秘めた感情
「おまえが失敗するとはね」
高い位置で結んだ髪がゆらり、と揺れた。
「ふんっ、たまには俺だってしくじることもある」
メイファが威嚇するように「シャーッ」と声を上げた。
「人型なんてやめて、猫のままでいたほうが良くないか? そうすれば主もお側につけて可愛がってくれるさ。可愛い猫ちゃん」
「うるさいっ」
飛び掛ったメイファの鋭い爪は相手の細い剣で弾かれた。
「今度はわたしが行くとするか」
男は釣り上がった一重の目を細めて剣を腰に収めた。
「主の元に帰っておけ、メイファ」
男は、大きな鷹に姿を変えると空へ飛び立った。
じりじりと焼けるような日差しを避けて岩山の影に潜んでいたクロードは、柔らかいものがふいに触れたのを感じて足元に目を移す。
「アウントゥエン、どうした?」
ずっと寝ているのにも飽きたのか、赤い魔獣が構ってくれとその長い尻尾をクロードの頬に押し付けてくる。
「なんだ? もう少し休んでろ。夜になったらまたおれたちを乗せて飛ばなきゃならないんだぞ」
言いながら、耳の後ろを撫でさすってやると魔獣が目を細めて大きい頭を摺り寄せてきた。
「クロード、あいつは何か変だぞ。あの女」
ごろごろと喉を鳴らしながら言う言葉にクロードは「そうだな」と笑った。
「知っていたか?」
「うん」
「実は前にサウンティトゥーダに調べさせたんだ」
サウンティトゥーダの名前を出されてアウントゥエンは鼻息を荒く横を向く。 それを見てクロードはわしゃわしゃと魔獣の頭をかいてやった。
「ランケイの村は全焼していた。生き残っていた人間に話を聞いたよ。攫われたのは弟だけじゃなかった」
ん? と顔を向けた魔獣にクロードは淡々と答える。
「ランケイも捕まっていたんだよ」
「おそらくおれたちの動向をさぐるのと、メイファのもとに誘導する役目を担わされていたんだと思う」
「だったらやっぱりあいつは敵だ。喰っていいか?」
「だめ」
ぽんぽんと頭をたたくとクロードは声を潜めた。
「これはおれとサウンティトゥーダとおまえだけの秘密だ。いいな」
「秘密か……それは面白い」
獰猛な顔で魔獣が笑うの見てクロードは立ち上がった。
「水をもらってくる」
そのままもう一つの大きな日陰にいるラドビアスのところに行こうとしたクロードの足が止まる。 クロードから少し離れた岩の上に水筒が置いてあった。
「ラドビアス、来たのか」
ここからは、岩の影になって彼の姿は見えない。 いつまでたっても彼は気安くはならない。 従者の立場を守っていて友人という間柄には決してならない。 なんでも分っているという安心感と、線を引かれているという緊張感。
そこから一歩も前進も後進もしない。 寂しくもあるがべたべたとされるのもクロードには馴染めないものだ。
「誰が黒幕なのか、ランケイから目を離さないでくれよ」
当たり前だというように魔獣が低く唸り声を上げる。 クロードはそれを見ながら自分の手をゆっくりと開いた。
――この手はどんどん汚れていく。 この目はどんどん殺戮に慣れていく。 人は一度でも人を殺してしまうと歯止めがきかなくなるのか。
ランケイの両親や住んでいた村民がほとんど殺されたと聞いても前のように憐憫の情ばかりでない自分は確かに変わったのだ。
ランケイと弟を攫ったのは、ハイラだったのだろうか。 やり方が捻くれていて背後の人間が楽しんでいるような気すらする。 ベオークの人間全員を知っているわけではないが、心当たりならある。
それは、ユリウスと名乗っていたクロードの兄であり、魔道の師でもあったカルラの実の兄だ。 カルラと番うために必要に追い回していた。 そのバサラのためにユリウスは命を落とした。
悪辣な事も笑顔でこなす人間。
そして……バサラは依然としてラドビアスの主人なのだ。 ラドビアスには彼の龍印が背中に刻まれている。 現在バサラの龍印のおかげで命を永らえている。
それは揺るがない事実なのだ。
バサラなんだろうか。 彼だとしたら、少年はまだ生きているだろう。 それならランケイの行動も理解できる。 おれをあっさり攫うこともできるだろうに、わざとこんな罠をしかけてくるのはあの男だからのような気がする。
ラドビアスは、バサラをどう思っているのだろう。 ユリウスが死んで彼の竜印が消えた今、彼の体にはバサラの刻印した龍印があるだけだ。 僕はそれを刻印された主人を慕うものだというのに。
だとしたら、彼はどうなのだろう。 直接聞けばいいのかもしれないが聞いてもラドビアスが素直に答えるかは分らない。
心に秘めている感情は彼のもので。
命令して聞きだすものではないのだから。