いざ、行かんー2
ランケイとラドビアスを縛りあげた所にたくさんの足音が聞こえる。程なく宿の主人の声がした。
「あ、あのお客さん。開けますよ」
その宿屋の主人の声が終わる間も無く、勢いよく扉を開かれた。そこには十人ほどの兵士と、訳も分らず大変な客を泊めてしまったのかと青くなっている初老の男がいた。
「おまえが連絡をしたものか」
兵士の一人がアウントゥエンに顔を向ける。
「手配書の立て札を見た。こいつらだろ、金をくれ」
いつものアウントゥエンの喋り方だが、これはこれで無頼な感じに見えなくも無い。手配書と縛られている二人を見比べて兵士は仲間に頷いた。
「本人らしいな。よし、おまえついてこい」
大人しく引きたてられる二人の後にアウントゥエンとクロードが続く。宿屋の主人はそれを見てほっと息を吐いた。金は前金で貰っているから面倒事さえ無くなってしまえば自分としては言うことはない。
だが、部屋にいた人物を見て首を傾げる。下に降りてきていた人物はこんな赤い髪の大男だっただろうか? もっと生粋のアーリア人のような男だった気がする。
後ろからついて階段を下りて行く少年だけは見覚えがある。アーリア人にしてもかなり美形な少年だから良く目立つのだ。
「あの……今晩のお泊まりは?」
後ろ姿に小さく聞くが当たり前のように返事は無い。だったら置いて行った荷物はこちらで処分するしかない。
「めんどくさいことだ」
何か金目のものがあればいいがと主人は部屋を見まわした。
「あんたはこっちだ」
ランケイだけは別に幌のついた馬車に乗せられる。罪人扱いとはいえ、相手は姫なわけで、そうそう邪険な扱いはできないのだろう。
「おれたちはこっちなのか?」
二台目の幌無しの馬車に乗せられたクロードが文句を言うとコウユウを見張っている兵士がふんと鼻を鳴らした。
「これから、たんまり褒賞金を貰おうっていうんだから多少は我慢しな、坊主。父ちゃんを見習え」
「父ちゃん?」
噴きそうそうになりながらクロードは自分の隣に座っている赤毛の男を見上げると、アウントゥエンがにまりと笑った。
大きな石造りの門を抜けて、クロード達は宮殿の前庭で降ろされる。前を行く馬車はそのまま脇を抜けて中に入っていった。
「おまえらは、そこの外殿で沙汰を待つように」
「そう言うと、手足に枷を付けられたコウユウを突き飛ばすように兵士は引き立てて行ってしまった。
「さて」
クロードは立ち上がってアウントゥエンを見る。
「ここで待ってるのもなんだから出発する? 父ちゃん」
獣の時のように鼻に皺を寄せてアウントゥエンが笑う。二人はそっと入れられた部屋から外を覗いた。果たして兵士が二人逃げられないように槍を合わすようにして戸口に立っている。
「これじゃあ、おれたちも罪人みたいな扱いじゃないか」
褒賞金など初めから出すつもりなどないのだ。というより、皇姫を目にした平民など生かしておくつもりが無い――そういうことなのだろう。
「あの、小父さん。おしっこ行きたいんだけど」
どんどんと扉を叩いてクロードが騒ぐと、がらりと音がしてごつい男が扉を顔の分だけ開けて大声で怒鳴ってくる。
「煩いっ、静かに待っておけと言ってるだろう」
「だったら、ここでしちゃってもいいの?」
大きな舌打ちの音がして扉が開く。
「こっちに来……」
兵士の声がそこで途切れ、もう一人の兵士が反撃する間も無かった。顔を出したアウントゥエンが二人の頭を掴んでぶつけたのだ。大きな骨の折れる音がする。どさりと投げ出すと、扉を全開にしてアウントゥエンは後ろを見た。
「行こう、クロード」
「加減しろよ、父ちゃん」
クロードが低く言って左右を見渡すと内殿へ続く門に顔を向ける。
「穏行してあの門番を仕留めて門を開けろ、アウントゥエン」
囁くように命を下すとクロードはアウントゥエンの背中に触れて呪を唱えた。
『変成、変転、変容、我の命により辺幅、変化せよ』
赤い魔獣は音も無くどろどろに地面に溶けたように姿を消した。空気の流れだけが彼の気配を知らしめていたが、気付くものはいない。
いきなり、隣の兵士が塀を超えて飛ばされたのに唖然とする間も無く、姿の見えないものに掴まれたと同時にその兵士も飛ばされて気を失う。
張り番の兵士がいなくなった大門の扉が金属の音をさせながら開く。クロードは口角を上げて扉をすり抜けた。
「アウントゥエン、屋根を行こう」
クロードの声に姿を現せた魔獣は、クロードを乗せるとぐんと跳躍して宮殿の屋根に飛び上がった。
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「おまえはランカさまじゃない」
「だから人違いだと何回も言ったわ」
濃紺の長い上着には銀糸で細かい刺繍が施してある。細い一重のつり上がった目元はハオ族特有の者だ。まだ随分と若い外見の男がランケイの顎に手をかける。
「その服はどうした、女」
「あたしのと替えて欲しいって言ったから替えてやったのよ」
大きな舌打ちの音がして、男は控えていた軍服の男に声をかける。
「亥将軍、南に目撃された二人組が当たりのようです。追跡の増員は国境警備から回してください」
手を組んで頭を下げた将軍が部屋を出るのを見ながら男は自分の額に手をやった。
「それにしても、キータイからこんなに簡単に逃げられるものだろうか」
何か、おかしい。何かよくないことが、ずっと悪いことがおこりそうだと男は部屋を出る。情報を一か所に集めて事態を把握しなければ。
長い安定に少し、気が緩んでいたのかもしれないと頬を叩いた。