旅立ちー3
「承知しました」
ラドビアスが少女を肩に担ぎ上げるのをクロードは苦々しく見ていた。 なんのかんの偉そうな事を言ったとしても所詮自分には何も出来ない。 クロードと同じくらいの体格の少女を軽々と運ぶラドビアスに嫉妬すら感じる。
この先、魔術にしても剣術にしたって練習しだいでどうにかなるだろうが、体格だけはどうにもならない。 鍛えてみても体は華奢な少年の体躯を変えることは無いのだ。 封印された経典を取り出さなくては死ぬまでこの体でいなくてはならない。
レイモンドールの王にこの経典が封印されていた頃は、王は経典によって死ぬまで歳を取らないことは、王の特異性と神秘性を増す上で大きな役割を担っていたはずだった。
青年のまま歳を取らない王は魔術の結界で国を守っている国の象徴であり、国民の誇りというわけだ。
しかし、その結界も無い今。 クロードの体に封印された経典は、呪いでしかない。
魔獣たちはそのまま山に残し、麓の小さな町の宿に二部屋取る事ができてクロードはやっと落ち着く。
その晩からまた高い熱を出して寝ている少女に付き添っていたクロードは、朝方こっくりと船を漕いでいた。 いつからそうしていたのか、いつの間にか自分を見ている少女に気づいて今起きたかのように繕って声をかけた。
「お早う、加減はどう?」
「ここはどこなの? あんたは誰?」
「誰って、それは酷いなぁ。きみはあの山で気を失ったんだよ。で、ここまで運んで来たってわけなんだけど」
クロードの説明に少女は記憶を辿るように窓を見る。
「そう、そうだったわ。ありがとう……」
「おれの名前はクロードっていうんだ」
「あたし、ランケイって言うの」
そう言って、少女は急に言葉を切った。
「何? どうしたの? 気分が悪いの?」
いえ、とかまあとか、あいまいにごもごも言っている少女の頬が赤いのに気づき、クロードは自分の手を少女の額に当てる。
「んー、熱は無いみたいなんだけど」
「ね、熱なんか無いわよ」
慌てて手を撥ね退けられて首を傾げるクロードを見て「こんなに綺麗な男の子だったなんて」と少女の口から素直な言葉が漏れ出た。
何せ膝の刀傷のせいで頭が朦朧としていて薄ぼんやりとしか少年を覚えていなかったのだ。 ついでに言えば、何を喋ったかさえあまり覚えていない。
それが、朝起きてみるとアーリア人の男の子が自分の目の前にいる。 銀に近い金髪に濃い群青の瞳。 卵型の顔形。 まるでおとぎ話の絵本の挿絵に出てくる王子さまみたいな造作の顔にどぎまぎしないほうがおかしいと言うものだ。
「あ、あたし、弟を探しているの」
「弟さん?」
いきなり始まった少女の打ち明け話にクロードは、正直聞こうかどうか迷ってしまう。 このまま彼女に深く関わるのは、ラドビアスに言われなくても不味いと分っている。
「あたしの弟は、ハイラ神に連れ去られたの」
「ハイラ?」
クロードの逡巡は少女の言った名前であっけなく覆された。
ハイラといえば、ユリウスの姉だったはず。 確か、幼い子供を食べるという恐ろしい食癖を持った人物だ。
「ハイラってベオーク自治国にいるんじゃないの?」
「神の御名を呼び捨てるなんて」
少女は眉を顰めた。
「ごめん、その神さまがどうしてここに?」
知らないの? と不思議そうに聞かれてクロードが首を振る。 その事に驚いた風に黒い目を見開いた少女が話し出した。
「この世で、ベオークの神を知らないなんて人がいるとは思わなかったわ。とんでもない辺境の人なの? ベオークの神は、交代で各地を見回っているのよ」
「ああ、そういう事か」
今まで結界で閉じられていた世界に住んでいたことなどなるべく自分のことは話す必要は無い。
レイモンドール国は、藩字ばかりの呪文を使うベオークの術でなく古代レーン文字を組み合わせた独自の魔道教を敷いていたのだ。
「あたしは、この近くの村に住んでいたわ。ダフノール村っていうの」
そう言って話し出す少女の話は、深刻な話だった。
「姉ちゃん、オラも手伝うよ」
自分の傍らに積んである野菜の一つを掴んでしゃがみ込んだ少年にランケイは、笑顔を向ける。
「あんた、羊に餌やったの?」
「うん、やったよ。兄ちゃんたちと手分けしたから早く済んだんだ。これ、洗ったらいい?」
ランケイが住んでいる村、ダフノールは広大な国ハオタイの西、ダルファンという大きな都市の近郊の村だった。 ダルファンを過ぎると人種的にも大陸の西側に多い白人種ではなく、ハオ族と呼ばれる黄色人種が多く住む地域になっていく。
