分かっている事
「クロードさま、わたしはあなたの従者です。あなたが行くというのなら、どこへなりとお伴するのがわたしの意思です」
部屋の窓枠の縁にまた腰を降ろしていたクロードは、入って来たラドビアスの言葉に顔を向ける。
「おまえならそう言うだろうと思った」
「術式を行うための羊被紙を調達してまいります」
ああと頷く主人に頭を下げてラドビアスは宿を出て行く。その後ろ姿をクロードは追いかけようとして――止まる。
「……ラドビアス」
しかしその呼びかけも、力なく呟きにとどまった。
行かせなかったほうが良かったのか、クロードは自分の意気地の無さに唇を噛む。
ユリウスは、こういう時どうしたのだろう。
ラドビアスは自分の眷属では無い。自分の意思でクロードについてきたのだ。その先を望むのは身勝手なのかもしれない。
でも――、
本当なら殴ってでも行かせないほうがいいのだろう、自分にとっては。
主人としての覚悟も無いのかと自嘲の溜息が洩れた。
そうだ、自分は自信が無い。
大それたことを口にして言質を取らないと行動できないのではないかと心配になる。自分の実力の無さなど人に聞くまでもなく分っている。
それでも。
それでも自分が生まれてきた意味を自分は信じたい。
現実には、誰もが生きていることに大それた役目を追っているものではない。いるとしても神は一人一人にそんなものを与える余裕などないだろう。
人はただ生きるために生き、死んでいくものだ。それだけのものでしか無い。だが、人がどう思うが関係なく。
――おれがおれであり続けるために、おれは大きな役目を持つと思わなければ。潰れてしまう。
ただ偶然の重なりで翻弄されているなどと言うのなら、クロードはとっくに生きる意味など失っていた。
だけど一人では当然できなくて。
ラドビアスがおれの側にいるのが必然だと思っていたいのに。
クロードは自分に自信が無いのだと認めるのが怖い。従者の気持ちさえ引きとめておく事もできないのだ。クロードは、ラドビアスの出て行った扉を力なく見つめる。
ラドビアスがさっきの返事をすると思ったように、おれはもう一つ思っていることがある。
「ラドビアスは……おれを裏切る」
ぽつりと落ちたのは涙だったのか。言葉だったのか。クロードには判然としなかった。
ラドビアスが路地を曲がったところで、一羽の烏が彼のほんの目の先にふわりと止まる。
「サンテラ、何か用がありそうだが?」
人の言葉の後に「かあ」と鳴いて烏が首を傾げて見せた。
「分っているくせに惚けるのは止めろ。烏のふりなどやめろ、インダラ。話がある」
「何の話だろ、興味津津だな」
そう言った烏は、周りに一羽ではきかないほどの黒い羽根を撒き散らしながら姿をあいまいにする。
そしていつの間にか一人のハオ族の男の姿がそこにあった。
濃い緑色の合わせが片方に寄っている襟。膝までの上着は足さばきが良いように両側に切り込みが入っている。その下はゆったりしたズボンになっていた。 ハオタイの様式では無いそれは、ベオーク自治国の物だった。
「インダラ、バサラさまにお目通りしたい」
ええ? と、大げさに驚くマネをするインダラにラドビアスの眉がくっと上がる。
「聞えなかったか、インダラ」
「おやおや、何を言い出すのかと思えば。おまえみたいな物騒な男を大事な主人に会わすわけないじゃないか」
頭の頭頂部で結んだ長い黒髪が笑うたびにゆらゆらと揺れる。
「インダラ」
「バサラさまにお会いしたいと言うのなら、それ相応の話しなんだろうな」
くどいと睨んだラドビアスに、インダラと呼ばれた男はその切れ長の目を糸のように細くした。
バサラのしもべであるインダラは主人に似て人の心を弄ぶのが好きらしい。ラドビアスが苛々するのが楽しくて仕方無いのか、ますますのらりくらりと言葉を繋ぐ。
「できそこないの眷属が自分の御主人さまに会うのだから、慎重になるのは仕方ないと思うけどね」
「わたしはクロードさまの命をお助けしたいだけだ」
「ふうん、では龍道で行くか、隼にでもなる? 面白いのは隼かな、やっぱり」
くすりと笑った男は素早く隼に姿を変えて空に飛び立つ。
「待て」
ラドビアスは大きく舌打ちをして姿を鷹に変えて隼を追った。