厄介事ー5
「ランケイもベオークに行きたいんだろ? 前言撤回するよ、一緒に行こう」
「本当に?」
「クロードさま」
勢い込むランケイと咎めるようなラドビアスの声が交差する。
「ランケイ、姫の様子見て来てくれない?」
「分ったわ」
部屋を出て行くのを見計らったようにラドビアスがクロードを見る。
「クロードさま、一体……」
それを手で制してクロードがお茶を一口飲んでからラドビアスに座れと指で示す。溜息をつきながらラドビアスが座ったのを確認して彼の話が始まった。
「ランカ姫の代わりにランケイを送り込んじゃダメかな? コウユウはおまえが変化すればいいし。おれはそれを手土産に宮城に潜り込むよ」
「二人を逃がして何の得が?」
不服そうな顔のラドビアスにクロードは噴き出してしまう。
「おれが人助けするのがおかしいかな?」
「おかしくはありませんが、その意図が測りかねます」
「そうだな……あんな我儘娘にはザックは勿体ないと思ったからかな。それに二人が本当にあれで幸せになれるのかちょっと興味もある」
「ランケイも厄介払いできますしね」
すまして言う従者の横顔をクロードはおいおいと眺めた。
「おれが多少手を貸して逃がしてやったとして、逃げきれるかどうかも分らないけど。姿が戻った魔獣にでも頼んで南にでも逃がすかな?」
「ランケイが大人しく砂漠に戻りますかね」
そこなんだよね、とクロードはにやりと笑った。
「宮城内で忘却術をかけてやろうと思ってさ」
さらっとクロードが言った言葉にラドビアスが顔色を失くす。レイモンドール国で一度クロードは忘却術をモンド州城全域にかけたことはあるにはあった。あれは、カルラが書いた術式を単に披露したに過ぎない。
特定の人やわずかな場所にかける術式ならそんなに難しくは無いだろうが、広大なハオタイの宮城一体を網羅する術式など無茶な計画に思えた。
「何を消そうと思っていらっしゃるんです?」
「ベオーク自治国の記憶だよ」
不敵に笑う自分の主人を時の間、唖然と見つめるしかラドビアスはできなかった。
「クロードさまが目指しておられるのは、御自分の御身から教典を抜くことですよね」
恐る恐る確認するラドビアスに彼の主人はあっさりと身も凍る宣言をする。
「おれはベオーク自治国を潰したいんだ」
言葉を失くすラドビアスの様子にクロードは静かに言葉を継いだ。
「それでもおまえはおれについてくる?」
クロードのまっすぐな視線を受け止めきれずにラドビアスは立ち上がった。
「お茶を入れ替えてまいります」
主人を失くすことを恐れている自分にとって、問題なのはクロードがベオークの実態を知らないことだ。教皇一族のけた外れの強さの一端しか彼は知らない。
どうやって止めさせればいいのか。しかも彼は自分の決めたことを曲げることはほとんど無い。思案しながら廊下に出ると、目の前に良く知っている男が腕を組んで立っていた。
「久しぶりだな、ちょっと痩せた?」
「体調など変わらないさ、何の用だインダラ」
「なんか、お困りのようだからさ、手助けをと思ってね」
長身のハオ族の男はそう言って両側の口の端を釣り上げて手を差し出してきた。
「わたしが死ぬほど困っていたにせよ、おまえにだけは助けなど求めない」
ぱしんと大きな音が廊下に響く。
「おやおや、人がせっかくおまえの大事な御主人さまを助けてあげようと思ってやってきたのにさ。ついでに言えば、おまえの本当の主人はベオークにおいでになるけどね。いい加減自分の立場を思い出せよ、サンテラ」
「うるさい、消えろ」
ラドビアスが懐から短剣を立て続けに男に突きたてる。
「おまえってバカな男だ。何百年経っても」
男は薄ら笑いとともにただの烏に姿を代えて床に落ちた。おびただしい血と黒い羽根があたりに散らばる。
「サンテラ、また会おう」
烏の頭がくるりとラドビアスを見上げてそう言うと跡形も無く消えた。
「くそっ」
ラドビアスは右手で握った拳を左手に打ち付ける。
どうにもならない事はある。
だが――、
ベオークの内部はもうすでに衰退の道を歩んでいる。
ひっそりとその一族は数を減らし続けて今や片手に足りるほどになっている。<このまま子供ができないとすれば、クロードが手を下さずともいずれはベオーク自治国は消滅するのだ。
それが今すぐだと断言できないだけで。彼らの寿命は遥かに長い。
ベオーク自治国の終焉が自分の命の終わりでもあるとラドビアスは胸を押さえた。それは自分にとっての厄災なのか、それとも福音であるのか。
ついてこれるかと言ったクロードに答えを言わなくてはならない。ラドビアスは踵を返して部屋に向かった。