ダフノールもハオ族の村だったが、話す言葉は訛りが強いがアーリア語で、まさにダルファンあたりが西の文化と東の文化の別れ目ともいえた。
「じゃあ、姉ちゃんが野菜を洗っていくから根っこを切ってくれる?」
「うん」
丸いまな板を持ち出して来た少年が洗って積んである野菜の根っこをざくりざくりと小気味いい音をさせて切っていく。 ランケイがそれを横目で見て、出来栄えを確認すると自分の仕事に戻った。
大きい包丁を操る姿は危なげない。 少年は十歳だが、ここら辺の子供は朝から晩まで親の手伝いをするのは普通のことだった。 それを不幸だと思ったことも無い。
その中で感じる達成感や、楽しみもある。 それ以上にその生活しか知らないのだから文句のおきようも無いのが本当のところだった。
「根っこは大事に集めておきなよ、セイシン。煮詰めたら甘い汁が出るから固めてあげる」
「本当? やった。大事にする」
弟の宝物を扱うようにそっと根っこを集める仕草にランケイは含み笑いをした。 ランケイは五人兄弟の二番目で十七歳。 そろそろ嫁にも行こうかという年頃だが、一番下の弟はほぼランケイが育てたようなものだ。ランケイ以外女の子がいないため親が離さないという理由からか、家の事を任すことのできるランケイはますます縁遠くなっていた。
「えっ? 君十七歳なの?」
「そうだけど」
クロードの驚いた声に話を中断されて、ランケイの眉が顰められた。
「あ、ごめん。続けて」
クロードは、女性の歳は本当に分らないと思った。 とくにハオ族の女性はアーリア人に比べて若く見える。 まあ、クロードだって十七歳だが見た目は十四、五なのだからお互い様だ。
竹を編んだざるに山盛りに青菜を盛って、家に戻ろうとしたランケイは何気無く見上げた空にあるものを見つけて慌てて叫んだ。
「セイシン、早く家に戻ってっ。体を低くして走るのよっ」
「姉ちゃん?」
見上げた時は豆粒のようだったのに、今はごうごうという風を切る音が頭上に響いていた。 もの凄い風に目を瞑りながら家に向かおうとしたランケイの耳に聞こえたのは弟の悲鳴。
「助けてぇ、お姉ちゃんっ」
ランケイが振り返るとそこには大きな動物が空中に止まっていた。 その上には大柄なハオタイ様式の金をふんだんに使った胞を着る人物がいた。 そして、その動物の前足に掴まれていたのは今まで自分の横にいたセイシンだった。
「痛い、痛いよぉ、お姉ちゃん」
腰を大きな鉤爪で掴まれているセイシンが泣き叫ぶ。
「セイシン!」
そのまま飛び上がろうとする伝説の生き物だと言われている龍に掴まれている弟が伸ばした手をランケイが掴む。
「セイシン、セイシン、セイシン」
大声で叫びながら掴んだ手に力を入れると弟が痛いと泣き叫んだ。 掴まれた背中が痛いのか、ランケイの掴んだ腕が痛いのか。 それでもランケイは離すわけにはいかない。
「セイシン、がんばって」
「おや、獲物にゴミがついているじゃないか」
龍に跨っている人物の太い声がする。
「もうそんなに育ってっちゃ、美味しくない。手を離しなさい」
言った途端に背中から大型の剣を引き抜くとランケイめがけて突き刺すように振り下ろした。
「きゃああっ」
痛さに驚いて手を離してしまったランケイがどさりと地面に落ちるのを確認もせず、その龍はそのまま上空高く飛び去って行った。
痛む足を引きずりながら、やっとの思いで家に帰ったランケイは、親にセイシンを助けに行って欲しいと訴えた。
「セイシンに会えないのは悲しいけど、セイシンは神に選ばれたんだよ。きっと神にお仕えする御子になるんだ。これは光栄なことなんだよ」
思いもしなかった両親の言葉にランケイは、家を飛び出した。 知らないふりをしているだけで、ハイラ神が子供を生贄にすることぐらい幼いこどもだって知っている。
見殺しにするのかと愕然とし、悲しみは怒りへと変わった。
だったらあたしが助ける。 そう決心し、ランケイは山中をさ迷っていた。
「それは、いつの話?」
「三日前」
ランケイの返事にそう、と頷いたが彼女の弟が今も生きている可能性はあまり高くないとクロードは思う。 狩ってきた獲物をそんなに長い間置いとくような事はしないだろう。
子どもは攫いやすいが世話するのは手間がかかる。いつでも調達できると思っているのなら尚の事、すでに彼女の弟はハイラの腹に収まっているだろう。
でも、そんなこと彼女に言えはしなかった。