悪魔の所業
歩幅の大きいログーの背中の上で、舌を噛みそうになりながらクロードは必死でしがみついているがログーが歩くたびに体が宙に浮く。
「ねえ、ザック。砂漠には馬みたいでこぶのあるもっと乗りやすい動物がいるんじゃ無い?」
「ああ?」
後ろを振り返ったザックがクロードの様子ににんまりする。
「おい先生よぉ、しっかり内股に力を入れないと振り落とされるぜ。それにおまえが言ってるのはハメルっていうやつだ。あれはお客様用だぜ。乗り心地はいいが、ログーほど速くねえからな」
「わ、わ、わっ、そうなの? でも札を仕掛けて帰る頃にはおれ、どっかに落っこちてるよ」
「なら、体を縛っとくかよ、先生」
クロードの泣き言が聞けてザックは途端に機嫌が良くなった。
「ザック」
「なんだよ」
「あんた、ガキだな」
「言ってろ」ザックはログーのスピードを上げて後ろのクロードが乗ったログーに合図する。 途端にスピードを上げたログーにクロードは目を白黒させた。
予定していた場所につくと、クロードが札を置いていく。
「このままでいいのか? 風で飛んだりしないのか?」
ああと薄く笑いながらクロードは手を休めない。
「これはただの紙切れじゃない。ここに置いたら術の力でここからは動かない。昼間なら隠蔽魔術がいるだろうけど、動くのは夜なんだからそれはいいよ。それに砂がこれを隠してくれるだろうしね」
「魔法使いにまさか自分が関わるとはな」
ため息をつくザックにクロードが今度は顔を上げてきっぱりと言う。
「魔法使いなんてこの世界にはいないよ。おれは魔導師だ。これには誰だってなれる。学問の一つだよ、ザック。覚えて使えば誰にでもできる」
つまりとザックを指さす。
「あんたにだってなれる。さあ、明日は次の場所だね。商隊が来る前に何度かサラマンダーを出しておかないとあいつらを目的の場所に誘導できないだろう?」
そうしておいて二人は大きな岩の影に隠れて商隊が通るのを待った。
「おまえさ、前はどんな生活をしていたんだ? 魔導師って金持ちなのか? あっさりと人を使うわ、人見知りもしない。西側の国から来たにしては藩語もぺらぺらだしよ」
ぼそぼそと呟くように聞くザックにクロードは「おれ、王子様だったんだ」と振り向きもしないで答えた。
「おまえ……答えたくないってことか。何が王子様だよ、ふざけんな」
ザックの反応にクロードはふっと息を吐いた。
「本当なんだけど」
「言ってろ。それより、お客様がおいでになったぜ」
まだ、濃い青の空間には何も見えないというのに、ザックはそう言い切って遥か遠くを指差した。
「何も見えないよ」
そう言ったあとに聞こえてきたのは大勢の足音。 一つ一つは小さいものなのだろうが、大きい隊列なのだろう。 ザクリザクリと合わせたように空気を震わせていた。
人の足音と荷物を積んだハメルの足音が響く。大きなソリのような物に荷物を満載し、三頭立てにして引かせている。長い商隊は今までなら安全の権化だった。前後左右に武装した兵隊が守りを固めている姿は盗賊や獣など寄せ付けない鉄壁の集団の証だ。
だが、今は獣避けの松明の光の中で大きなバケモノの口の中に飲まれて行く生贄たちの死への隊列に見える。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「それは、サラマンダーに言ってよね。おれは完璧さ。良く見とけよ、ザック。タイミングが大事なんだから」
隊列が呪符を仕掛けた場所に差し掛かる随分と前、クロードは印を組んで呪文を唱える。
『カノ、ハガラズ、ダガズ、オセル』
大きくはないその声はなぜか韻と空間に響き渡る。風にのり、砂とともに運ばれる。空気が変わったと感じてザックが辺りを探るように見上げた途端、商隊の前後から炎が火柱となって噴き上がった。
それはまるで間欠泉のような光景だった。
崩れる列と人々の叫び声、そしてハメルが悲鳴のような声を上げて砂の中に引きずり込まれた。うねる地面が割れて何本もの触手が地上に突き出されている。
「来やがったぜ」
うっかり漏らしてしまったと言うようにザックは僅かに後ずさりした。 だがそこは訓練された軍隊だ。 商隊についていた兵は分かれると大きな振動をおこす物体を取り囲むように包囲してその中に矢を雨のように射込んでいく。
「うそ、やられちゃうんじゃないのか、サラマンダーの野郎」
息を飲むザックにクロードはどうかなと他人事のように返す。 こいつの言う通りに動かされていたが、このガキの目的は別のところにあるのじゃないかとザックは疑心暗鬼になる。
失敗してもし、軍隊に俺らが仕掛けたとバレたら俺たちを潰す格好の贈り物になる。そう思うとザックは涼しい顔で戦いに見入っている少年を苦々しく睨み付けた。
矢を射掛けられたサラマンダーは触手を瞬時に引っ込めると砂の中に潜る。急に辺りが静かになって、軍隊は落ち着きを取り戻した。隊列を組み直し、残った荷を積みなおす。
やっと出発かと思ったその時、再び地面が大きく振動した。それはさっきの比では無い。離れているはずのザックが隠れている場所までが揺れる。
「一体なんだ? 戻ってきたのか」
「さっきのは子どもだったみたいだ。おっかさんが仕返しに来たんじゃないかな」
「子ども? さっきのが?」とザックはクロードの背中に問いかける。
「だって、おれが引っ張られた時には触手がかなり上まで伸びていたんだ」
今くらいにねと淡々とクロードが応えた。
「さっきは今の半分も無かったよ」
今や軍隊は無数の触手に絡め取られて砂の中へ引きずり込まれていた。距離を取って包囲していたはずがそこはサラマンダーの成獣にはまったくの攻撃範囲内だった。
商隊が持っていた松明が地面に落ちてそこはまるで蛍が止まっているようだ。<しかし、現実は熱を感知した他のサラマンダーも呼び込んだ末の激しい捕食の場になっていた。
いくつもの触手が巻き上げる砂で目の前も見えなくなる。その中で聞こえる、サラマンダーの吼え声と逃げ惑うハメルの鳴き声。そして触手と戦う兵士がふるう剣が肉を斬る音。
様々な音が混じりあい、作り上げる地獄絵図にザックは震えた。
延々と続くと思ったそれは、ふいに終わりを告げた。
さっきまでのことが夢だったかと思うほど急に静かになった。だがザックの足は砂に絡め取られたように動かない。 いや、正直に言えばザックは動きたくなかった。
この地獄を作ったのが自分だと知っていたから。頭で描いていた計画など実際起こったことを見てしまえば砂上の城だ。残酷で自分勝手な悪魔の所業だと思い知らされる。
――俺はこんな事をあと何回もやらなきゃいけないのか。
「なあクロード、俺は……」
「大成功だな、ザック。この分ならニ、三回すればおまえ達の話しに耳を貸すと思うよ」
嬉しそうに笑う少年にザックの言葉は空気に消えた。




