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二人のしもべ

 気流の道が見える。緩やかに蛇行しながら続くその道は、鳥類になったから見えるのか、しもべだからなのかはラドビアスにも分らない。

 恐ろしいほどの風の流れに乗り、速度を上げて北に飛び続けていた二羽の猛禽がある境を飛び越えた。その瞬間、空間が歪んで空気の流れが大きく乱れた。

 それは水に小石が落ちたときの波紋のように輪になって広がり、やがて消えて行く。

 そこはベオーク自治国との境、厳重な結界だった。

 しかし、ベオーク自治国の主である一族の眷属には何の影響も与えない。

 つまりは、ラドビアスの体に刻まれているしもべの印は今もバサラのものなのだ。思いうんぬんの前に彼の主人は今もってバサラであった。

 クロードへの忠誠を誓う心の反対側には、常にバサラに縛られている自分がいるのをラドビアスは意識しないではいられない。

 それほどに刻まれる龍印は、しもべを心身ともに主人に握られる立場に至らしめるものなのだ。

 それを愛だと誤解するほどに。

 インダラは主人であるバサラに全てを差し出している。自分が向ける愛情を疑ったりしたことは無いのだろう。

 なぜ同じように同じ印を刻まれた自分はそういう境地になれないのか。バサラをかつては慕い、敬っていたはずなのに。

 理由なら――ある。

 バサラが自分の妻にしようとした人を自分もまた愛してしまったから。しもべの分際で自分は主人からカルラを五百年前にここから奪い逃げたのだ。

 果たして自分は今もバサラの眷属の意味があるのだろうか。問えない疑問を胸に抱いて、ラドビアスは自分を眷属たらしめているバサラに会おうとしていた。

 結界を突き抜けた先で、連なる稜線の淡い水墨画のような景観がラドビアスを迎える。

 もう二度と戻ることは無いのではないかと思っていた。こうやって戻ってくるなどと五百年前、カルラについて逃げるように国境を越えた頃は思いもしなかった。

「ここに帰ってくるのは実に五百年ぶりなのではないか? まったくもって不実なしもべだよ、おまえは」

 返事など端から期待していないのか、隼はそのまま高度を落とす。

 黒い瓦が打ち寄せる波のように連なっているその上を二つの影が飛んで行く。赤い柱の一本一本に龍が巻きついた意匠が施された広大な宮が渡り廊下で繋がれて山脈を囲むように造られていた。

 その一つの宮の前庭に二羽の猛禽が舞い降りる。

「ここで待ってろ」

 人の姿に戻ったインダラが宮の中に入っていく。中には何人もの魔導師が立ち働いていた。の宮の離れに彼の主はいるはずだった。

「ううんっ……ああん」

 甘い女の声が抑えきれないと言った風情に切れ切れに聞えてくる。室の入口に立ったところで、インダラは中の様子に気付いて天を仰いだ。

「ただいま戻りました。なんですか、バサラさま。人が必死で帰って来てみれば、戸を開けっぱなしで飼い猫とお戯れとは」

 インダラの不平にくすりと笑う声が寝台から洩れる。薄い布をかき分けて顔を出した主人はにっこりとインダラに笑いかけた。

「おまえが遅いからだよ、インダラ。偉そうに言うところを見ると何か収穫があったんだろう? ご苦労だったな」

「バサラさま、もう終わりですか?」

 バサラの背中に手を回した女が名残惜しそうにぺろりとバサラの耳を舐め上げる。砂色の滑らかな肌に艶のある純白の長い髪が流れるようにかかっていた。  金色の大きな目が物欲しげにバサラを見つめていた。

「おまえは際限が無いからな。また抱いてやるから手をどけろ、メイファ」

 バサラが肩に置いたメイファの手をどける。

「ミャア」

 甘えた声を出して寝台から降りたのは、すでに女の姿ではなく、抜けるような白い毛を持った大きな雪豹がインダラを見て、大きく唸り声を上げた。

「わたしが大きな獲物を持って帰ったから、おまえはもう用済みだ、メイファ」

 インダラの言葉にメイファの唇がまくれ上がる。

「シャアアアッ」

 大きな牙を見せて威嚇した後、ツンとインダラから顔を逸らせて優雅に伸びをした魔獣はインダラの脇をすり抜けて外に出て行った。

「あんな獣と交わるなんて酔狂にもほどがありますよ、バサラさま」

「あははは、妬いてるの? あの子は抱き心地が人間の女より具合がいいんだ。おまえもいつか試してみる?」

「冗談ですよね、真っ平ですよ」

「おやおや、ずいぶん嫌ったものだな。でもあれはわたしの可愛い愛玩物だからね。傷つけたらだめだよ、インダラ」

「頼まれたってしませんよ、バサラさま。前庭にサンテラを連れてきております」

「サンテラが?」

 バサラは、インダラに体を拭かせながら花が咲いたように笑った。

 ――この方がこんな風に笑うときはろくな事を考えてない。

 インダラはそう思いながら自分の主人に新しい服を着せかけた。

「やっとインダラも目が覚めたのかな。どう思う?」

 亜麻色の髪を掻きあげながら自分を見上げた主人の色香に、インダラは思わず見とれそうになって顔を引き締めた。

 まだ少年の頃にバサラのもとで働きだしてからずっと主人に魅了され続けている。美しい外見も策略好きなところも残酷な面でさえ、彼の魅力を損なうことは無い。それが彼に刻印された龍印のせいなのかどうなのかはインダラには分からない。

 だが自分の血の一滴まで主人のものなのだとしもべなら疑う余地は無いはずなのに、サンテラは違う。そこがインダラには理解できない。

 ――始まりから違っていたからか。

「あの者は死ぬまで目など覚めませんよ。バサラさまもご存じでしょう?」

 インダラの返事にバサラは「だろうな」と水色の淡い瞳をすっと細めた。

「呼んでおいで、わたしの不肖のしもべを」


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