり覚えが無い事もない。ついこの前もふざけた野郎を使いに寄こした。
「おまえ、クロードのとこのやつか」
紙を口から取った途端にガツンと鋭い歯が噛み合う。
「てめえ……」
わずかに笑ったように口が震えたかと思うと、大きな口は床に沈む。手に残されたのは掌に収まるほど小さな紙片だった。
目を向けると、『帝にめんかい。ランカ姫はべつじん。じちのやくそくをせまる。きょひされたらじゅふでサラマンダー呼ぶ』と簡略文字で箇条書きにしてある。
「くそっ、俺が字も読めねえと思ってやがんのか、あのくそがき」
確かに藩字で、しかも様式だって書かれた文章は何がなんだか分らない。またそれをあのがきが知っていたということが小面憎いとザックは舌打ちをする。
――だが、
合図はあった。