楼蘭族の憂鬱ー2
「な、なんだと?」
「聞こえませんでしたか」
「聞こえてるよ、耳元で喋ってるんだから。じゃなくて、俺が聞いたのはクロードの真意だよ」
後ろから肩を揺すられてザックは、はっと周りを見回した。しんと静まり返った中で男たちが心配そうに彼を見ている。
俺が少しでも動揺したり、心配そうな素振りを見せたら駄目だと最近分ってきていた。頭ってやつは、面倒くさいものだ。
「なんでもねえ、あれだ、独り言だ。おまえらあんましうろうろするなよ」
ザックが顔の前の蝿でも追い払うように手を振った。
「ちょっ、ここじゃそんな物騒な話はできねえぜ」
「では、少し目を閉じてください」
「変なまねすんじゃねえぞ」
目を閉じてね、なんて場末の飯盛り女でも言わねえとぶつくさ言いながら、ザックは目を閉じた。途端に遠心力がかかったように外側に体を持っていかれそうになるのをぐっと踏ん張って止まる。
「もうよろしいですよ」
その声に目を開けると、ザックの目の前には以前クロードを迎えにきた彼の従者が立っていた。背の高いアーリア人。周りを見回すと、机とそれを挟んで椅子が二脚の簡素な部屋の中に二人はいるらしかった。
「ここはどこだ?」
「ここは結界の中です。殺風景なんで部屋風にしてみましたが、場所がどこかと言われたらさっきと同じ場所です」
前に会った時もいけ好かねえやつだと思ったが、しみじみ見てもやっぱり気にらないと思う。でもそんなことより、さっきの話だとザックは目の前の男を睨んだ。
「俺達が兵を上げるってどういうことだよ」
「まあ、立ち話もなんですから座りませんか」
ザックの苛立ちを知らない素振りで、男は簡単な作りの椅子を指さした。相手がどすんと座ったのを見届けてから、懐を探る。
「同じ王朝が長く続くのは闇も深い、そうは思いませんか」
「一体何が言いたいんだ、おまえ。奥歯に物が挟まったような言い方をすんじゃねえ。ちっとも分らん」
ザックの文句に目の前の男は薄っすらと笑う。まったく、主人といい、家来といい、腹ん中が見えないという点においてはいい勝負だぜとザックは思った。
「これを使って、あなたはハオタイの玉座に座るというのはどうですか」
ぱさりと机の上に置かれた紙の束には見覚えがある。というか、ザックにとってはお馴染みの物。
男が差し出した呪符はサラマンダーを操るためにザックが使っているものだった。
「何、言ってるんだ」
思わず椅子から立ち上がってザックは男を初めて見るように眺めた。ばかな好事家に二束三文の掛け軸だか、壺だとかを売ってんじゃねえんだぞ。
ハオタイ皇国は大陸の大半を支配している、つまり大陸を支配してるのと一緒ってことだ。そこに一族の自治を嘆願しに来たのがザック達だ。
つまり、自治さえも無い民草ってのが今の自分たちの立ち位置なのに。
頭がおかしい。クロードに会ったときも相当に頭がおかしいと思ったもんだが、こいつだってなかなかだと思う。たかが千人足らずの雑兵を率いている俺が大国の主人になる、だと?
「てめえ、俺が無学なのをバカにしやがって。一体どんな悪さを考えてんだよ。王様にしてくれるって聞けば、尻尾を振るって思ってるんだったら生憎だったな」
ザックの声が聞こえているんだかいないのだか、男は世間話をしているように顔色に一つも変わらない。そこにまた腹が立つ。
「俺らはおまえらの企みの駒なんかじゃねえっ」
ばんっ、机を叩くとそれは粉々になって消えた。
そうだった。クロードは魔導師でこいつも魔導師だ。見えているものが全てとは限らない。
そういや魔導師は性根が腐っていると、祖母ちゃんがよく言っていたもんだとザックは思い出す。
――いや、祖母ちゃんが魔導師を直に知っていたという話は聞いていないが。
砂漠の民にとって、魔導師という種族ほど遠い物は無い。西方のアーリア人や、南方のアシュラ族、東方のハオ族、それらよりもずっと実態の無い空想上の生き物なのだ。
例えば、悪戯する子どもを叱るとき。または、約束を守らない相手をなじるときに。魔導師が攫いに来るよ、魔導師みたいに腹黒いやつだな、とか。
実際本物に会えば、そんな事は無いということが多い。噂で極悪人だと言われているやつが、会ってみると結構気安い良い奴だったなんてことがある。
だが――とザックは目の前の男をねめつける。
魔導師だけは、言い伝えどおりだった。そうザックは記憶の中の自分の祖母に語りかけた。
男が指を上下すると、机は何も無かったように元通りになっていた。壊れたことなんて無かったかのように取り澄ましている。そう思うのは目の前の男のせいか。
「乱暴ですね、勝算はあるから申し上げているんです。このままどこの馬の骨とも分らない娘一人連れて砂漠に帰ってもいいことなんかありませんよ」
男はザックの怒りなど鼻にもかけていないように淡々と話を続けた。