キータイ到着
「戻って良かったよ、ランケイ」
クロードがバルコニーに降りたランケイに声をかける。
「ごめんなさい」
「悪いと思っているならやらなければいいんです。時間が無いから直ぐ行きますよ」
ばっさりとランケイの謝罪を切ったラドビアスにクロードが苦い顔を見せるが、いつものように彼はそれを気付かない振りをした。
勿論、自分の主人の立ち振る舞いはおろか、顔の表情まで、彼が気付かぬことがあるわけは無い。しかしラドビアスにとって、主人を脅かす可能性のあるものに心を一片でも動かす義理はない。
立ち尽くすランケイを片手で避けるようにして、ラドビアスはアウントゥエンの背に鞍を置いた。
「ランケイ、おれはおれの信念でベオークに行く。君には君の譲れないものがあるんだろ。だったら自分の役目をこなすことを恐れなくていい」
「クロード、あんたあたしのことを……」
やっぱり分かっているのだとランケイは確信して言葉が途切れる。自分を裏切っているのを知っているにも関わらず、クロードはそれを不問にしている。
「だいぶ上空を飛ぶから寒いぞ」
サウンティトゥーダは鞍の付け心地が悪いのか、そう言って身を揺らした。
「だったら、クロードは我がのせる」
アウントゥエンは体の体温をやや上げてみせると、挑戦的に傍らの魔獣を見る。
「グワァアアッ」
サウンティトゥーダの威嚇する声が響いていきなり、その場の雰囲気が変わる。魔獣らは別に一緒にいるからといって自分の都合が悪くなるとその関係も即座に変わる。人とは違う倫理観や社会感、別の理の中にいる彼らはあっという間に戦いを選ぶのだ。
「止めろ、おまえたち。アウントゥエンにランケイを乗せたいからおれもアウントゥエンに乗るよ。サウンティトゥーダにも後で乗ってやるから文句を言うな」
「ガウウウウッ」
「ギュワアアア」
抗議の声と威嚇の声、それを冷たく抑える声が部屋に響く。
「このまま騒ぐのを止めないとくつわを嵌めますよ、おまえたち」
二頭の魔獣が不服そうに鼻を鳴らした。
「では、キータイに着くまでは降りることはできませんからね。落ちないように腰を紐で括っておきます」
風に直接当たらないようにクロードはランケイを後ろにのせる。
「しんどいかもしれないけど頑張ってね、ランケイ」
「分ったわ」
だが、分かったつもりでいたランケイは空に舞い上がってからこの旅の困難さに気づく。物凄く息苦しい。それは前に飛んでいた空域よりはるかに高いせいで、体に当たる風も半端なく刺さるように冷たかった。
体を毛布で覆っているのに裸なのではないかと錯覚するほどの強風の中、ランケイは目も開けることができないでいた。
「ランケイ、頭まで毛布にくるまらなきゃだめだよ。アウントゥエンも今は体温を上げることができないくらい急いでいるし」
後ろを振り向いてクロードがランケイの毛布を引き上げる。朝までに砂漠を越えなくてはならない。広大な砂漠の真ん中を過ぎたといえども、魔獣にとってさえ一晩で砂漠を越えることは並大抵のことではない。
風を切る音と魔獣の荒い息だけが耳に聞こえる。
ほどなくランケイはクロードの背中にもたれるように気を失った。
「思ったより頑張っていたな」
アウントゥエンの低い唸り声がする。
「うん、もう遠慮は要らないから存分に飛ばしてくれ」
その言葉に軽く炎を吹いた後、アウントゥエンが頭を低くする。それに習うようにクロードも背後にランケイをかつぎながら姿勢を低くした。
ゴオゴオと唸る風の渦の中を魔獣は、流れの速い気流にのる。あっという間にその姿は闇に消えた。
ここは現実か夢の中なのか。
渦巻く風の中で感覚も無くなってきた頃、辺りがふっと明るくなった。
うす赤い紫の稜線が地平を縁取る。
間もなく夜が明けるのだ。
慈悲深い夜が明けて、悪魔の微笑みをたたえた朝がやってきたのだ。
アウントゥエンは口を明けたまま涎を垂らしている。サウンティトゥーダは明らかに高度を落としていた。
二頭の疲労も限界を迎えていた。
「あれを」
ラドビアスの声にクロードが体を起こす。目の前にまぶしいほどの緑が見える。砂漠とキータイの境に植えられているのか、キータイを囲むように緑が続き、その中には見渡すかぎりの青い色が昇り始めた陽の光に反射して連なっていた。
「キータイに着いたんだな」
「ええ、なんとか間に合ったようです」
緑の一角に降り立った途端に魔獣の姿は煙るように消えた。
「いなくなってしまった。大丈夫なのか、ラドビアス」
ああと魔獣の消えた跡を眺めながらラドビアスはその場に残された荷物を整理し始める。
「あまりに魔力を使いすぎて形を保っていられなくなったのでしょう。魔界ならすぐに魔力は戻りますが、ここではそうはいきますまい。何、十日ぐらいでまた戻ってきます」
「そうなの?」
「ええ、人通りの多いキータイではかえって好都合ですよ。さあ、荷物を一つは持っていただかないといけません。よろしいですか?」
勿論と頷いてからクロードはラドビアスが触れたがらない事を指摘する。
「で、ランケイはどうする?」
「ここでお別れとかは不味いですか」
「当たり前だろう」
当たり前ですかねと軽くため息をついてみせて、ラドビアスは荷物のようにランケイを肩に担ぎあげた。
改めて見渡すとキータイは恐ろしいほどの大きな都だ。大きな通りはすべて黒い石で舗装されている。大通りに面している屋敷はみな三階建てくらいの木造で屋根には青い瓦がのせられていた。
「空から見たとき、これが青く光っていたんだな。それにしても奇麗な都だな」
「この青は、ハオタイの帝が青い龍の末裔と言われていることに由来しているのですよ。龍の末裔がおわす都はすべからく青で満たされねばならない、とね」