動くー4
「あははは、声だけは威勢がいいな。おれたちを頼ったのを後悔する? でも言うことをきかない選択はないだろ。命が惜しいなら自分の女を着替えさせるくらいしろ、いいな。でないと守るべき女はおれの可愛い眷属の腹ん中だ」
この下品な言葉で自分を脅しているのは本当に目の前にいる少年なのか。コウユウは息をするのを忘れて目の前で冷やかに笑う綺麗な少年を見上げた。華奢な腕を組んで何か楽しいことを話しているような口ぶり。だが、内容は自分たちにとっては楽しいものではない。
「女と一緒に暮らしたい。それって二人が添うってことだろ? このままでいいの? 苦労するよ、あんた。それが好みって言うんじゃ他人の出る幕は無いけどね。ただし、命が惜しいなら今はおれたちの言うことを聞いてもらう。おれの眷属はそこら辺の人間なんかよりよっぽどあてになるが、そこら辺のごろつきなんかよりよっぽど恐ろしいことを分らないと」
「分ったから姫から離れるようにあの獣に命じてくれ」
「アウントゥエンって名前だけど」
「そ、そのアウントゥエンをどけてくれ」
「アウントゥエン、降りろ」
クロードの声に飼い犬の従順さを見せて、赤い魔獣が音も無く寝台から降りる。気をつければこんなに大きな体を感じさせないほど細やかな動きをすることもできる。ふわりと床に降り立った赤い狼は伏せをしてクロードを見上げた。
「半刻後に出発だ。そこにある服をランカ姫に着せろ。自分でできないならランケイが手伝ってくれるように頼んでやるけど」
クロードは言うだけ言うと部屋を出て行こうとして、気が付いたかのように後ろを振り返った。
「アウントゥエン、サウンティトゥーダおいで」
伏せをしていた二頭の魔獣が少年の後について部屋を出て行くのをコウユウは茫然と見送った。
優しい顔で自分たちの窮地を救ってくれると思っていたのは、悪魔だった。一番会ってはいけない種類のもの。分らないように人間に混じっていた魔物。自分たちはどうして声をかけてしまったのか。
「ランカさま、わたしが命に変えてもあなた様をお守りいたします。どうか、これにお召し変えをお願いします」
「コウユウ、怖いわ。どうなってしまうの?」
ランカの言葉にコウユウは唇を噛みしめた。それは自分が一番聞きたいことだった。
半刻後、コウユウとランカ姫を乗せたサウンティトゥーダが大きく開いた部屋のバルコニーから飛び立った。それを見送ってクロードは置いていた巻物に目を向ける。
「さて、これを仕上げなきゃな」
「墨を磨っておきました。これをお使いください」
独特の匂いのある黒い液体にクロードは細筆を浸す。一つ一つ片付けていくだけだ。人の心なんて今は要らない。そうクロードは深呼吸をして羊皮紙に向かった。
「さて、ラドビアス。おまえは俺がこれを仕上げている間に、楼蘭族を出迎えに行ってくれ。自国の姫を嫁がすと言ってハオタイは偽者を掴ませて油断したところを襲うつもりだと言ってくれ。やり方は任す」
「わたしに任すなんて大雑把な事をおっしゃりますね」
「うん、おまえなら上手い事やるだろ?」
「やりますよ、勿論」
ラドビアスはそう言うと姿を隼に変える。
「では行ってまいります」
頷くクロードが顔を向ける前に隼は窓から飛び立っていった。
「おまえは悲しいか、クロード」
ふいに声をかけられてクロードは、筆を落としそうになって慌てて立ち上がった。声の主は窓側に寝そべってこちらを見ている。風が赤くて長い体毛をそよそよとなびかせていた。思わず今のは幻聴かと思いそうになる拍子抜けするほど穏やかな光景だ。
「別に悲しくなんて……」
「匂いがする」
匂い? もうそんな風に言われてしまったら、どう言い繕っても仕方ない。クロードははぁとため息をついて寝転んでいる自分の眷属を見た。
「ときどき、自分は何をやっているのか分らなくなってさ。ぐらぐらすることがある」
近づいてきた赤い魔獣がふんふんと鼻を鳴らしてクロードの手を舐めた。
「揺れてないから大丈夫だ。ぐらぐらしてない」
安心させるみたいに断言するアウントゥエンにクロードに笑みが零れる。心配させてしまった。主人がどっしりとしていないと下は不安なのだ。おれはいつまで経っても半人前だとクロードは反省する。。
「そう? 揺れてない? それなら心配ないな」
魔獣の眉間の間を撫でてやると目を細めて猫のように喉を鳴らした。そのわずかな時間、少しの中座がクロードには癒しになっていた。人の裏ばかり見て、裏ばかりかいている自分が心底安心して心を預けられるのは、二頭の魔獣だけ。
――ああ、それってまたちょっと悲しいかも。
世話になった楼蘭族まで手駒として使おうとしている自分はきっと何もかも終わったらおれは罰を受けるだろう。
「アウントゥエン、おまえ主人との契約が終わったらいつも元主人を食い殺していたんだろ? おれも食べる?」
「我はそんな野蛮なことはしないぞ」
つんけんと魔獣は答えて顔を背けた。魔獣は自分たちのことを語りたがらない。寝たと思ったおれの傍らで、おまえの相棒と人の味について語り合っていたのを聞いた事があると言ってやったら、この魔獣はどんな反応をするだろう。
「クロード、楽しそうだな」
「匂うかい?」
うん、ちょっと楽しくなったとクロードは笑った。