厄介事ー1
「ここからは会話はすべて藩語になっております。お気をつけください」
「うん、ランケイは藩語分る?」
「話言葉ならなんとか」
ランケイの返事にラドビアスの眉が上がる。
「片言なんかで話すくらいなら黙っておきなさい」
「おいおい、ラドビアス」
本当にこいつときたら子供みたいに感情丸出しなんだからとクロードはため息をついた。
妙な緊張感が漂う中、宿のある方へ歩き出した三人の前にいきなり男が滑り込んできて行く手を遮られる。
「お頼もうします、旅のお方」
そう言ってラドビアスに向かって頭を下げるのは、身なりの良いハオ族の男だった。ラドビアスがちらりとクロードを見る。
「宿に泊まられるのですよね。あなた方の一行にわたしと主人を加えて欲しいのです。お金ならあります」
「別にお金に不自由してはいないですが。何かわけありのようですね」
ラドビアスの言葉に男はとまどいながら、言うか言うまいか逡巡するように相手を見上げた。
「はい、旅の道中、悪い者にお嬢様が懸想され、しつこく追われておりまして」
「お嬢様?」
はい、あちらにと指さす建物の蔭から若い女性が心配そうにこちらを見ていた。
「それは大変でしょうね」
「はい」同情するようなラドビアスの言葉に男は安堵するように頷くが。
「しかし、そんなわけをお持ちのあなた方を一行に加えるなんてできませんね。わたしの主人が巻き込まれたら大変ですから。他をお当たりください」
一瞬何を言われたのか分らないように男はぽかんとしていたが、徐々に驚きが怒りに変わったようにラドビアスの腕を掴んだ。
「おまえ、こちらがこんなに下手に出ているのにその言い方は無礼であろう」
語気を強める男にラドビアスがくくくっと笑う。
「やっと尻尾を出しましたか。へたな嘘をつくからですよ。いずれにせよ、あなた方に関わってはろくなことにならない」
「あうっ」簡単に男に掴まれた腕を逆にひねり返し、ラドビアスが男の喉元に男の腕を押し付けたまま近くの塀に体を押さえこむ。
一見物腰が穏やかそうに見える相手の思ってみなかったすばやい攻撃に男は息を飲む。そこに彼の連れだと思った少年が口を出してきた。
「もういいだろラドビアス。彼女はきっと貴族の姫か何かじゃない? 助けてあげたいけど選んだ相手が悪かったね。おれらを頼ると君らの方が危ない」
「クロードさま」
クロードの言葉にラドビアスは手を離すが、その前に男の鳩尾に肘を打ちつけるのを忘れない。
「おや、失礼。わざとじゃないんですが」
「わざとじゃないってどう見てもわざとだろう」
呻いて崩れる男の姿に苦笑しながらクロードは自分の従者を目で咎める。
「どうするの、クロード?」
「どうって、どうも……」
ランケイの問いに答えようとしたクロードの前に、くだんの姫が走ってきて自分の従者にしがみついた。
「この者をどうしようと言うのじゃ、下郎どもめ。狼藉を働くとわらわが許さぬ」
「ランカ様」
目の前で始まった、なんだかむず痒い展開にクロードとランケイも顔を見合わせた。
「名前をこんな往来で言っちゃっていいの? 話っぷりも思いっきり上流風だし。狙ってくださいって言ってるみたいだけど」
クロードの言葉に傷ついたような顔の女性は、たぶん自分やランケイとあまり歳も違わないだろうと思われた。どんな訳があるのか知らないが、城下に逃げるにしてはあまりにも目立つ服と髪型。
透けるほど薄い絹を重ねた着物は細かい刺繍が隙間無く刺してあり、その上から着た華やかなつるつるした生地の上着を前で重ねて豪奢な金色の帯で結んである。帯は前で凝った細工で花のように結んであった。
また髪は横に張り出すようなハオタイの貴族の娘がしているもので、この娘を連れていたらさぞかし目立つことは明らかだ。
「クロードさま、急いでここを立ち去りましょう」
ラドビアスにとっては相手の窮状だとか、身分だとか、そんなものはまったく考えの糧にはならない。
ここで衆目の的になるわけにはいかない。それこそが彼の心配なのであって、自分たちが見放した後、二人がどうなろうと全然興味の外だった。
「だけど関わらないのはもう無理みたいだよ、ラドビアス」
「まったく、ついてない」
吐き捨てるように言ったラドビアスが懐から素早く短剣を立て続けに走ってきた無頼者たちに向けて放つ。
「無頼者に見せていて、かなりの腕ですね。どうします、時間も無いし術で眠らせますか?」
ラドビアスが放った短剣は、男たちに弾かれた。簡単に投げているように見せてはいるが、ラドビアスは走ってくる男たちの速度を読んで足を狙って投げていた。
それを弾き返すとは、かなりの手だれだということだ。
「そうだな、足を止めてくれ、ラドビアス」
「了解しました」
ラドビアスが印を組んで呪を唱えてその口元に指を持っていくと、それを取り囲む男たちを指さすように振った。
『縛せよ』
途端に男たちがバタバタと倒れた。まるで体を縛られてしまったかのように身動き一つしない彼らは唯一動く目を必死で動かしている。
「半刻もすれば術の効力も解けます。行きましょうか、クロードさま」
「うん」
ところが、歩き出したクロードの上着を腹を押さえた男が掴んでいた。
「お願いがあります」
ああとクロードはため息をつく。厄介事は避けようとしてもあっちからやってくるんだったと思い出す。何かに巻き込まれたと思ったときには、すでにその中心にいた――そんな悪い予感がしてきたクロードだった。




