魔獣の思いと裏切り者の思い
アウントゥエンが屋根伝いに走りながら細い辻を見回していると、石畳の道の端に座り込んでいたランケイの姿を見つけた。
「何やってる?」
屋根から声をかけるとランケイがはっと顔を上げた。このところ人の姿をしていることが多く、人語を喋ることにも慣れてきたのか、魔獣たちはかなり発音も流暢になってきている。
一瞬、あのベオークの魔導師が帰ってきたのかとランケイは思って震えた。前に現れたメイファといい、今のインダラというハオ族の魔導師といい、魔導師とはこんなに冷たいものかと思わせる男たちだった。
とはいうものの、貧乏人にはどこの誰もが優しくない。村にいた時だって貧乏な自分たちへの風当たりはきついものだった。
どうすれば貧しいという運命を変えられるのか、ランケイには考えもつかない。貧乏な家に生まれた自分は無学なまま、貧乏人に嫁ぐ。そして、子どもの世話と畑仕事に明け暮れて死んでいく。
深く考えないまま、漠然とそれが普通だと思っていた。特段それを悲しいと思ったことも無い。ランケイの村の女たちはほとんどそんな生涯を送っている。
でも自分には帰る家も残ってはいない。それでもセイシンにはもう少しましな生活を遅らせてやりたいと願う。そのためにも姉ちゃんがきっと助けてあげるからとランケイは記憶の中の弟に優しく告げた。
「アウントゥエン」
「どうした、出発するぞ。腹でも痛いのか」
「大丈夫。あんたにのってもいい?」
ランケイの言葉に赤い狼は首を傾げる。こいつをのせるのは不本意だ。
主人とは、魔経典を使って呼び出されて使役されるだけの関係で契約が終れば、いつも元主人を即座に食い殺してやった。
だが今の主人はどうも食べたくない。食べでが無い、そういうことで自分をも納得させてみようと思ってみるがどうも上手くいかない。
契約とは別に。
クロードと一緒にいると気持ちいい。耳の後ろを撫でられると眠くなるほどだ。体に触れさせて落ち着くなんてことは、大昔にやはり子どもに使役されて以来だった。
結局――その子どもも食べてしまったのだけど。
この先、自分はいつ開放されるのか。
クロードはどう思っているのだろう? ずっと側にいるという選択、それもありかと思うこの頃。大好きなクロードの敵だと知っているだけに、ついアウントゥエンは口を滑らせてしまった。
「乗せてやる。ありがたく思え、裏切り者」
自分の前に一瞬にして降りてきた狼の言葉にランケイは目を見張った。
「うらぎりものって」
「行くぞ、乗れ」
魔獣が知っているということは、その主人が知っているということではないのか。ランケイは自分の罪をクロードに知られたのではないかという疑念を胃の中に無理やり押し込んだ。
認めてはいけない。
知らないふりをしていよう。そうでなければ、弟を助けられなくなる。
弟を取り戻すためなら、自分は裏切り者でも卑怯者でもなんでもなるんだとランケイは唇を硬く噛み締めた。